日誌

榎本校長のつぶやき

ヒヤリ ハッと!

 最近、暗くなるのが早くなってきて、自転車通学の人は下校時に「こわいな」と感じることも増えてきたかなと思います。でも、車を運転しているほうもこわいんですよ。無灯火の自転車や上下黒のウェアでウォーキングしている人がいると、「事故にあいたいんか~い?」と突っ込みたくなります。私は、目の前で車の衝突事故を2回目撃しています。あと少しタイミングがずれていれば、巻き込まれていました。「あ~っ、ぶつかる、ぶつかる、ドーン」という感じで「全然、前を見てないだろ」というぶつかり方でした。時間に余裕がないと、どうしてもスピードを出したいと思ってしまいますが、急いでいる時ほど冷静にならないといけません。雨の日は特に自転車通学の人は気をつけましょう。自転車のタイヤを滑らすものはたくさんあります。学校の敷地内でも道路同様スピードを出して運転しないでくださいね。自分の安全は自分で守るしかありません。自爆事故はもちろん、もらい事故がないように周りに注意して登下校してくださいね。あと、ヘルメットをかぶりましょう。「つけててよかった」ですよ。

挨拶を進化させよう!

 今日は、県教育委員会から指導主事に来校いただきました。学校訪問と呼ばれるもので、学校の教育活動改善のための指導・助言をしていただくためのものです。生徒の皆さんの授業への取組や挨拶について、お褒めの言葉をいただきました。以前に学校評議員の方からも、挨拶についてお褒めの言葉をいただきましたが、さらに気持ちの良い挨拶が条件反射でできるように、意識してください。きっと、その習慣は今後の皆さんの財産になるはずです。それと、学校のウェブページの発信力について高評価をいただきました。生徒の充実した楽しそうな学校生活の様子が、学校行事や部活動の記事からよくわかるとのことです。先生方は、生徒の皆さんに色々な力をつけてもらうために、授業に学校行事に部活動にと日々頑張ってくれています。これからも、みんなで力を合わせて、太東をより楽しく充実した学校生活が送れる場所にしていきましょう。

過去と他人は変えられない?

 「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる」エリック・バーン(カナダ精神科医・心理学者) 

 有名な言葉なので聞いたことがある人も多いと思います。皆さんは、この言葉を読んだ時、「そのとおり!」と同意しましたか?それとも、「いや、違う」と否定しましたか。普通は、タイムマシンでもない限り過去は絶対変えられないと思いますよね。過去を変えるのと同じくらい他人を変えるのは難しいということを言っています。だから他人を変えようとして思い通りにいかずイライラするくらいなら、自分を変えたほうが精神的にいいよということですね。「いやなことは、その日のうちに忘れろ。自分でどうにもならんのにクヨクヨするのは阿呆だ。」と田中角栄は言っていますが、似たようなことを言っている人は他にもいます。過去のことをいくら悔やんだところで、過去は変わりませんからね。

 では、過去と他人を変えられると思った人は、なぜ、そう思ったのでしょうか。仏教学者の柴田泰山に次のような言葉があります。「こうありたい」という未来を決めれば、今ここですべきことが見えてくる。すると、過去に向き合う自分も変わり、やがて過去の様々な出来事の意味も変わる。だから過去は変えられる。

 事実は事実として存在しますが、それに対して幸・不幸などの価値付けをするのは人間です。自分の意識を変えれば、過去を変えることができるのです。他人にたいする意識も、変えることができれば変わるということです。すべては、自分次第ということですね。他人も過去も変えて、未来も変えられるように自分の意識を変えられるようになるといいですね。

日本の文化カラオケ

 生徒の皆さんの中で、カラオケをしたことがない人はどれくらいいるでしょうか。友達や家族、恋人と行くだけでなく、一人カラオケだってありです。今日10月17日は、「カラオケ文化の日」だそうです。「カラオケは我が国が生んだ最大の娯楽文化」との認識から、カラオケを通じた文化活動の支援や文化交流を行い、その普及を図ることを目的として一般社団法人・全国カラオケ事業者協会(JKA)が1994年に制定したそうです。カラオケは、スキヤキ、スシ、ゲイシャなどと同様、海外で通用する日本語です。カラオケボックスが普及していなかった昔は、飲食店で1曲100円払って歌っていたものです。近年のカラオケの進化には、すさまじいものがありますね。近いうちに好きな歌手の声で歌うことができるようになりそうです。コロナ禍で、私はもう2年半カラオケに行っていませんが、気にせず行っている人は行っているのでしょうね。私は、まだ立場上行き辛いのですが、2年生の皆さんも、修学旅行前にコロナに感染しないように自重してくださいね。コロナを気にせず、みんなが大きな声で歌を歌える日が1日も早くくることを願っています。

うまい話と断る力

 今日は、群馬県高等学校PTA連合会東毛地区指導者研究集会(長い!)というものがあり、出かけてきました。その後半で「成年年齢引き下げと若者の消費者トラブル ~親として知っておきたいこと~」という講演がありました。高校3年生は、未成年ではなくなるので、金銭トラブルに巻き込まれる人が増えます。結論から言うと、「うまい金儲けの話には絶対のるな」です。欲をかいて楽して儲けようと思えば、大体失敗します。最悪の場合、失敗するだけでなく友達も失います。それと、話の中で一番印象的だったのが、強く勧誘されると断れない人の割合が、全世代の中で10代、20代の人が大変多かったということです。あなたは、はっきり断ると悪いんじゃないかと思って、答えをにごして曖昧に答えてしまうほうですか?1989年に「NOと言える日本」という本がベストセラーになりましたが、日本人は自己主張が下手と言われます。よくとれば謙虚で奥ゆかしい、ことを荒立てるようなことは避ける、とでも言えるのでしょうか。「結構です」「いいです」という言葉は、「YES」「NO」どちらにもとれます。日本語には、曖昧でぼかす表現が多く、直接的な表現を避けて言葉と態度から察する文化があります。講演の中で、「先輩から誘われた時のセリフを考えよう」という質問がありました。先輩は「簡単に儲かる話があるんだ。この後、ご飯でも食べながら、一緒に話を聞かない?」と言っています。あなたなら、どんな言葉で断りますか?100%の正解というものはありません。ぜひ皆さんの断るセリフを教えてください。

趣味と仕事

 皆さんには、趣味がありますか?自己紹介で話したり、面接で聞かれたりしますよね。何か趣味がないと、つまらない人間みたいに思われるのが嫌で、とりあえず無難に「音楽鑑賞」とでもしとけ、みたいな人もいるかもしれません。私は、趣味って自分が好きでやっていることで、人に自慢したり、ひけらかしたりするものではないと思うので、「昼寝」とか「ボーっとしてすごすこと」だって全然いいのではないかと思います。若い芸能人が、似たようなことを言っていたので、同じことを考えている人も多いのではと思いました。ただ、趣味はある程度継続的にやっているものというニュアンスがあるので、「単に好きなもの」と「趣味」の分かれ目は、そこかなと思います。一番幸せなのは、趣味が仕事になることかもしれませんが、仕事になると辛くなることもあるので、趣味は趣味のままにしておきたいという人もいることでしょう。仕事がおもしろいので、ほかに趣味などいらないという人もいます。結局、仕事と趣味は、その人の生き方に関わってくることなので、何でもありなのかなと思います。ただ、自分の世界を広げるという意味で、いろいろなことにチャレンジして、それが趣味になったり、仕事になったりして誰かの役にたてたらいいなと思います。皆さんも、若くてエネルギーがあるうちに、いろいろなものに興味をもってチャレンジしてください。そして、趣味の合う友達を見つけてください。

真実はいつも・・・

 私は、専門が歴史なので歴史的に重要な出来事があった日は、記憶しているものも少なくありません。皆さんは、10月12日が歴史上どんな日か知っていますか? 1492年のこの日、イタリアの探検家・航海者クリストファー・コロンブスが率いるスペイン船隊が新大陸アメリカに到達したので、これを記念して10月12日は「コロンブス・デー」と呼ばれます。ただ、実際には最初に上陸したのはアメリカ大陸ではなく、西インド諸島でした。この日はアメリカの多くの州で祝日となっており、1970年より月曜休日統一法によって10月の第2月曜日となりました。現在、「コロンブス・デー」は、アメリカで多くの公共施設が定休日となり、企業や学校も休みとなる場合があるそうです。また、コロンブスの新大陸発見はスペイン王室の支援により達成され、スペインにとって中南米への植民地建設への第一歩を記した記念日でもあるため、10月12日はスペインでは「イスパニア・デー」という国民の祝日になっており、首都マドリードでは伝統的な軍事パレードが毎年行われているそうです。さて、私が、「コロンブス・デー」について書いたのは、別にコロンブスを讃えるためではなく、この象徴的な日を通して歴史の見方について考えてほしいと思ったからです。コロンブスの新大陸発見は、大西洋を横断する貿易の航路を見出すのには役立ちましたが、スペインの植民地化を進めるきっかけにもなり多くのアメリカン・インディアンの命を奪ってしまうことにもつながりました。アメリカにはコロンブス・デーに反対する人たちもいて、代わりにアメリカ先住民の日としてお祝いする州もあります。中南米全体の傾向として、スペインによる侵略と殺戮、略奪が始まった日として、特に先住民系の人たちによる抗議デモも行われています。歴史は、勝者によって書かれます。味方を変えると、コナンみたいに「真実はいつも一つ!」なんて言えないのです。歴史を勉強するときは、事実とされることを鵜呑みにせず、陽の当たらない裏にまで目を光らせることが大事です。色々な面で、プロパガンダに騙されないようにしましょう。

協働>競争

 「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本が、2009年に刊行され、大変話題になりました。ベストセラーとなり、その後、アニメ化・漫画化・映画化もされました。ドラッカーは、マネジメントの大家であり、ビジネスマンなら彼の本を読んだことのある人は、多いと思います。マネジメントについては、たくさんの本が出ており、本質は同じですが、その方法は色々あります。マネジメントとは、「経営管理」や「組織運営」といった意味で、ヒト・モノ・カネを効率的に活用し、「目標」や「ミッション」の達成を目指すことです。日本型経営の特徴として、「年功序列型賃金」と「終身雇用」がありますが、経済のグローバル化によって「成果主義」が取り入れられるようになり、日本の職場も変わってきているかも?しれません。?と書いたのは、なかなかうまくいかなかったという記事を読んだことがあるからです。仕事の種類や業務内容が多岐にわたっているため、評価が難しいことや、短期で成果をださなければならず、長期的取組に支障がでるなどのデメリットがあげられました。社内の同僚との競争も激しくなり、職場の雰囲気が悪くなったということも言われました。この組織マネジメントが、学校に取り入れられるようになってからもう20年近く経ちます。

 新しい学習指導要領では、「協働」が重視されていますが、社会的活動というのは「協働」であって「競争」ではありません。集団で作業し、それぞれがその専門的知識や技術を提供しあい、その協働の成果はみんなで分かち合うのが理想です。

 こんな例え話がありました。Aくんはある教科でいつも100点をとる。Bくんは80点しかとれない。でも0点ばかりとっているCくんを気の毒に思って勉強の仕方を教えたので、Cくんは30点とれるようになった。受験の場ではAくんの評価が高いが、労働の場ではBくんの点数にCくんの点数が足されるのでBくんの評価が高くなる。

 この話を読んで、あなたはどう思いましたか?勉強でも、部活でも、学校行事でも「協働」が大事だと思いませんか?社会では、損得だけで動いていたら、「協働」なんてできませんし、大きな仕事なんてできませんね。

頼られるって嬉しい?

