日誌

榎本校長のつぶやき

ヒヤリ ハッと!

 最近、暗くなるのが早くなってきて、自転車通学の人は下校時に「こわいな」と感じることも増えてきたかなと思います。でも、車を運転しているほうもこわいんですよ。無灯火の自転車や上下黒のウェアでウォーキングしている人がいると、「事故にあいたいんか~い?」と突っ込みたくなります。私は、目の前で車の衝突事故を2回目撃しています。あと少しタイミングがずれていれば、巻き込まれていました。「あ~っ、ぶつかる、ぶつかる、ドーン」という感じで「全然、前を見てないだろ」というぶつかり方でした。時間に余裕がないと、どうしてもスピードを出したいと思ってしまいますが、急いでいる時ほど冷静にならないといけません。雨の日は特に自転車通学の人は気をつけましょう。自転車のタイヤを滑らすものはたくさんあります。学校の敷地内でも道路同様スピードを出して運転しないでくださいね。自分の安全は自分で守るしかありません。自爆事故はもちろん、もらい事故がないように周りに注意して登下校してくださいね。あと、ヘルメットをかぶりましょう。「つけててよかった」ですよ。

挨拶を進化させよう!

 今日は、県教育委員会から指導主事に来校いただきました。学校訪問と呼ばれるもので、学校の教育活動改善のための指導・助言をしていただくためのものです。生徒の皆さんの授業への取組や挨拶について、お褒めの言葉をいただきました。以前に学校評議員の方からも、挨拶についてお褒めの言葉をいただきましたが、さらに気持ちの良い挨拶が条件反射でできるように、意識してください。きっと、その習慣は今後の皆さんの財産になるはずです。それと、学校のウェブページの発信力について高評価をいただきました。生徒の充実した楽しそうな学校生活の様子が、学校行事や部活動の記事からよくわかるとのことです。先生方は、生徒の皆さんに色々な力をつけてもらうために、授業に学校行事に部活動にと日々頑張ってくれています。これからも、みんなで力を合わせて、太東をより楽しく充実した学校生活が送れる場所にしていきましょう。

過去と他人は変えられない?

 「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる」エリック・バーン(カナダ精神科医・心理学者) 

 有名な言葉なので聞いたことがある人も多いと思います。皆さんは、この言葉を読んだ時、「そのとおり!」と同意しましたか?それとも、「いや、違う」と否定しましたか。普通は、タイムマシンでもない限り過去は絶対変えられないと思いますよね。過去を変えるのと同じくらい他人を変えるのは難しいということを言っています。だから他人を変えようとして思い通りにいかずイライラするくらいなら、自分を変えたほうが精神的にいいよということですね。「いやなことは、その日のうちに忘れろ。自分でどうにもならんのにクヨクヨするのは阿呆だ。」と田中角栄は言っていますが、似たようなことを言っている人は他にもいます。過去のことをいくら悔やんだところで、過去は変わりませんからね。

 では、過去と他人を変えられると思った人は、なぜ、そう思ったのでしょうか。仏教学者の柴田泰山に次のような言葉があります。「こうありたい」という未来を決めれば、今ここですべきことが見えてくる。すると、過去に向き合う自分も変わり、やがて過去の様々な出来事の意味も変わる。だから過去は変えられる。

 事実は事実として存在しますが、それに対して幸・不幸などの価値付けをするのは人間です。自分の意識を変えれば、過去を変えることができるのです。他人にたいする意識も、変えることができれば変わるということです。すべては、自分次第ということですね。他人も過去も変えて、未来も変えられるように自分の意識を変えられるようになるといいですね。