 中間考査が終わり、皆さん解放感に満ち溢れていることでしょう。ただ、これから新人戦がある部活の人は、早く練習したいのではないかと思います。ここのところ寒い日が続いていますので、受験勉強を頑張っている3年生、部活を頑張っている1、2年生、体調に気を付けてくださいね。

 今日は、午後から太田市立北の杜学園で太田地区中高生徒指導対策協議会があり、出かけてきました。北の杜学園は、太田北中が太田東小学校、韮川西小学校と統合して令和3年4月に開校した小中一貫校です。皆さんは、小学校1年生から中学校3年生までが同じ敷地内で、いろいろと関わりながら学校生活を送っている姿が想像できますか。学年が上の児童・生徒が、お兄さん・お姉さんになって頼られることで、自己有用感が育まれていきます。本校のサブリーダー制が、広い範囲で有効に機能している印象でした。説明を聞き、見学させていただき、子ども達の様子が非常にほほえましく感じました。本校には、リーダーシップがとれ、面倒見がよい生徒がたくさんいると思います。今後も、上級生の下級生への面倒見のよさを本校のよき伝統として伝えていってほしいと思います。この伝統は、卒業生が後輩のために非常に協力的であるということにもよく表れています。在校生の皆さんも、卒業後に後輩達への支援について頼られた際には、よろしくお願いしますね。

AIが止まらない

 先日届いた「月刊日本教育10月号」に、熊本市教育長の連載記事があるのですが、その中に完成度の高い絵を描くAI(人工知能)のサービスの話がありました。私も「AIが描く絵」で検索してみましたが、驚くほどの出来栄えで、短時間でできるみたいです。ただ、誰でもすごい絵が描けるわけではなく、ソフトウェアを使いこなす技術のほかに絵の才能もある程度必要なようですね。

 私が中3のときに読んだ筒井康隆の短編SF小説に「暗いピンクの未来」というのがありました。未来では、画家という職業はなくなってしまい、コンピュータが絵を描くようになり、デザインにも進出してきます。プログラマーの天下になるわけです。ただ、漫画家は生き残っています。40年以上前に、予言していたわけですね。パソコンを初めて買ったころ、ペイントソフトで、元絵を「印象派風」「水墨画風」「点描風」「水彩画風」「油彩風」などと、変えられるものが既にありました。AIを使って絵を描くようになっても、驚くほどのことではないのかもしれません。そのうち、AIを使ってヒット曲を生み出すのが、普通になってしまうかもしれません。よく考えたら、AIは、Artificial Intelligenceの略でart(芸術)が入ってるんですよね。

 これから、さらにAIが進化していくと、ロボットの開発と歩調を合わせて現在ある人間の仕事を徐々に奪っていくことでしょう。AIに代替できない人間の能力とは何か。これから皆さんに、身に付けることが求められる力とは何なのか。すぐ身につくことは、すぐ役立たなくなります。じっくり腰を落ち着けて、汎用的能力を育てていきましょう。

学問の本質

 今日から2学期の中間考査が始まりましたが、皆さん、勉強は計画的にできたでしょうか。今日は、高校で勉強している内容が人生で役に立つのかと、悶々としている人に少し例をあげてつぶやき?ましょう。
 一つ目は、1868年から1894年にかけて4回英国首相を務めたウィリアム・グラッドストンの逸話です。彼は、オックスフォード大学で数学の天才と呼ばれていましたが、大学に入る前は最も嫌いな教科が数学であり、そのせいで進級も危ぶまれていました。「数学のない学校に転校させてほしい」と父親に手紙を書いたくらいです。父親は「おまえは数学が嫌いだというが、本当に身を入れて数学を勉強したことがあるのか。(中略)不得意なものに挑戦してそれを克服することは、将来社会に出て、おまえが出会うかもしれない大きな困難をも克服することになる。転校を口にする前に、私の言うことをかみしめてほしい。」この言葉を聞いて、彼は数学に挑戦しました。どんな分野でも天才と呼ばれる人が生まれたときからそうだったわけではありません。自分のもっている能力や体力を十分出すために努力することの大切さをグラッドストンの逸話は教えています。
 二つ目は、企業が文系人材の採用で重視していることと、その理由です。重視するのは、「大学入試をきちんと突破した」ことなのです。言い換えると「受験勉強を最後までがんばれたか」なのです。三角関数や微分・積分は、一部の専門的職業を除き仕事で直接使うことや、日常生活で使うこともありませんが、それを理解できる能力や、理解はできないまでも公式を覚えて問題を解ける能力は、仕事でも有効で汎用性があります。勉強していることで、生活に直接役立たなくても、汎用的な能力育成に役立っていることがたくさんあるのです。私は、選択教科を極力少なくして昔のようにほぼ全てを必修にしたほうがよいと考えている人間です。地歴公民、物化生地、美術など、高校では全員が履修するべきです。文系理系分けもそうすれば、3年からで十分です。
 今、注目されているのは、数値で測ることが困難な非認知能力です。協調性、コミュニケーション力、主体性、自己管理能力、統率力、創造性、探究心などです。これらの能力は、学校での全ての教育活動を通して育まれていきます。文系理系は関係ありません。高校の時点で、全国一律に生徒を文系理系なんて画一的に分けるのは、世界でもおそらく日本だけのようです。(間違っていたら教えてください) 自分から興味をもって勉強することだけでなく、興味をもてなくても、やっているうちに面白さがわかるものもあります。若いうちは偏らずに幅広く勉強したほうがいいと思います。長いつぶやきになってしまいました。残りの定期考査、頑張ってください。

「あなたの長所は?」

 9月30日に、3年次生のLHRで、「心の教育」が行われました。 ストレスを感じた時に生じるストレス反応への対処法であるコーピングについてスクールカウンセラーの先生に講義・演習をしてもらいました。その中に「自分が短所だと思っているところが、見方を変えると長所になることを知る」という演習がありました。面接のマニュアル本は、たくさん出ていますが、短所を聞かれたときに馬鹿正直に答えるのではなく、長所にとれるように言い換えるというのは昔からありました。

 たとえば、「優柔不断」は「慎重すぎるところがある」、「あきっぽい」は「好奇心が旺盛なので、新しいものに気が移りやすい」などです。長所と短所は、背中合わせなので他人から見れば、その人に好意的かどうかで逆転すると思います。実は、多くの人は気付いていないかしれませんが、自分をよく知っているのは自分ではなく、周りの家族・友人・同僚です。人は、社会の中で生きているので、生きる行為が自己完結していない限り、自己評価でなく、他者評価によってその存在が認識されています。ですから、「自分は優しい」と自己評価していても、他者からそう評価されていなかったら、自分を客観的に見られていない、メタ認知ができていないということになります。イギリスの名門校の卒業までの目標に、「自己評価と教師の評価が一致すること」というのがあります。自分を客観的に見つめるということ、自己理解が、いかに難しいかがわかりますね。日本の小学校で、児童の長所について質問したとき、児童だけでなく保護者もあまり答えられなかったという笑えない話がありました。人は、お互いに評価しあって尊重しあって生きているので、必要以上に自分を低く評価することはありません。自分にも他者にも、マイナスをプラスに変えて評価できるようになるといいですね。

元気ですか!

 アントニオ猪木さんが、79歳で亡くなったというニュースが、連日報道されています。皆さんのような若い人でも「元気ですか~!」「元気があれば、何でもできる!」「1、2、3、ダ~ッ!」は、見たり聞いたりしたことがあると思います。ただプロレスラーとしての全盛期にタイムリーで見ていた人は、私と同年代以上でしょう。1970~80年代にプロレスブームがあり、個性的な外国人レスラーも多数参戦し、漫画の「タイガーマスク」が現実の選手として出てきたりしました。

 小学生の時に、プロレス技を休み時間に掛け合うことが流行りました。四の字固め、コブラツイスト、卍固めなどでしたが、足の骨を折る事故が起こり、禁止になりました。(笑) 仮面ライダーのライダーキックが禁止になったのと同じですね。プロレス漫画も多く、描かれました。「1・2の三四郎」「プロレススーパースター列伝」が、最も記憶に残っています。アニメは、「タイガーマスク」が正統的プロレスでは最初で最後かと思います。

 プロボクシングファンとプロレスファンは、真剣勝負か筋書きのあるショーかで喧嘩になることも多かったと聞いています。ただ、強靭な肉体がないとやっていけないのがプロレスラーであることは間違いありません。一般の人がやったら、すぐ病院送りになってしまうでしょう。

 ですから、アントニオ猪木さんが、55歳まで現役で活躍されたのは、すごいとしか言いようがありません。皆さんも、自分が元気であることは、もちろんですが、周りに元気を伝染させられる人になってほしいです。できる範囲で。

アントニオ猪木さんの御冥福をお祈りいたします。

うちの家族はみんなが悪い

 どこで読んだか忘れましたが、こんな話がありました。
 今日私が学校から帰ると、お母さんが「お兄ちゃんの机を拭いていて金魚鉢を落として割ってしまった」といいました。 するとお兄ちゃんは「僕が端っこに置いておいたから、僕が悪かった」といいました。でも私は思い出しました。昨日おにいちゃんが端っこに置いたとき私は「危ないな」と思ったのにそれを言わなかったから私が悪かったといいました。夜、帰ってきてそれを聴いたお父さんは「いや、お父さんが金魚鉢を買うとき、丸いほうでなく四角いほうにすればよかったなあ。お父さんが悪かった」といいました。そしてみんなが笑いました。うちはいつもこうなんです。うちの家はいつもみんなが悪いのです。

 この話を読んで、あなたはどう思いましたか。「気持ち悪い」「偽善的」と感じましたか。「みんな、人のせいにしなくてすごい」「お互いに思いやりがある」と思いましたか。よく日本人は「すみません」を連発する民族だと外国人には不思議がられるようですが、この話は日本人の国民性を大袈裟に表現しているのかもしれません。すべての家族がこんなだったら、「叱る」「怒る」状況は家庭にはなくなるのでしょうね、

 これと似た日本人の国民性を表す話として榎本博明(MP人間科学研究所代表)によるもので、『欧米などの「自己中心の文化」では、コミュニケーション能力は「相手を説得するための手段」であるのに対して「間柄の文化」の日本では、「よい関係を築くための手段」となっており、また、「対話」も欧米社会では「自分の意見を押し通すための手段」であるのに対して、日本社会では「相手と調和して落としどころを探るためのものである』というものがあります。日本は、聖徳太子の十七条の憲法の第1条にある「和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。」の文化が根付いている国なのでしょう。

クリーニングとアイロンがけ

 なるべく「今日は何の日」は使いたくないのですが、最近はつい頼りがちです。今日は「929」の語呂合わせで「クリーニングの日」だそうです。私は、大学から社会人にかけて1人暮らしをしていたので、アイロンがけも自分でやっていました。社会人になってからは、週に5枚はワイシャツのアイロンがけをするわけですが、ある日ふと思いました。ワイシャツ1枚のクリーニング代が120円なので5枚で600円です。5枚洗濯してアイロンがけする時間と手間を考えると、クリーニングに出したほうがきれいになるし、いいんじゃないかと。そして、クリーニングに出す味を覚えました。今は、アイロンがけは私の仕事なので、クリーニングに出さずにアイロンがけしています。ただ、スーツは流石にクリーニングに出していますが、ワイシャツと違ってクリーニング代が高いので「出さなくても別に大丈夫じゃないかな」と思ったりしますが、「1年に1回だから出すか」とあきらめて出しています。クリーニングのプロの人の技をテレビで見たことがありますが、お気に入りの服にシミがついたときに、とってもらえたら本当にうれしいと思います。どこの世界にもプロはいますが、日本人の職人魂と研究熱心さはすごいと思います。皆さんは、どんな道でプロを目指しますか。天職に巡り会えるように頑張ってください。

パソコンの思い出

 今日9月28日は、NECが1979年に初めてパソコンを発売したのでパソコン記念日だそうです。私もパソコンとは長いつきあいになりますが、初めて買ったパソコンは、NECのB5ノートブックでした。28歳の時で、当時30万円くらいしたのを覚えています。(なんと内蔵ハードディスクは540MBしかありませんでした。それでも当時は最も多いほうでした) 今はパソコンが高機能で安くなって、隔世の感があります。学校での生徒1人1台パソコンも実現し、1980年代のマンガに定期試験をパソコンで受けているシーンがありましたが、近い将来現実になりそうですね、私が自宅で使っているSONYのノートパソコンは、もう13年使っています。デザインが気に入っているのでWindows7のサポートも切られていますが、使い続けています。これまでに使っていたノートパソコンは全部で6台ですが、平均使用年数は3年くらいですので、今のパソコンの使用年数がいかに長いかがわかります。学校では、9月に校長室のパソコンがデスクトップからノートになり、ワープロソフトの一太郎が使えなくなって、仕事に大変支障をきたしています。ただ、これからウェアラブル端末が進化して、キーボードは消滅し、しゃべればすべて済む時代がくるのも遠くないかもしれません。私が退職する前には、無理でしょうが・・・。皆さんが、社会人になるころにはどんなパソコン環境になっているでしょうか。世界中の人と端末を介して普通に話せる日も、近いかもしれません。

「耳」+「目」「心」=「?」

 以前に「吐く」が「叶う」になることについて、こじつけだとわかっていてもわかりやすくて好きだと書きました。今日は、それと同じくらいわかりやすい漢字について書きます。皆さんは、音に関する「きく」という漢字をいくつ書けますか。「聞く」「聴く」「訊く」がありますが、普通に使うのは「聞く」ですね、人の話を真摯な姿勢で聞くことを「傾聴」といいます。カウンセラーの聞く姿勢が「傾聴」です。「聴」は、「耳」に「目」と「心」をプラスしてできています。「+」を「プラス」でなく「十分な」ととってもいいかもしれません。相手をよく見て、心を込めて聞くのが「聴く」です。教師に求められるのも、「聴く」です。生徒や保護者の話を、いかに相手が「よく聴いてもらえた」と思えるまで聞けるか。途中で口を挟まないで聞けるか。相手の話をよく聞いてこそ、それを材料として説得力のある話ができます。「話し上手は、聞き上手」という言葉がありますが、私が真っ先に思い浮かぶのは、明石家さんまさんです。彼は、しゃべりがすごい印象が強いですが、ゲストの話をよく聞き、それらを繋げられる頭の良さがあるから、たくさんの人の話をうまくまとめられるトークができるのだと思います。昨今の学校教育では、学び合う対話的活動が重視されていますが、話をよく聞いてくれる人には好感がもてますよね。皆さんも、自分の意見をよく聴いてもらえるように、相手の話をよく聴けるようになってください。

firework? flowerじゃなくて?

 雨が心配されていましたが、24日(土)の18時30分から大泉の花火大会が実施されました。刀水橋の東側が打ち上げ場所だったので、利根川を挟んで自宅からよく見えました。コロナで自粛になってから、今年は花火大会もやっと復活してきましたが、やっぱり実際の花火はいいですね。腹に響く「ドン!」という音が心地良いです。中心から円形に広がるのではないグラデーションの花火は初めて見ました。この2年で花火も進化していますね。全国で花火大会が中止になって花火師の方々もさぞかし残念だったと思います。花火師は一人前になるまで10年以上かかるそうで、以前にテレビで仕事の様子を紹介していたのを見ましたが、本当に職人芸で日本人の感性が生きる仕事だなと思いました。VRが進化していますが、まだまだ本物にはかないません。風、匂い、音、気温など花火の光だけでない要素まで再現できるまでは、まだまだ時間がかかるでしょう。

 花火大会が終わると、暗くなった夜空を見上げ「祭りの後の寂しさ」を感じます。お金と時間と労力をかけて作った作品が、一瞬で輝いて消え去っていく。演奏されて消え去っていく音楽に似ていると思います。花火は、作ってくれた花火師さんに感謝し、しみじみと余韻をかみしめて見たいものです。ちなみに花火は英語で「firework」(火の作品)だそうですが、火の職人さんが作った作品ということですね。花火大会で打ち上げられる花火もいいですが、コンビニ等で買えて、みんなで庭で楽しめる花火もいいものですね、みなさんは、今年は花火をしましたか。夏の終わりに線香花火もいいものですよ。

どこまで進む世界終末時計

 昨日は、国際平和デーについて書きました。今日は、世界終末時計について書きたいと思います。見たり、聞いたりしたことがある人もいると思います。核戦争などによる人類の滅亡(終末)を『午前0時』になぞらえ、その終末までの残り時間を「0時まであと何分(秒)」という形で象徴的に示している時計です。実際に動く時計ではなく、一般的に時計の45分から正時までの部分を切り出した絵で表されています。米国の雑誌『原子力科学者会報』(Bulletin of the Atomic Scientists) の表紙絵として使われており、「運命の日」の時計あるいは単に終末時計とも言われています。創設された1947年には7分前で、その後1991年にソ連が崩壊した時に17分前になったのが最長で、2020年から100秒前になっており過去最短です。世界史を勉強して、第二次大戦後の世界で、どんなことが起こってきたかを知り、現在の状況がどうなのかを考えてください。特に日本周辺について。

紛争をなくすには・・・

 今日9月21日は、国際平和デー,世界の停戦と非暴力の日(International Day of Peace)だそうです。ウクライナとロシアは、戦争を停止したのでしょうか。
コスタリカの発案により1981年の国連総会によって制定され、当初は国連総会の通常会期の開催日である9月第3火曜日でしたが、2002年からは9月21日に固定されたそうです。2002年から、この日は「世界の停戦と非暴力の日」として実施され、この日一日は敵対行為を停止するよう全ての国、全ての人々に呼び掛けているそうです。

 私の漫画蔵書の中に「THE STAR」というものがあります。これは、演劇の素人が、世界的な俳優に成長する物語です。この最終回で、主人公が演技で世界中の紛争を停める話があります。漫画ではありますが、地球上のすべての場所から人類史上、初めて争いが消えたのです。残念ながら「平和のためには、とりあえず戦争が必要だ」という言葉もあります。日本では、江戸時代が泰平の世が長く続いた時代として記憶されていますが、そのために多くの血が流されました。そして、幕末にも多くの血が流されました。歴史や公民の授業を通して、平和を維持するためには、何が必要なのかを考えてください。

台風と運

 台風14号が、日本列島に爪痕を残して行きました。各地の被害状況をTVで見ながら、台風の進路予想から群馬県は今回も影響はあまり受けないだろうなと思っていましたが、やはりそのとおりになりました。今朝も生徒の登校時間は雨が止んでいて、1時間目が始まるくらいにザーザーと降ってきました。全く運がいいです。         TVでは、新築したばかりの家が浸水してしまい、「泣きたい」と言っている人が映っていました。沖縄や九州の人は、台風シーズンは何度も被害を受けて、気が休まらないのではないかと思います。災害が少ないところに住んでいると、被害のニュースを見るたびに何か申し訳ない気持ちになります。以前に天気のことについて、農家の方は明るくあきらめているということを書きました。自然の猛威の前には、人間なんて本当にちっぽけな存在で、あきらめるしかないのかと思います。ただ、ちっぽけなんだけど人間は強いなと思います。時間がかかってもあきらめずに復興して、手強い自然となんとかやってきているわけですから。これから科学が進んで、気候をコントロールする方法が見つかればいいんですけどね。台風を爆弾で消すなんて物騒な方法はなしで。これから修学旅行シーズンになりますが、コロナ禍でも今年は実施に向けて動いているところがほとんどだと思いますので、台風に邪魔されないように祈っています。

See you again next year!

 本日、無事オープンスクールが終わりました。先生方、生徒のみなさん、ありがとうございました。心配していた午後の天気も崩れることなく、部活動見学をしてもらえました。受付の40分前に正門を入ったところに女子生徒がいて、そこにいたら暑いよと思って見ていたら、日陰に歩いて行ったので安心しました。校内にあふれている中学3年生が、とても初々しく感じました。中学校の先輩と目があったのか、お互いに笑顔になっている様子も見られました。校内を巡回している中で、「こんにちは」と挨拶してくれる生徒も多くいました。授業中なので、控えめに答えました。教室の廊下側に張り出されていた大学ランキングを熱心に見ている生徒も見られました。もう志望大学が決まっているなら、本校の求める生徒像に合致しますね。高い目標に向かって努力が継続できる生徒を求めています。部活動も熱心に見ていましたが、どのような感想をもったでしょうか。学校説明会の動画や実演も好評でしたが、やはり実際に見てもらうと、熱気と迫力が伝わるのではないかと思います。ぜひ、合格して入学した暁には、部活で頑張って太東を盛り上げるために貢献してもらいたいと思います。今日、オープンスクールに参加してくれた皆さんが一人でも多く本校を志願してくれることを願っています。本日、本校に入学したいという思いを強くしてくれたなら、これからの受験勉強を諦めずに頑張ってください。応援しています。

ウェルカム トゥー 太東!

 さて、明日はオープンスクールです。各中学校から皆さんの後輩である中学3年生が、午前と午後に分散して来校します。皆さんの授業を受けている姿と、部活動の様子を見学します。太東を来年ぜひ受験したいと思わせられるようなかっこよく凜々しい姿を見せてください。校舎内の清掃も、今日は少し気合いを入れてやってもらえたと思います。ただ、残念ながら、明日の部活動の時間の天気が微妙です。なんとか6時まで雨が降らないように祈っています。皆さんの活気ある部活動の様子を、見て帰ってもらいたいですね。それでは、明日は太東のいいところをたくさん見て帰ってもらいましょう。今後の太東が、ますます元気になるように協力をよろしくお願いします。

球技大会無事終了に感謝!

 球技大会2日目が、終了しました。円滑な進行に協力してくれた関係部活の生徒のみなさん、企画運営に頑張ってくれた生徒会のみなさん、そして御指導いただいた先生方、ありがとうございました。登校時のマナーアップ運動中にも小雨がやまない状況には「あれっ?」と、心配になりましたが、昨日よりも大分気温が下がって、熱中症の危険度が下がってよかったです。昨日並に暑かったら、綱引きも大変だったでしょう。体育的行事の時は、いつも怪我人が出ないことを祈っていますが、700人以上の生徒がいて、熱くなって試合をしていますので、今までに勤務した学校で「怪我人ゼロ」は記憶にありません。つい、アドレナリンが出過ぎて、プレーも頑張りすぎることもあるでしょう。昔は、体育祭でも過激な競技が多かったため、怪我人も多かったと記憶しています。危ないということで、小中学校でも人間ピラミッドやタワーといったものは消えつつありますが、安全に十分配慮した上で、あえて困難なものに挑戦させるということも時には必要かなと個人的には思います。ただ、明らかに10段ピラミッドは、危険だと思いますが・・・。話がそれました。

 学校行事や学年次行事、クラス行事などは、勉強以外で、様々な力を伸ばす大事な教育活動です。学校は教科の勉強だけをする場ではなく、コミュニケーション能力や協働というものを学ぶ場でもあります。もちろん、対話的な活動が普通になって、教科学習でもそれらを同様に学ぶようになってきました。学校行事での感動が大きいほど、受験への切り替えもうまくいくということを、以前にブログで書きました。3年生のみなさん、思い出に残る球技大会になりましたか?受験勉強にも同じようにエネルギーを注いで頑張ってください。

球技大会1日目お疲れ様!