日本の文化カラオケ

 生徒の皆さんの中で、カラオケをしたことがない人はどれくらいいるでしょうか。友達や家族、恋人と行くだけでなく、一人カラオケだってありです。今日10月17日は、「カラオケ文化の日」だそうです。「カラオケは我が国が生んだ最大の娯楽文化」との認識から、カラオケを通じた文化活動の支援や文化交流を行い、その普及を図ることを目的として一般社団法人・全国カラオケ事業者協会(JKA)が1994年に制定したそうです。カラオケは、スキヤキ、スシ、ゲイシャなどと同様、海外で通用する日本語です。カラオケボックスが普及していなかった昔は、飲食店で1曲100円払って歌っていたものです。近年のカラオケの進化には、すさまじいものがありますね。近いうちに好きな歌手の声で歌うことができるようになりそうです。コロナ禍で、私はもう2年半カラオケに行っていませんが、気にせず行っている人は行っているのでしょうね。私は、まだ立場上行き辛いのですが、2年生の皆さんも、修学旅行前にコロナに感染しないように自重してくださいね。コロナを気にせず、みんなが大きな声で歌を歌える日が1日も早くくることを願っています。

うまい話と断る力

 今日は、群馬県高等学校PTA連合会東毛地区指導者研究集会(長い!)というものがあり、出かけてきました。その後半で「成年年齢引き下げと若者の消費者トラブル ~親として知っておきたいこと~」という講演がありました。高校3年生は、未成年ではなくなるので、金銭トラブルに巻き込まれる人が増えます。結論から言うと、「うまい金儲けの話には絶対のるな」です。欲をかいて楽して儲けようと思えば、大体失敗します。最悪の場合、失敗するだけでなく友達も失います。それと、話の中で一番印象的だったのが、強く勧誘されると断れない人の割合が、全世代の中で10代、20代の人が大変多かったということです。あなたは、はっきり断ると悪いんじゃないかと思って、答えをにごして曖昧に答えてしまうほうですか?1989年に「NOと言える日本」という本がベストセラーになりましたが、日本人は自己主張が下手と言われます。よくとれば謙虚で奥ゆかしい、ことを荒立てるようなことは避ける、とでも言えるのでしょうか。「結構です」「いいです」という言葉は、「YES」「NO」どちらにもとれます。日本語には、曖昧でぼかす表現が多く、直接的な表現を避けて言葉と態度から察する文化があります。講演の中で、「先輩から誘われた時のセリフを考えよう」という質問がありました。先輩は「簡単に儲かる話があるんだ。この後、ご飯でも食べながら、一緒に話を聞かない?」と言っています。あなたなら、どんな言葉で断りますか?100%の正解というものはありません。ぜひ皆さんの断るセリフを教えてください。

趣味と仕事

 皆さんには、趣味がありますか?自己紹介で話したり、面接で聞かれたりしますよね。何か趣味がないと、つまらない人間みたいに思われるのが嫌で、とりあえず無難に「音楽鑑賞」とでもしとけ、みたいな人もいるかもしれません。私は、趣味って自分が好きでやっていることで、人に自慢したり、ひけらかしたりするものではないと思うので、「昼寝」とか「ボーっとしてすごすこと」だって全然いいのではないかと思います。若い芸能人が、似たようなことを言っていたので、同じことを考えている人も多いのではと思いました。ただ、趣味はある程度継続的にやっているものというニュアンスがあるので、「単に好きなもの」と「趣味」の分かれ目は、そこかなと思います。一番幸せなのは、趣味が仕事になることかもしれませんが、仕事になると辛くなることもあるので、趣味は趣味のままにしておきたいという人もいることでしょう。仕事がおもしろいので、ほかに趣味などいらないという人もいます。結局、仕事と趣味は、その人の生き方に関わってくることなので、何でもありなのかなと思います。ただ、自分の世界を広げるという意味で、いろいろなことにチャレンジして、それが趣味になったり、仕事になったりして誰かの役にたてたらいいなと思います。皆さんも、若くてエネルギーがあるうちに、いろいろなものに興味をもってチャレンジしてください。そして、趣味の合う友達を見つけてください。