 球技大会1日目が、熱中症やけが人もなく、無事終了しました。生徒会のみなさん、各競技の進行担当の先生方や救護担当の先生方、大変お疲れ様でした。ありがとうございました。朝は、曇っていていい感じの天気でしたが、晴れて暑くなり、体育館の競技は暑くて大変そうでした。特にバドミントンをやっていた第二体育館は、サウナみたいな暑さで、昔、バドミントン部の試合の応援に行った時の暑さを思い出しました。バドミントンや卓球は、風の影響を受けないように締め切ってやるので、大変です。第一体育館も応援の生徒は中に入れないので、外に鈴なりになっていて、少し心配になりました。「きゃーっ」と歓声が聞こえると、ちゃんとマスクしてるよなと気になってしまいます。校庭でやっていた玉入れも、多くの生徒が参加していて、よかったです。いろいろと制限付きでの開催になってしまった今回の球技大会でしたが、思っていたよりも生徒のみなさんが楽しんでいる様子が見られてよかったです。あと1日ありますが、明日の朝は、発熱等の連絡がなく、全員無事で笑顔で閉会式ができるように祈っています。最後まで頑張って盛り上がりましょう。

球技大会の光と影

 明日は、いよいよ球技大会ですね。体育祭の時と違って天気の心配をしないで済んだのは良かったですが、代わりにコロナ感染が心配です。1、2学年が学年閉鎖しているところや、球技大会の後に感染者が増えたところもあります。原因は昼食時の会話だそうです。二日間、大いに楽しみ、クラスの親睦を深めてもらいたいですが、感染対策は十二分に注意して行ってください。特に3年次生は、大事な時期ですので、注意しすぎてしすぎることはありません。推薦入試の日に行けなくなるなんてことがないように、自己管理してください。新人戦もこれからです。怪我とコロナに気をつけましょう。
 さて、今日は私の球技大会の思い出について、少し語りましょう。中学・高校の球技大会は、バレーボールとバスケットボールに出ていましたが、楽しかったですね。教員になってからは、職員チームで、バレーボール、バスケットボール、テニスに出て、大人げなく優勝したこともありました。体力や筋力が衰えた分、テクニックでカバーしていた感じです。若い頃と同じ気持ちでやってしまうと、必ずケガしたり、どこか痛めたりします。今や、アキレス腱断裂、肉離れ二回、テニス肘治療中と満身創痍で、あちこちの身体の痛みと闘っています。若返りの薬を求めた権力者の気持ちが、今ならよくわかります(笑´∀`)。まぁ、つまらない年寄りの思い出話は、このくらいにしておきましょう。
 今回の球技大会は、思い切り応援することができずに非常に残念です。無観客試合の味気無さは、コロナ下で、実感しました。応援が選手に与える力は、非常に大きいものがあります。特にそれが異性なら、なおさらですね。それでは、二日間球技大会ができることに感謝して、ルールを守って楽しんでください。

9×9=81

 今日9月9日は、「重陽の節句」でしたが、たぶんみなさんにはあまりなじみがないでしょうね。平安時代の初めに中国より伝わったそうですが、古来中国では、奇数は縁起が良い「陽数」、偶数は縁起の悪い「陰数」と考えられ、陽数の最大値である「9」が重なる9月9日を「重陽」と呼び、節句の1つとしました。奇数の重なる日として「五節句」がありますが、1月7日(七草の節句)は、七草粥を食し、その年の健康を願います。3月3日(桃の節句)は、雛人形を飾り、ちらし寿しやはまぐりのお吸い物を食ベて、女の子の健やかな成長を願います。5月5日(端午の節句)は、五月人形やこいのぼりを飾り、男の子の健やかな成長と立身出世を願います。7月7日(七夕の節句)は、短冊に願いを書き笹に吊るし夢成就を願います。9月9日(重陽の節句)は、菊の薬効により健康を願います。旧暦の9月9日は、現在の10月中旬ごろにあたり、まさに菊が美しく咲く時期です。菊は「仙境に咲く霊薬」として、邪気を払い長寿の効能があると信じられていました。菊を行事に用いたため、重陽の節句は別名「菊の節句」とも呼ばれています。重陽の節句では、菊の香りを移した「菊酒」を飲んで邪気を払い無病息災や長寿を願います。
天皇家の菊の御紋は、鎌倉時代に後鳥羽上皇が用いたのが始めとされているようですが、「重陽の節句」と関係があるかどうかは不明です。単に好きなだけのようです。
 数字っておもしろいと私は思いますが、みなさんは1~0のどの数字が好きですか。私は昔から「3」と「9」ですが、日本人は「4」を「死」、「9」を「苦」として嫌う傾向があります。「13日の金曜日」という映画がヒットしてから、「13」を嫌がる人も増えたようですが、日本人にはあまり関係がないと思います。キリストの最後の晩餐に13人の人がいたことと、キリストが金曜日に磔刑に処せられたとされていることから、13日の金曜日が不吉であるとされるようになったからです。また、映画「オーメン」で有名になった「666」は、ヨハネ黙示録13章18節で、獣の数字とされており、転じて、俗に悪魔や、悪魔主義的なものを指す数字とされています。ラッキー7でおなじみの「7」も日本人には好かれる数字で、ウルトラセブンというヒーローもいます。「8」は「八」に直せば「末広がり」で縁起が良い数字になります。漫画「エイトマン」の主人公は、東八郎です。
私は、車を運転していて、つい前の車のナンバープレートを見て、歴史上の出来事を思い浮かべてみたり、数字を操作して計算してみたりしてしまいますが、変ですかね。タイトルの意味ですが、「ハチワンダイバー」という将棋マンガがあります。将棋盤のマス目は?

 

親や先生に雷を落とされないように!

 先日、夜中に雷が鳴り響きました。家がビリビリ震えるほどで、久しぶりに大きな雷でした。今は、雷が起こる原理、正体を知っているので、神様が怒っているとは考えませんが、昔の人にとっては、恐怖だったのでしょうね。学問の神様として、みなさんがこれから入試前に御世話になる菅原道真は、藤原氏の陰謀により太宰府に左遷され、失意のうちに亡くなりました。その後、疫病や日照り、天皇の皇子の相次ぐ病死、さらには清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出たことから、道真の祟りとして、怨霊を鎮めるために天神様として祀られました。その後、道真が優れた学者であったことから、学問の神として祀られるようになりました。
 日本での年間の落雷被害者数は平均約20人で、そのうち死亡者数が約13人。 死亡率は約70%です。 落雷に当たる確率は100万分の1とされ、世界での年間被害者数は1000人ほどですが、死亡率は約30%で、日本の落雷死亡率は世界的に見てもかなり高いといえます。雷で部活動中に亡くなる事故も起きていることから、雷が鳴ると部活をやめるようにしていますよね。確率が低いとは言え、間違ってもやっていいとは言えません。
 他にも不幸な死因としては、お風呂場での事故があります。厚生労働省の人口動態統計によると、2018年の家庭の浴槽での溺死者数は5398人で、前年比138人減、16年比で260人増でした。15年前の2004年の死者は2870人。この数字と比べると2倍近くに増えており、ここ数年は5000人前後で高止まりの傾向になっています。消費者庁が同統計などを分析した調査では、入浴中に何らかのアクシデントが起きて命を落とす人の数は年間約1万9000人と推計されるそうです。
 お風呂場での死亡は高齢者が圧倒的に多いですが、もっと意外な死因があります。平成16年の統計では、転倒や転落が8030人、同一平面ではない階段などからの転落は別で、695人、はしごからの転落は200人、樹木からの転落というものも28人います。昔、階段から落ちて亡くなる人が年間600人以上いるというのを雑学の本で読んで驚いたのを覚えていますが、道で転んで打ち所が悪くて亡くなる人が多いのにも驚きです。私も大学生の時、家の階段の踊り場からダダダダーンと落ちてお尻を激しく打ち、痛くて半日うつ伏せでベッドに寝ていたことがあります。そのくらいで済んでよかったです。運が悪ければ死んでいたかもしれません。
 みなさんも、お風呂場で寝たり、階段から落ちたりしないように気をつけましょう。

♪Yo!A~C~

 内外教育という小冊子の中で大阪大学名誉教授の小野田正利先生が「普通の教師が生きる学校 モンスター・ペアレント論を超えて」という連載をしています。その中でACジャパンの寛容ラップを紹介していました。有名なラッパーである呂布カルマさんを起用し、コンビニのレジでお金を出すのにもたつくおばあさんの後ろに立たせ、イライラしているふりから足でリズムを取り始めて、ラップを掛け合いを始めます。見たことがない人は、ぜひ、YouTubeで「ACジャパン寛容ラップ」で検索して視聴してみてください。それでは以下にそのやりとりを書きます。
男性客:「♪Yo!もしかして焦ってんのか おばーさん」「♪誰も怒ってなんかない」
    「♪アンタのペースでいいんだ 何も気にすんな」「♪自分らしく 堂々と生きるんだ」
おばあさん:「♪迷惑かけてしまってるなって」「♪焦ったらまさかの優しい発言」 
      「♪アタシも反省 見た目で判断」「♪もういらないわ 色眼鏡なんか」
男性客:「♪みんな違うの 当たり前」
おばあさん:「♪アタシはアタシで、アナタはアナタ」
男性客:「♪だれもができる」
おばあさん:「♪みんな持ってる」
(二人):「♪ひとり一人に リスペクト」
レジの女性:「♪たたくより たたえ合おう」「♪それが 優しい世界~」

私もずいぶんたくさんのACJAPAN(公共広告機構)のCMを見てきました。昭和天皇が崩御された時の前後は、テレビが番組自粛でACJAPANのCMがたくさん流れていたのを覚えています。大事なんだけれど、けっこう深刻な問題提起の内容のCMも多く、このラッパーのCMは、今まで見た中で一番明るく心に残るCMでした。このCMと同じ状況は、店での支払いだけでなく、銀行のキャッシュディスペンサーでもあります。別にお年寄りだけでなく、動作が遅いためにイライラされる人は、他にもいます。心に余裕があれば、待てるし、助けてあげられると思います。(お金を扱う場面では、誤解されるかもしれないので危険ですが) 色々な場所でクレーマーが増えて、昔より不寛容な人が増えたと言われますが、待つのが苦手な人や、我慢しなくなっている人が増えている気はします。

生きるということは誰かの世話を受けることを意味します。言葉は悪いですが、世話を受けることを「迷惑をかける」と言ったりします。「人様に迷惑をかけるんじゃない」は日本人がよく言うセリフですね。ただ、それはすべての人が、生まれてから死ぬまでお互い様のことです。「腹が立ったら10秒数えろ、それでもだめなら場所を変えて1分数えろ」という言葉があります。アンガーマネジメントという怒りをコントロールする方法を、小学校で学んでいるところもあります。「短気は損気」と言いますが、自分にとって損だということだけでなく、人に対して損害を与えるということを考えてほしいですね。寛容とは、心が広くて色々なことを受け入れられることを意味しますが、ギスギスした世の中にならないように、みんなが心に余裕をもって生きていけるようにしたいものです。みなさんは、心に余裕がありますか?

シャウト効果

 校長室にいると、校庭から野球部やサッカー部、日によってはチアリーディング部の元気のいい声が聞こえてきます。また、吹奏楽部の音やバスケ部のバッシュのスキール音が聞こえてきます。非常に活気にあふれている様子が伝わってきて、高校の放課後の音という感じで好きなのですが、十分離れずに大きい声を出していると、コロナが飛沫感染しそうで心配になります。大声を出すのは、ストレス発散になるし、練習を活気づけます。私はカラオケが好きですが、コロナ騒ぎが始まって2年以上、行けていません。仕方ないので通勤の車の中で歌っています。般若心経や光明真言を唱えたりもします。不気味ですかね。校歌を歌ったりもします。みんなスマホに入っているので、Bluetoothでカーステレオに繋いで流しています。
 皆さんは、「シャウト効果」って知っていますか?簡単に言うと大きな声を出すことで筋出力が高まる現象のことで、色々なスポーツで見られます。陸上ならハンマー投げややり投げ、砲丸投げなどの投擲競技で声を出す人が多いですね。テニスでも、ボールを打つ瞬間に絶えず声を出す選手がいます。もう引退してしまいましたが、女子のマリア=シャラポワ選手のかけ声は個性的でした。卓球の張本選手の「チョレイ!」は、決まった後なので、シャウト効果ではありません。勉強でも、シャウト効果で問題が解ければいいのですけどね。早く、気兼ねなくスポーツで大声が出せたり、マスクなしで歌が歌えるようになってほしいものです。そして、全校生徒が校歌を歌う姿を見たいです。

幸せの黄色い・・・

 先日の日曜日、久しぶりに天気がよかったので庭の芝刈りと除草をしました。3センチくらいの赤ちゃんだったカマキリが、10センチを超えるくらい大きくなって、会いに来てくれました。涼しくなったので、そのうちトカゲも塀の上に出てきてくれるでしょう。9月になって咲いたひまわりは、少し花びらが落ちてしまったものの、まだ咲いています。春から夏を過ぎて咲いてくれているのが黄色のバラです。赤のバラは5月で終わってしまいましたが、黄色のバラは、まだつぼみをつけて咲き続けています。朝に余裕があれば、庭に出て花に水をやり、玄関の花にも水をやれますが、余裕がないと庭はいいとしても玄関の花はすぐにしおれてしまいます。夏場は特にすぐです。帰ってきて、しおれているのを見て、すぐ水をやりますが、手遅れの場合もあります。忙しくても花に水をやり、咲き具合を見るくらいの余裕はもちたいものです。みなさんは、通学途中で咲いている花を見る余裕はありますか。私は、昔担任をしていた時に、一輪挿しを黒板の横に付けて、花を飾っていた時がありました。高校の教室は、小学校に比べると寂しいので掲示物等にも工夫していました。花の話題で思い出した話を紹介します。
 ある中学校の校長先生が初任者への課題として「小さな花瓶(一輪挿し)に花を生けて、常にそれを絶やさないこと」を課しました。条件は、生ける花は学校の敷地内から探すこと。意図は、①校地内の花を探すことで、生徒の色々な姿が見えてくること。たばこの吸い殻を発見するかもしれないし、校舎の裏で集まって秘密の話をしているかもしれない。教室と職員室の往復だけで終わらずに、動くことで発見する大切さを学んで欲しかったのです。②生けられた花が教員の気持ちを映す鏡となること。枯れたままいつまでも花瓶に残っている花は、何らかの援助を求めているサインと受け止めて助言を心掛けました。③花瓶から教師の在り方を学ぶこと。花瓶は花が生けられてはじめてその役目を果たします。花を引き立てることに花瓶の使命があり、花を忘れて自らを主張することは花瓶の本領ではありません。当然ながら花は生徒です。

あなたのくじ引きの思い出は?

 今日9月2日は、「く(9)じ(2)」の語呂合せから宝くじの日です。第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)宝くじ部が1967年に制定しました。宝くじの起源は、江戸時代の初期にあるそうですが、当時は富くじと呼ばれていました。神社や寺の修復費用を集めるなどの目的で発行されていたそうです。現在の宝くじの正式名称は「当せん金付証票」で賭博一般を指す普通名詞は正式には「宝くじ」ではなく「富くじ」だそうです。「当せん金」「抽せん会」などの「せん」の字は、漢字では「籤」(せん、くじ)と書き、「籤」が当用漢字に入れられなかったため、法令では「当せん」と書かれているそうです。よく見る「当選」という表記は日本新聞協会が定めた「同音の漢字による書きかえ」によるものだそうです。テレビで宝くじのCM(例の兄弟設定の俳優たちが騒がしい)をよく見ますし、宝くじ売り場に並んでいる人もよく見ます。そんな光景を見るたびに「みんな夢があるんだなぁ」と思います。実は、私は宝くじを買ったことがありません。確率的に悪いと思っているからです。夢がありませんね。宝くじを買うなら、競馬とかのほうがいいかなと思っています。(宝くじファンの方、ごめんなさい) ちょっと話題が教育的でない気がしますので、くじ本来の話に戻します。先日、席替えのことを書きましたが、学校の中でくじ引きすることは少なくないような気がします。何かを決める時に、話し合いで決まらない場合はくじ引きで決めていましたね。係や委員会、体育祭や球技大会の選手決め、教室やバスの座席決めなどで、人気があるものか逆になりたくないものかでくじ引きやジャンケンがされていましたね。ただ、それくらいはかわいいもので、日本史上、最も重大なくじ引きと言えば、室町幕府第6代将軍を決めたくじ引きです。今で言えば総理大臣をくじ引きで決めるようなものです。今、総理大臣になると大変だから、なり手がいない。仕方ない、くじで決めよう、ということです。詳しくは日本史の授業で教わるか、興味をもったら自分で調べましょう。

 「外れくじを引いた」という表現がありますが、それについてこんな言葉があります。『人事異動でも何でも世間の誰もが「外れくじ」と思う出来事ってありますね。でも、世間や周囲の人がどうあれ、自分だけは「このくじは当たりだ」と思うことが大事なんです。そのように考えたら、何事があろうと「人生すべて当たりくじ」じゃないですか。』塙昭彦(セブン&アイフードシステムズ社長)
 くじ引きは、最初に引こうが最後に引こうが確率的には一緒です。完全に運任せです。それでも、みなさんは積極的に一番に引くタイプですか、それとも「残り物には福がある」と、最後に引くタイプですか?みなさんの人生で一番重大なくじを引く時は、いつくるでしょうか?

  

 

地震、水害、火事、かかぁ?

 本日9月1日は、防災の日です。1923年9月1日11時58分に関東大震災が起こってから99年が過ぎました。10万5000人超の死者・行方不明者を出した未曾有の災害でした。それにちなみ1960年に「防災の日」が制定されるまでは、9月1日に行われる行事は、関東大震災犠牲者の慰霊祭が中心でしたが、「防災の日」が制定されてからは、全国各地で防災訓練が行われるようになりました。
 日本が地震大国であることは、みなさんご存じと思います。先日紹介したALTのエリシオ先生の出身地であるカリフォルニア州ロサンゼルスも地震が多いところです。日本に来た外国の人は地震に驚きますが、エリシオ先生はそうでもないかもしれませんね。単純な地震の発生数から見た順位では2015年、日本は2位のようです。一定の強度以上の年平均地震回数は、右の表のように5位です。地図は、マグニチュード5以上の地震発生地点をプロットで示したものですが、地理で教わったでしょうか。日本は塗りつぶされてしまっていますね。学校は、普通の住宅に比べて丈夫ですが、場所によっては倒壊や落下物等の危険がありますので、地震が起こった時は、落ち着いて行動してください。
 近年は、いわゆる線状降水帯やゲリラ豪雨による冠水や河川の氾濫などの水害が多くなっていますが、これからの季節は台風や秋雨前線による水害に特に注意が必要です。東毛地区は、大変災害が少ない地域で、テレビで災害のニュースを見るたびに自然災害で被害を被っている方々を気の毒に思う反面、災害の少ない地域に住めていることに感謝してしまいます。子どもの頃は台風がくると、不謹慎ですがわくわくしてしまいました。今は交通、観光業、農業など多くの人に被害を与えることがわかっていますし、学校の教育活動に影響があるので、台風がくると「来るな、進路がそれろ」と願っています。球技大会や修学旅行などの行事や部活の新人戦など、天候に左右される行事がこれからあります。みんなでよい天気になることを祈りましょう。

 ところで、タイトルは正しくは何だかわかりますよね。

宿題の日って・・・プラスにとらえよう!

 8月も今日で終わりですが、8月31日は「宿題の日」だそうです。昔は夏休みの最終日は8月31日が多かったのでそうなったようです。ただ、日本列島は南北に長いため、北海道など北の方や本州でも寒冷地では夏休みが短かいようですね。昔は、教室などに冷房設備がない場合が多く、暑さで授業が困難なので、その間を休業としたようですが、今はほとんどの学校で冷房が入っているので夏休みの意義は薄れていますね。もっとも現在の夏の暑さは昔と比べものにならないので、登下校だけで嫌になってしまうかもしれません。私は、39℃の教室で授業をしたことがあります。ぼーっとして頭が働かない状態で生徒も大変だったろうなと思います。

 マンガで、よく夏休み最後の日に宿題が終わらなくて親や友達に泣きついているシーンがありますが、みなさんは、どうでしたか?早めに終わらすタイプでしたか、最後まで先延ばしするタイプでしたか?絵日記や自由研究、夏休みの友(ドリル)、読書感想文、創意工夫作品、各種ポスターなどがありましたが、何に一番苦労しましたか。私は親に手伝ってもらった記憶はありませんが、自分の子供の宿題は手伝ってしまいました。なにしろ、今はお金を出せば宿題を代行してくれる時代ですから、親が手伝うのはかわいいものかもしれません。ただ、手伝うにも限度がありますけどね。
 「宿題の日」には、「勉強できる喜び」「教育の機会を提供する大切さ」を再認識してほしいという意味が込められているそうです。そのため「学べる喜びに気付く日」とも名付けられています。ユニセフ(国連児童基金)が発表した報告書によると、世界には学校で勉強したくてもできない5歳から17歳の子どもが3億300万人いるそうです。コロナで学校が休校になって、学校に行って勉強できることが当たり前ではないことに気付かされましたね。「学べる喜び」に早く気付けることを願っています。えっ?もう気付いてる?これは失礼しました。さすが、太東生です。

Welcome to Japan!

 とうとう夏休みが終わり、2学期が始まりました。みなさん、いいスタートがきれましたか。本日は、長いこと不在だったALTの先生を迎えることができました。

エリシオ=エンゾ先生です。アメリカのロサンゼルス出身で、大学では心理学を専攻し、趣味はスノーボードです。22歳のフレンドリーなナイスガイです。エリシオ先生の名前は、ギリシャ神話のエリシオンが語源かと最初思っていましたが、スペルが違うようでした。エリシオンなら日本語で「楽園、天国」という意味です。

 エリシオ先生は、一人で慣れない異国に来ています。もしかしたらホームシックになるやもしれません。みなさん、支えてあげてくださいね。私は、現場で何人かALTの先生を見てきましたが、日本人の奥さんがいて日本語ペラペラの人から、ほとんど日本語がしゃべれず、1年で帰ってしまった人まで色々でした。ぜひエリシオ先生には、日本が好きになってほしいと願っています。日本食を始めとする日本文化について、よいところを教えてあげてください。群馬は、うどん、焼きそば、スパゲティ、ラーメン、もんじゃ焼き、たこ焼きなど小麦粉の食文化の県です。上野・下野は、毛野国と呼ばれ、毛は麦を表しています。また、群馬はスキー場と温泉の県でもあります。ぜひ、エリシオ先生には、冬になったら温泉とスノーボードを楽しんでもらいたいと思います。

 それでは、エリシオ先生によく教わって、英語の力を伸ばしつつ日米交流を深めてください。先生が驚くくらい元気な声で、あいさつしてくださいね。

 