真実はいつも・・・

 私は、専門が歴史なので歴史的に重要な出来事があった日は、記憶しているものも少なくありません。皆さんは、10月12日が歴史上どんな日か知っていますか? 1492年のこの日、イタリアの探検家・航海者クリストファー・コロンブスが率いるスペイン船隊が新大陸アメリカに到達したので、これを記念して10月12日は「コロンブス・デー」と呼ばれます。ただ、実際には最初に上陸したのはアメリカ大陸ではなく、西インド諸島でした。この日はアメリカの多くの州で祝日となっており、1970年より月曜休日統一法によって10月の第2月曜日となりました。現在、「コロンブス・デー」は、アメリカで多くの公共施設が定休日となり、企業や学校も休みとなる場合があるそうです。また、コロンブスの新大陸発見はスペイン王室の支援により達成され、スペインにとって中南米への植民地建設への第一歩を記した記念日でもあるため、10月12日はスペインでは「イスパニア・デー」という国民の祝日になっており、首都マドリードでは伝統的な軍事パレードが毎年行われているそうです。さて、私が、「コロンブス・デー」について書いたのは、別にコロンブスを讃えるためではなく、この象徴的な日を通して歴史の見方について考えてほしいと思ったからです。コロンブスの新大陸発見は、大西洋を横断する貿易の航路を見出すのには役立ちましたが、スペインの植民地化を進めるきっかけにもなり多くのアメリカン・インディアンの命を奪ってしまうことにもつながりました。アメリカにはコロンブス・デーに反対する人たちもいて、代わりにアメリカ先住民の日としてお祝いする州もあります。中南米全体の傾向として、スペインによる侵略と殺戮、略奪が始まった日として、特に先住民系の人たちによる抗議デモも行われています。歴史は、勝者によって書かれます。味方を変えると、コナンみたいに「真実はいつも一つ!」なんて言えないのです。歴史を勉強するときは、事実とされることを鵜呑みにせず、陽の当たらない裏にまで目を光らせることが大事です。色々な面で、プロパガンダに騙されないようにしましょう。

協働>競争

 「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本が、2009年に刊行され、大変話題になりました。ベストセラーとなり、その後、アニメ化・漫画化・映画化もされました。ドラッカーは、マネジメントの大家であり、ビジネスマンなら彼の本を読んだことのある人は、多いと思います。マネジメントについては、たくさんの本が出ており、本質は同じですが、その方法は色々あります。マネジメントとは、「経営管理」や「組織運営」といった意味で、ヒト・モノ・カネを効率的に活用し、「目標」や「ミッション」の達成を目指すことです。日本型経営の特徴として、「年功序列型賃金」と「終身雇用」がありますが、経済のグローバル化によって「成果主義」が取り入れられるようになり、日本の職場も変わってきているかも?しれません。?と書いたのは、なかなかうまくいかなかったという記事を読んだことがあるからです。仕事の種類や業務内容が多岐にわたっているため、評価が難しいことや、短期で成果をださなければならず、長期的取組に支障がでるなどのデメリットがあげられました。社内の同僚との競争も激しくなり、職場の雰囲気が悪くなったということも言われました。この組織マネジメントが、学校に取り入れられるようになってからもう20年近く経ちます。

 新しい学習指導要領では、「協働」が重視されていますが、社会的活動というのは「協働」であって「競争」ではありません。集団で作業し、それぞれがその専門的知識や技術を提供しあい、その協働の成果はみんなで分かち合うのが理想です。

 こんな例え話がありました。Aくんはある教科でいつも100点をとる。Bくんは80点しかとれない。でも0点ばかりとっているCくんを気の毒に思って勉強の仕方を教えたので、Cくんは30点とれるようになった。受験の場ではAくんの評価が高いが、労働の場ではBくんの点数にCくんの点数が足されるのでBくんの評価が高くなる。

 この話を読んで、あなたはどう思いましたか?勉強でも、部活でも、学校行事でも「協働」が大事だと思いませんか?社会では、損得だけで動いていたら、「協働」なんてできませんし、大きな仕事なんてできませんね。

頼られるって嬉しい?