学園天国

 明日から2学期が始まります。8月2日を最後に、このブログも長いこと休んでいました。今日はウォーミングアップとして、内外教育という資料の巻頭コラムで上越教育大学名誉教授の新井郁男先生が席替えの思い出について書いていたので席替えについてつぶやいて(語って)みたいと思います。新井教授のコラムの概要は以下のとおりです。
 『私が、長野県須坂市立中学校2年の夏休みにクラスで市営施設に宿泊していた夜のこと、男子が寝ている大広間に担任がやってきて、全員に「好きな子がいたら名前をいいなさい」と言ったので、私は伝えました。すると2学期最初の席替えで、好きだと伝えた子の隣になりました。今まで座席は自由であり男子は男子同士で座っていたのを担任の先生が変えようとしたのです。それをきっかけにその子と仲良くなれました。教育に関する研究に携わるようになり、学校における席の配置について気になっています。机の並べ方は、ペアやグループなど学び合いが普通に行われるようになって色々な型が考えられてきましたが、児童生徒をどう配置するかについては、統一した考えがあるようには思えません。教師の考え方や子供たちの気持ちを聞いてみたいです。』
 この話を読んで、みなさんはどう思いましたか。「なんて、いい先生だ。うらやましい」と素直に思った人、「この先生は、女子の気持ちも聞いてマッチングした二人だけ隣にしたのか?」と疑問をもち、鋭く突っ込んだ人。「よく、先生に好きな子の名前を教えるなぁ、俺には無理だわ」と冷めている人。いろいろな感想・意見をもったと思いますが、共学校で席替えってけっこう重要じゃないですか?私は男子校だったので、どうでもよかったですが(笑) 。昔、フィンガー5という五人組の兄弟アイドルがいて、そのヒット曲に「学園天国」というのがありました。1974年の3月にリリースされ、ヒットした時私は小学5年生でした。「学園天国」は、好きな女の子の隣の席争奪戦ともいうべき内容です。「勉強する気もしない気も、この席替えにかかっている」ことを歌っています。小泉今日子さんもカバーしていました。私が担任をもっていたころ、席替えは1ヶ月に1回していました。一番の目的は、クラス全員と話せるようにすることです、最初は計算して席替えしていますが、後半はLHRでイベント化して、盛り上げることもしました。視聴覚室で座席をパソコン画面で映して、くじ引きで順番に座りたい席を選んでもらい、埋まった席は色をつけていきます。名前の入力は別シートなので、誰がどこを選んだかは最後までわかりません。そして全員の名前が入ったら、後ろの席や窓際から順番に開けていきます。開ける度に歓喜と悲嘆の声があがります。昔は、LHRで各クラス自由裁量の時間が少なからずあったので、調理実習や球技大会、その他レクリエーションなどがやれました。みんなクラスの友達と知り合い、仲良くなるための手段でしたので、やりたいことがあれば生徒からも企画を出してもらいました。たかが席替え、されど席替えです。みなさんは、席替えにどんな思い出がありますか。

 

伝統を高めて伝える者に

 今日は、猛暑の中、太田市民会館で学校説明会を午前午後の2回に分けて実施しました。午前の部が終わり、12時すぎに昼食を食べに行くため車に乗り込むと、車外気温が43℃と表示されました。「暑いぞ!熊谷」在住の私も流石にげんなりとしました。さらに自宅に帰ったのは6時少し前でしたが、車外気温はまだ39℃で「この時間で、まだ39℃?」と叫んでいました。熊谷に住み、教員生活の中で館林・伊勢崎勤務が22年と3分の2以上を占め、暑いところに縁がある私にとっても、今日の暑さは格別でした。

 話が横道にそれましたが、そんな猛暑の中、学校説明会に1400人以上の方々に御来場いただき、大変有り難く思いました。生徒会の生徒を中心に多くの生徒の皆さんに企画・運営を手伝ってもらい、成功裏に終えることができました。ありがとうございました。また、多くの先生方にお骨折りいただき、無事に終えることができました。ありがどうございました。生徒の皆さんは、学校説明会に参加した中学3年生を見て、「ついこの前、客席側にいた自分が、今は学校の説明をしているなんて、なんか変な感じだなぁ」と感慨深く思ったでしょうか。太東を、ますます盛り上げて、素敵な高校にするために、太東の素晴らしさを中学生に伝えて、入学志願者を増やすことが、自分たちのためにもなります。太東をおもしろくするための同士を勧誘することが、今の私たちに与えられた使命です(大袈裟ですね)。

 40年かけて生成・継承されてきた太東の校風は、男女共学の良さを体現しています。私が平成16年3月の太東の離任式で、生徒の皆さんに言った言葉は、「みなさんが先輩から受け継いだものを、より高めて後輩に伝えてください」でした。果たして気付いた人がいたかどうかわかりませんが、マンガの『エースをねらえ!』でお蝶夫人が岡ひろみに言った言葉をもじったものです。よき伝統は、連綿と先輩から後輩へと受け継がれ、さらによいものへと進化していきます。よい連鎖を生み出し、よくなっていく母校を見続けたいとは思いませんか。

「IJIME」

 今日は、本校を主会場として太田地区の「いじめ防止フォーラム」が開催されました。太田市内の6校の高校を拠点校として、近隣の小中高校・特別支援学校から学校代表の児童・生徒が集まり、オンラインでいじめ防止の話し合いをしました。本校の生徒会長が総合司会をし、他の生徒会役員にも色々と手伝ってもらいました。ありがとうございました。拠点校の先生方や、引率の先生方、保護者の皆さん、猛暑の中大変お世話になりました。

 開会の挨拶では言えなかったこともありました。いじめで自殺に追い込まれるほど被害を受けている子どもがいて救済もできていない一方で、本来ならいじめだとは言えないことが重大事案になってしまうことや、「いじめ利得」などという問題も生じているようです。(ここでは詳細は書きません。自分で調べてみてください。) 深刻ないじめに遭っている子どもからすれば、いじめっ子が良い子になっていじめをやめてくれるなんて、悠長に待ってはいられません。心の教育は時間がかかるし、万全ではありません。もし、万全ならそれは完璧な洗脳になります。いじめられている子をすぐに救うためのシステム(ちゃんと機能する)を作ることが求められます。『逃げるは恥ではないし、役に立つ』ことを、最悪でも教える必要があります。

 私は、いじめを防止するためには、幼稚園や小学校から徹底的に「いじめは絶対許さない」という断固たる姿勢をまず先生が貫くことが必要だと思います。そこには、いじめに対する高感度のアンテナ(察する力)が必要です。どこかの中学校みたいに先生が先生をいじめていて事件になるなんて言語道断です。現在は、ジャイアンとのび太のようにいじめる側といじめられる側が固定されているのではなく、その立場が逆転することも多々あります。アンケートでいじめたこともいじめられたこともあると答える生徒が多いように、次は自分がいじめのターゲットになるのではないかと怯えて傍観者を装ってしまう。そうさせないためには、先生が、学校がみんなを守るという確固たる姿勢が求められます。

『いじめ防止は、「いじめたい心」の理解から始まる。』あるいじめ関係の本の中の一節です。『いじめは絶対悪』からスタートすると、思考停止して根本的な解決策、つまり「いじめたい心」を消すことはできないのではないかと考えます。学校はすべてのカリキュラムを通して、良好な人間関係を形成する力をつけるために、ソーシャルエクササイズをするところです。どんなときにどんな気持ちになるのかを、小さい時から失敗しながら学び合うことが大事です。

「いじめ」は、心と体への傷害罪であり、重大な人権侵害です。泥棒を「万引き」と置き換えて、罪の意識を軽くし、親に「返せばいいんだろう」と言わしめる問題。それと同様に、いじめをふざけだとか軽くとらえてしまう意識の低さの問題。いじめは学校だけの問題でなく、人間社会全体の問題です。ですから、いじめ防止フォーラムも児童・生徒だけでなく、地域の大人も巻き込んだものになってほしいです。小学生から「おじさんの会社では、いじめはないのですか」「いじめは止められないのですか」と質問された時、どう答えるでしょうか。

自由研究ってワクワク?

 令和4年度第1学期も今日で終わりです。このブログも宣言どおり何とか続けてこられました。夏季休業中は、原則休むことになりますが、何か書きたいことがあればつぶやくことにします。ところで、みなさん「夏休み」が楽しかったのって小学生までですか?
 「自由って辛い」「自由って楽しい」みなさんは、どっちですか?実は、人は「自由」を欲しているにも関わらず、「本当の自由」を与えられると困るようです。頭の中の考えるという行為以外は、全ての行動に責任がついてまわるからです。夏季休業中に、課題も課外授業もなく、部活動もなく、全部自分1人で考えてやらなければならないとしたらどうですか?「誰からも指示されない、束縛されない、自分で全て決められるなんて、サイコー!」って思える人は最高です。確固たる意志と計画力、実行力がある人ですね。ただ、本来は太東の生徒全員にそうなってほしいのです。「主体性」を身に付け、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」を自分で伸ばせるようになってほしいのです。「自己教育力」を身に付けてほしいのです。大学に入ると高校よりも自由度が高まります。ただ、最近は新入生にやめられると経営上困るので、色々と世話してくれる大学が増えています。自ら考えて動くというより、高校の時のように手取り足取り支援してもらえるほうがありがたい、してくれないと困ると思う人が増えているのでしょうか。
「私たちは自由、個性や主体性といった聞こえのいい言葉に踊らされがちである。学校は一定の強制力をもって身に付けるべき知識を身に付けさせることに基本的な存在意義があるともいえる。各人の個性に任せて自由で主体的な学習に期待したとしても学習が広く深くなる保証は全くない。むしろ現実はその逆であることを示している。」 この言葉に反発して、太東で主体性を身に付けてください。それでは、よい「夏季休業」を!

スマイル¥0は今

 昨日は、日本マクドナルドが1996年に制定したハンバーガーの日でもありました。日本人で高齢者を除いて、マックのハンバーガーを食べたことがない人は、どれくらいいるんでしょうね。1971年7月20日、東京・銀座の三越内に日本マクドナルドの1号店が開店しました。この日は1万人以上の客がつめかけ、1日で100万円以上の売り上げを記録したそうです。マックの商売上手というか戦略上手なところは、ハッピーセットですね。子どもの時にマックの味を覚えさせて、大人になっても、子どもができてもリピーターとして来てもらえるようにする。まさに「損して得取れ」ですね。そしておまけが大事です。おまけ欲しさに商品を買わせるというのは、昔からの企業戦略です。古くは仮面ライダースナックが有名ですが、小学生が箱買いして、カードだけ取り、スナックは捨てるという行為が社会問題になりました。お店のドブに食べられていないスナックが捨てられている光景がよく見られました。それにしても、日本の菓子のおまけは、高品質ですよね。私は、昔、お菓子のおまけの色々なハンコを集めていて、提出されたプリントやノートの確認印に使っていました。話がそれてしまいましたが、私が高校生の時にモスバーガーが出店し、初めて食べた時は、そのおいしさに感動しました。それ以来、多少高くとも個人的にはモスが好きです。顧客を獲得し売り上げを伸ばすために、商品そのものに工夫を凝らすのはもちろんですが、「料理は値段に見合ったものしかできない。しかし、サービスは青天井で、いくらでもよくすることができる。」と某日本料理店の創業者が言っているように、マックの「スマイル¥0」も、重要な戦略ですね。日本の接客サービスの良さには外国人が驚いて感激しています。あるコンビニで挨拶を徹底したら、クレームが激減したそうですが、接客サービスの基本はやはり「笑顔と挨拶」なんですね。みなさんもお金をかけずに将来仕事で役に立つ「笑顔と挨拶」を太東で鍛錬してください。

国民の祝日考

 先日の18日は「海の日」でお休みでしたが、もともとは今日20日が「海の日」でした。戦後、1948(昭和23)年7月20日に祝日法が公布・即日施行され、9つの国民の祝日が制定されました。最初は、元日・成人の日・春分の日・(昭和)天皇誕生日・憲法記念日・こどもの日・秋分の日・文化の日・勤労感謝の日、の9つでした。この日以後、各祝日の日付けや名称などは適時修正・追加・廃止されてきました。「海の日」は、1996年から国民の祝日として施行され、2003年から7月の第3月曜日に変更されました。いわゆる「ハッピーマンデー制度」によって関係法が改正され、「成人の日」「体育の日」が2000年に、「海の日」「敬老の日」が2003年に、それぞれ〇月第〇週の月曜日に移動しました。生徒の皆さんは当時まだ生まれていないので、元々の日は知らないわけです。天皇誕生日は、天皇の代替わりによって4月29日→12月23日→2月23日に変わり、4月29日は当初「みどりの日」でしたが、2006年から「昭和の日」となり、「みどりの日」は5月4日に移動しました。また、2020年に「体育の日」は「スポーツの日」になりました。1954年にできた「敬老の日」が元々は「としよりの日」で、もっといい呼び方にしようということで1966年に改称されたことは、今回調べていて初めて知りました。「山の日」は2016年に新設されましたが、明確な根拠はなく「どうして海の日はあるのに山の日はないのか」という疑問が出発点で、1995年に「海の日」が制定されると、山梨県などの一部地域が独自に山の日を制定し始め、2010年には山岳に関する5つの団体により、山の日制定の運動が全国的に展開され祝日法の改正につながったようです。

 休みが増えるならなんでもいいやと、考えるかもしれませんが、日本は海洋国家であり、陸地の国土の面積は約38万平方kmで、世界第60位の大きさですが、領海と排他的経済水域を足した面積は約447万平方kmあり、なんと世界第6位です。その広さは日本の国土の約12倍なのです。また、一方で国土の7割弱が森林であることから、山を身近に感じられる国です。「海の日」「山の日」は日本にふさわしい祝日なのかもしれません。

 国民の祝日について、頭の中が少し整理されましたか。16日全部言えますか?ちなみに祝日が1日もない月は、6月と12月ですが、特に6月は5月とのギャップから休みが少ないというイメージが強いですね。世の中には、休みなんかほとんどないよという人もいるかもしれませんが、休まないと仕事も勉強も効率が上がりませんので、適度な休養は必要です。「寝るのはバカだ。みんな寝過ぎだ。私は死んだ後、たっぷり寝る。」と言ったのはエジソンですが、凄すぎて笑えます。受験勉強も、昔は「4当5落」(4時間睡眠の人は合格、5時間以上寝る人は不合格)なんて言葉もありましたが、今はできる人はしっかり睡眠をとっているというデータがありますので、生徒の皆さんも良質な休みをとって身体と脳のコンディションを整えて「受験の天王山」の夏を乗り切ってください。

※「ハッピーマンデー制度」・・・祝日と週休2日制をつなげ、3連休以上の期間を増やすため、国民の祝日の一部を従来の日付から特定の月曜日に移動させる制度。 連休の日数を増やすことで観光業や運輸業などを活性化する目的で設けられた。

本当に恐いのは・・・

 先日、本屋で久しぶりに妖怪・怨霊特集の本を見つけ、つい買ってしまいました。同じような本をたくさん持っていますが、何か違ったまとめ方がされていたり、見たことがない図版が載っていたりすると買ってしまいます。小学生の頃から妖怪の本が好きで、「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる先生のファンでした。恐怖マンガも同様に好きで楳図かずお先生のファンでした。妖怪マンガの第一人者が水木先生、恐怖マンガの第一人者が楳図先生ということに疑問をもつ人はいないと思います。そのくらい両先生はすごいです。水木先生は、残念ながら2015年に亡くなってしまいましたが、楳図先生は、86歳で健在です。楳図先生の代表作は、「漂流教室」「おろち」「恐怖」「猫目小僧」「わたしは真悟」「14歳」「神の左手悪魔の右手」などがあり、「まことちゃん」や「アゲイン」などギャグ漫画も描いています。マンガは、「おろち」のパロディです。
 妖怪や怨霊、幽霊、地獄などは絵巻や浮世絵などに描かれ、現代に伝わっています。日本の幽霊に足がないのは、円山応挙が描いた頼りなげな幽霊の絵があまりにも有名になったからと言われています。妖怪の起源は、奈良時代に書かれた「古事記」や「日本書紀」に出てくるヤマタノオロチや鬼のようです。平安時代には「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」など怪異にまつわる説話集が編まれました。水木先生もマンガとして描いています。江戸時代には、妖怪ブームも起こっています。怨霊として日本史上有名なのは、菅原道真や崇徳上皇、平将門、後鳥羽上皇でしょう。私は、20年前の8月27日に太東のオープンスクールの体験授業を視聴覚室で行いました。「歴史の光と闇…怨霊と妖怪」というテーマに興味をもってもらえたのか中学生と保護者で満員御礼でした。ビデオ映像を活用した25分間の授業の冒頭で、次のような話をしました。
「歴史は人間が残した営み、つまり活動記録ですが、その量は膨大です。その中から歴史家や政権担当者が重要だと考えたものが、歴史書としてまとめられ、特に教科書等に簡潔にまとめられているわけです。今、私には光があたっています。そのせいで陰もできています。その明るさ暗さは一様ではありません。最も明るい部分が教科書に相当すると考えてください。では最も暗い部分は何に相当するのでしょうか。完全に歴史上の勝者によってその存在を消されてしまった人々にあたるわけです。光の当たり具合は中心部と周辺部で違います。それは京都とそれ以外、関東・東北や九州を意味し、天皇と征服された人々を意味します。もし、みなさんが東北地方の人で、教科書に「東北の蝦夷(野蛮人という意味です)に朝廷が征討軍を送り服属させた」という記述を見た時、どう思いますか。立場を変えて記述するとどうなるでしょう。これはすべての歴史的事実の記述に言えることです。例えば原爆投下に関するアメリカと日本の立場のように。ですから、光をあてられた歴史だけを与えられたとき、陰の部分に想像力が働かないということにもなりかねません。教科書は悪く言えば、国民に共通の価値観をもたせる巨大な洗脳の道具にもなります。歴史を勉強する上で、そんなことを頭の隅においてもらえればと思います。」
 昔から現在まで殺し合いがなくならない人間に比べれば、妖怪やお化けなんて可愛いものと言えるかもしれません。

にこん♡

 今、授業では「主体的・対話的で深い学び」を目指しています。対話的な学びには、友人や先生、みらい学での講師の方々などとの対話によって学び会うだけでなく、本やその他の媒体を通して、過去現在の優れた人々と対話をすることも含まれています。そうして、たくさんの多様な考えを知ることによって「生きる力」をつけることができます。よくいうところの「座右の銘」とは、生きていく上で心の支え、指針となる言葉のことです。私は、覚えておきたい言葉を書き留める(実際にはエクセルに入力する)ようになってから20年が経ちました。一般的な言葉と教育関係の言葉に分けてありますが、現在3700くらいになっています。ブログの中でも内容に合わせて紹介していますが、今日は二つ紹介します。

「而今」にこんと読みます。語感が可愛いので気に入っていますが、「今」を大切に生きることです。戻ってこない「過去」や、まだ起きていない「未来」にとらわれ、後悔したり、不安を抱くのは、「今」をきちんと生きているとはいえません。人は、心配しても仕方がないことや後悔しても意味がないことを考えてしまいがちです。今に力を集中することで未来は開けます。

「一日一生」仏教の教えです。朝、起きると自分が生きて呼吸していることに感謝する。昼は、自分が平和な世界にいることに感謝する。そして、夜は1日が無事に終わったことに感謝する。それさえできれば、1日は一生と同じくらい貴重なものになるという意味です。その前に「人間として生まれたことに感謝する」「地球に生まれたことに感謝する」「日本に生まれたことに感謝する」ということがあるかもしれません。

 太東での学びが「主体的・対話的で深い学び」となるように、1日を大事にしていきましょう。

レボリューションって、カッコいい?

 今日7月14日は、フランスの建国記念日であり、ペリーが日本に上陸し日本の開国が促された日でもあります。1789年のこの日、パリ市民がバスティーユ監獄を襲撃・占領し、これがフランス革命の始まりとなりました。そして、1853年のこの日(旧暦嘉永6年6月9日)には、アメリカの4隻の黒船艦隊が江戸湾の浦賀沖に現れ、ペリー提督が久里浜に上陸して将軍への親書を渡し、翌年「日米和親条約」が結ばれ、日本は開国することになりました。両方とも日本史と世界史で勉強する重要な史実ですが、非常に対照的な史実が同じ日だったことが面白かったので、少しつぶやく?ことにしました。 

 革命とは、①天命が革(あらた)まること。前の王朝が倒れて別の王朝がかわって統治者となること。易姓革命。②被支配階級が、支配階級を倒して政治権力を握り、国家や社会の組織を根本的に変えること。と定義されていますが、日本ではクーデター(政変)はあっても革命(レボリューション)はなかったとされています。それは、クーデターが、同一支配層内部での権力移動であり、革命は体制そのものを変革するものだからです。日本では一揆が革命に発展することはありませんでした。

 日本は外圧でしか変われないということが以前から揶揄されていますが、革命を起こした他国が優れているということではなく、国民性や地域性など条件が違えば歴史が変わってくるのは当然ですので、日本では革命が起こる必然性がなかったとも言えます。世界史総合や世界史探究で扱うような大きなテーマです。日本では天皇制とも大きく関係していることですが、125代、2700年にわたって万世一系の天皇が存在しているなどという国は、他にありません。ただ、初代の神武天皇から25代目の武烈天皇までは、実在したかどうかは不明確です。

 昨日は、日本史・世界史・生物の授業を参観し、生物が顕微鏡を使った観察実験だったので生物について書こうかなと思いつつ、前日の野球以外のスポーツ漫画についてもありかなと迷っていたところ、上記の意外な事実に気付いたので地歴公民の教師としては、こちらを選んでしまいました。余談の余談ですが「レボリューション」が曲名に入ったものの中で、好きなのは、渡辺美里の『My Revolution』とSuperfly の『タマシイレボリューション』ですね。「天才バカボン」のレレレのおじさんと「ベルサイユのばら」のオスカルを共演させた漫画は、30年くらい前に現代社会のレジュメに載せたものです。(我ながら、くだらないものを描いたなと思います)

『この映画恐いね』と君が言ったから7月13日はオカルト記念日

 今日、7月13日はオカルト記念日です。1974年のこの日、映画『エクソシスト』が日本で初公開され、オカルトブームの火附け役となったからだそうです。実は、私の記念すべき初映画鑑賞が、この「エクソシスト」でした。小学校5年生の時で、友達5、6人と観に行きましたが、恐くて1週間くらい、夜にトイレに行けませんでした。友達の1人は、「恐いシーンが終わったら、教えてくれ」と恐いシーンでずっと目をつぶっていましたが、何のために来たんだよと思っていました。ちなみに「エクソシスト」とは、悪魔払いの祈祷師のことで、少女に憑依した悪魔を払う神父の戦いを描いています。悪魔に取り憑かれた少女の変化がすさまじく、まだCGがない時代ですから、少女の演技が素晴らしかったということになります。日本のオカルト映画で恐いものというと「リング」や「呪怨」が有名ですが、私は「エクソシスト」のほうが恐かったです。観たのが子どもの時か大人の時かで随分違うかもしれませんが。
 「オカルト」は科学では説明がつかない神秘的な出来事や超自然的なものを指す言葉ですが、似ている言葉に「カルト」があります。英語圏では正統的キリスト教を「教会」、その分派を「セクト」とよぶのに対し、異端的または異教的小集団を「カルト」と呼び、オウム真理教の地下鉄サリン事件以降、.過激で異端的な新興宗教集団をさす言葉として定着しました。今回の安倍元総理の殺害事件で、昔、霊感商法などで問題となった、ある宗教団体がクローズアップされました。皆さんは、大学入学後に多くのサークルから勧誘されることと思いますが、その中には怪しげな団体もあります。もちろん、表向きは健全なサークルを装っていますので、地方から出てきた新入生が騙されやすいのです。もう一つ、近年定着した「スピリチュアル」という言葉があります。占いや霊的なもの、オカルトなどを指して使われますが、こちらのほうが柔らかい感じがするため、誤ってハマると人生が台無しになることもあります。理系の高学歴者がオウム真理教の幹部に多くいて話題になりましたが、宗教教育の大切さと危うさとは、宗教絡みの事件が起こる度に実感します。人の弱くなっている心につけ込んで、お金を巻き上げようとする輩に騙されないように、非科学的なことを安易に信じたりしないで、「なんか、おかしいぞ」という感覚をもったら、立ち止まって考え、信頼できる人に相談するようにしてください。タイトルの意味がわからない人は、サラダ記念日で検索してください。

熱闘!高校野球

 昨日は、野球部の第104回全国高等学校野球選手権大会の県予選第一回戦の応援に敷島球場に行ってきました。ジリジリきて痛い暑さの中、吹奏楽部とチアリーディングの生徒の皆さん、応援ありがとうございました。保護者の皆様、引率の先生方、お疲れ様でした。3時間半を超える熱戦を戦い抜き、大差をつけられても諦めることなくプレーし、中盤に一度は逆転したものの最後はあと一歩及ばず15対14で惜しくも敗れました。野球部の皆さん、監督・顧問の先生方、マネージャーの皆さん、お疲れ様でした。この悔しさをバネに秋に向けて頑張ってください。応援にも力が入る、これぞ高校野球といういい試合でした。「俺はキャプテン」という漫画の中で主人公が「日本の夏は甲子園があるから美しいんだ」というセリフがあったと記憶していますが、もはや高校野球は日本の文化、日本の夏の風物詩となっていると思います。
 私は小学生の頃から野球は好きで(毎日、夕食時に父親がナイターを観ていたせいか)、野球漫画も400冊くらい持っています。単行本を持っていなくても読んだことがある野球漫画は40以上です。ただ、調べたら今までに出版された野球漫画は440以上あるらしく予想以上でした。水島新司さん、ちばあきおさん、あだち充さんの三人で、私が持っている野球漫画の半分を占めます。野球漫画の第一人者と言えば、水島新司さんであることは疑いようがないですが、「男どアホウ甲子園」「ドカベン」「あぶさん」「一球さん」「野球狂の詩」「光の小次郎」「球道くん」「おはようKジロー」など高校野球とプロ野球がメインです。「キャプテン」「プレイボール」のちばあきおさんは、中学・高校野球です。あだち充さんは、「ナイン」「ああ!青春の甲子園」「タッチ」「MIX」「H2」「クロスゲーム」など、ほぼ高校野球専門ですね。リトルリーグからメジャーまで、また女子野球やソフトボールもありで、本当に日本人は野球が好きなんだなと思います。ただ、最近は少子化とサッカーやバスケ、バレー、テニスなど他のスポーツに競技人口が流れていて、各スポーツで子どもの取り合いみたいになっています。オリンピックの影響で、スケボやスノボをやる子どもも増えていますね。どのスポーツも将来のプレイヤーと観客増のため真剣です。
 『週刊少年ジャンプ』(集英社)の三大原則として語られていた「友情、努力、勝利」は、日本の典型的な少年漫画を表す標語です。ここに「豊かな人間性」「コミュニケーション能力」「協働」「自己肯定感」などの教育的要素が詰まっていますね。(漫画から学べることも多いんですよ。)

政治教育と宗教教育の大切さと危うさ

 参議院議員選挙が終わりました。選挙権をもった3年次生のみなさんは、投票に行きましたか?相変わらず全体の投票率は低かったようですが…。8日に安倍元総理が、応援演説中に銃撃されて亡くなったというニュースは世界を駆け巡りました。日本国内よりも世界で評価されていたことが、明らかになりました。総理を退いたとはいえ、まだ日本のためにやらなければならないと思っていることが多かったのではと思います。森友学園をめぐる公文書改ざんや加計学園問題、「桜を見る会」問題など負の側面もありましたが、安倍元総理の政治家としての実績は後世の人によって評価されることでしょう。
ロッキード事件で失脚した田中角栄元総理は、「マスコミ人も日本国民の一人だ。おれの悪口を書いて食していけるなら、それもまぁ結構なことではないか。政治家の評価は後世の人がするんだ。今悪口を言われても結構。悪口を言われている間は仕事をしてることなんだ。」と言っていましたが、政治家としての信念をもって命がけでやっているかどうかが問われるのだと思います。(別に悪いことを擁護しているわけではありません)
 日本の内閣総理大臣でテロにより死亡したのは、伊藤博文(初代)、原敬(19代)、高橋是清(20代)、濱口雄幸(27代)、犬養毅(29代)、齊藤実(30代)、安倍晋三(第90、96~98代)であり、戦後では安倍元総理が初めてです。濱口雄幸は正確には、亡くなったのは9ヶ月後で、テロで受けた傷が原因であることから入っています。テロリズムは、要人暗殺の意味で使われることが多いですが、警察庁組織令第39条では、「広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動」と規定されているので、今回はテロと呼べるのか疑問です。

 暗殺された歴史上の人物として有名だと思われるのは、マハトマ・ガンディー、ケネディ大統領、キング牧師、井伊直弼、坂本龍馬などです。彼らが暗殺された理由を調べてみてください。こうした事件が起こると、「許されない卑劣な行為」だと一様に非難の声があがりますが、虚しさが残ります。最後にフランスの哲学者ヴォルテールの言葉を紹介します。「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」 リーダーや政治家としての器の大きさを表現する言葉に「清濁併せ呑む」があります。大きな目標を達成するためには、自分の価値観や考え方にこだわらず、自分とは異なる意見も積極的に取り入れ、より良い答えを導き出そうとする姿勢が大切です。今回の選挙の結果、どうなるかを注視したいと思います。

なお、今回のテーマの意味については、読んだあなた自身で考えてみてください。

言霊か言魂か

 昨日は、芸術鑑賞教室として劇団四季のミュージカル『アラジン』を観に3年次生が東京に行ってきました。私は、引率で平成15年に『マンマ・ミーア』を観に行ったことを記憶しています。舞台装置のすごさや劇団員の方々の演技と歌の素晴らしさにひきこまれ、楽しい時間を過ごさせてもらいました。今回も引率された先生方から、生徒が楽しんでいた話を聞きました。私はミュージカルや演劇は数えるくらいしか観ていませんが、本当にたくさんの人が関わって一つの舞台ができあがっているということを感じます。それは、映画のロールエンドで、俳優や監督などの他に非常に多くの団体や個人が協力していることがわかることと同義です。たくさんの人に楽しんでもらうために多くの人が誇りをもって協力し、一つの作品を作り上げているのだと思います。生徒の皆さんも、ぜひ誇りをもって取り組める仕事を見つけられるように、太東と進学先での勉強を頑張ってください。
 世界に知られる映画の黒澤明監督は役者の演技をチェックする時に3つのセリフに注目したそうです。「ありがとうございます」「いらっしゃいませ」「かしこまりました」この3つは心がこもっていないと、とても不自然に聞こえる言葉だとのことでした。『戦後最高のウェイターと呼ばれた男の話』という本に載っていました。別に、これらの言葉に限らず、言葉の意味よりも、そこに込められた気持ちのほうが大事で、言葉の質感というか、言霊みたいなものが出るかでないかが、言葉が人に届くためには必要なのかなと思います。顔や身体の表情と声の表情がそろって、言葉が人に伝わる力が決まるのだと思います。今はマスクのせいで、目力だけで勝負しなければならなくなっていますが、早くマスクを取りたいものです。ちなみに言霊は言魂とも書くようです。みなさんは、どちらがしっくりきますか?

学問に王道なし

 私は、ことわざや四字熟語が好きで、中学生の頃からその類の本を読んでいました。英語を勉強するようになって、英語のことわざとそれに該当する日本や中国のことわざの比較がおもしろいと思うようになりました。いくつか、好きなことわざを紹介します。

「It is no use crying over spilt milk」は、直訳すれば「こぼれたミルクを嘆いても無駄だ」で、日本では「覆水盆に返らず」の意味で使われますが、微妙にニュアンスが異なります。このことわざには「ミルクはまた注げばいいので嘆かなくてもいい」といった前向きな意味合いも含まれているのです。一方、「覆水盆に返らず」は、四字熟語では「覆水不返」と書き、類語には「後悔先に立たず」「時すでに遅し」「後の祭り」などがあります。「It is no use crying over spilt milk」と違い、深刻で取り戻せない事態を嘆く言葉です。誤解されやすいですが、中国語の「盆」は日本語の「お盆」ではなく、鉢・ボウル状の容器のことです。

「The early bird catches the worm.」は直訳すれば、「早起きの鳥は虫を捕まえる」で、日本では「早起きは三文の徳」に相当し、早起きするといいことがあるという意味で使われますね。英語圏では、Early birdは早起きな人という意味でよく使われるそうです。このことわざは中国に由来しますが、日本では2つの説が言い伝えられています。高知説によれば、「堤防の土を朝早く踏み固めることで、三文のお金をもらえる」というお触れが由来。また、奈良説によれば、「鹿が家の前で死んでいると、三文の罰金になる」という江戸時代の「生類憐みの令」が由来。中国の意味では「三文の徳」、日本の意味では「三文の得」と表現され、どちらも間違いではないそうです。ただ、よく目にするのは「徳」のほうですね。また、「三文」は、江戸時代の通貨価値の平均から現在の 「三百円」くらいで、江戸時代のそば一杯分くらいみたいです。このように「三文」には「取るに足らない価値」という意味合いも含まれているため、ことわざの意味と矛盾する感じもしますが、「朝起き千両夜起き百両」ということわざもあります。これは「夜に仕事をするより、朝早起きして仕事をした方が効率的である」という意味です。お金の桁が違いますね。武将の真田幸村で有名になった真田家の家紋の六文銭の由来は、仏教での「六道銭」という三途の川の渡し賃だそうで、決死の覚悟で戦うという意気込みからという説があります。実は、この六文もそば一杯分の価値(300円)と考えられているんです。

ちなみに私の起床時間は、ここ20数年1~3時くらいですが、1日300円で換算すると250万円くらい得したことになりますね。多いか少ないか微妙?

最後に「There is no royal road to learning.」は直訳すれば「学問に王道なし」で、ことわざどおりです。 古代ギリシアの数学・天文学者で「幾何学の父」と呼ばれたユークリッド がエジプト王に言ったといわれる言葉が由来だそうです。 学問を修めるのに簡単な方法はなく、誰であろうと努力して苦労して習得していくほかはないという意味です。テストに出るところだけ勉強するのでは、学問は修められないよということですね。

地球は青かった

 今日は、有名な言葉で、後に続く言葉が以外と知られていないものを紹介します。
①北海道開拓の父であるクラーク博士の名言として知られる「Boys, be ambitious」(少年よ大志を抱け)は「Boys, be ambitious like this old man.」(少年よ、この老人のごとく大志を抱け)なのだそう。北海道に旅行すると、クラーク像の前で同じポーズで写真を撮るのが鉄板になっています。「like this old man.」に込められたクラークの気持ちを想像してみましょう。
②「地球は青かった」は、世界初の有人宇宙飛行を成功させたガガーリンの有名な言葉ですが、この後に「しかし、どこを見回しても神はいなかった」と続きます。正確な記録は無いようですが、海外ではこちらの方がよく知られているのだとか。宇宙から肉眼で地球を見たとき、どんな感覚に襲われるのでしょうか。
③「柔よく剛を制す」は、格闘技などで使われることが多く、柔らかさのあるものが固く強靭なものをいなす場合もあるという意味です。しかし、実は「剛よく柔を断つ」という「固いものが柔らかいものに打ち勝つ」という意味の続きもあるのです。「逆もまた真なり」ということですかね。私は、漫画の「ドラゴンボール」の中で、主人公の孫悟空がゴムのような柔らかい敵に苦戦して、凍らせてやっつけるシーンを思い出しました。今の生徒には、「ワンピース」のルフィの例の方がわかりやすいですかね。
④「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」は、「井戸の中にいる蛙はずっと井戸の中の狭い世界しか見たことがなく大きな海を見たことがないので、視野が狭くありきたりの知識しかない」という意味で、ネガティブな意味で使われます。この後、「されど空の深さ(青さ)を知る」と続きます。中国から日本に伝わって、付け加えられたようです。「狭い世界で自分の道を突き詰めたからこそ、その道で深いところまで究めることができた」とポジティブに解釈できるでしょうか。新学習指導要領のいう「深い学び」に通じるところがあるのでしょうか。