 中間考査が終わり、皆さん解放感に満ち溢れていることでしょう。ただ、これから新人戦がある部活の人は、早く練習したいのではないかと思います。ここのところ寒い日が続いていますので、受験勉強を頑張っている3年生、部活を頑張っている1、2年生、体調に気を付けてくださいね。

 今日は、午後から太田市立北の杜学園で太田地区中高生徒指導対策協議会があり、出かけてきました。北の杜学園は、太田北中が太田東小学校、韮川西小学校と統合して令和3年4月に開校した小中一貫校です。皆さんは、小学校1年生から中学校3年生までが同じ敷地内で、いろいろと関わりながら学校生活を送っている姿が想像できますか。学年が上の児童・生徒が、お兄さん・お姉さんになって頼られることで、自己有用感が育まれていきます。本校のサブリーダー制が、広い範囲で有効に機能している印象でした。説明を聞き、見学させていただき、子ども達の様子が非常にほほえましく感じました。本校には、リーダーシップがとれ、面倒見がよい生徒がたくさんいると思います。今後も、上級生の下級生への面倒見のよさを本校のよき伝統として伝えていってほしいと思います。この伝統は、卒業生が後輩のために非常に協力的であるということにもよく表れています。在校生の皆さんも、卒業後に後輩達への支援について頼られた際には、よろしくお願いしますね。

AIが止まらない

 先日届いた「月刊日本教育10月号」に、熊本市教育長の連載記事があるのですが、その中に完成度の高い絵を描くAI(人工知能)のサービスの話がありました。私も「AIが描く絵」で検索してみましたが、驚くほどの出来栄えで、短時間でできるみたいです。ただ、誰でもすごい絵が描けるわけではなく、ソフトウェアを使いこなす技術のほかに絵の才能もある程度必要なようですね。

 私が中3のときに読んだ筒井康隆の短編SF小説に「暗いピンクの未来」というのがありました。未来では、画家という職業はなくなってしまい、コンピュータが絵を描くようになり、デザインにも進出してきます。プログラマーの天下になるわけです。ただ、漫画家は生き残っています。40年以上前に、予言していたわけですね。パソコンを初めて買ったころ、ペイントソフトで、元絵を「印象派風」「水墨画風」「点描風」「水彩画風」「油彩風」などと、変えられるものが既にありました。AIを使って絵を描くようになっても、驚くほどのことではないのかもしれません。そのうち、AIを使ってヒット曲を生み出すのが、普通になってしまうかもしれません。よく考えたら、AIは、Artificial Intelligenceの略でart(芸術)が入ってるんですよね。

 これから、さらにAIが進化していくと、ロボットの開発と歩調を合わせて現在ある人間の仕事を徐々に奪っていくことでしょう。AIに代替できない人間の能力とは何か。これから皆さんに、身に付けることが求められる力とは何なのか。すぐ身につくことは、すぐ役立たなくなります。じっくり腰を落ち着けて、汎用的能力を育てていきましょう。

学問の本質

 今日から2学期の中間考査が始まりましたが、皆さん、勉強は計画的にできたでしょうか。今日は、高校で勉強している内容が人生で役に立つのかと、悶々としている人に少し例をあげてつぶやき?ましょう。
 一つ目は、1868年から1894年にかけて4回英国首相を務めたウィリアム・グラッドストンの逸話です。彼は、オックスフォード大学で数学の天才と呼ばれていましたが、大学に入る前は最も嫌いな教科が数学であり、そのせいで進級も危ぶまれていました。「数学のない学校に転校させてほしい」と父親に手紙を書いたくらいです。父親は「おまえは数学が嫌いだというが、本当に身を入れて数学を勉強したことがあるのか。(中略)不得意なものに挑戦してそれを克服することは、将来社会に出て、おまえが出会うかもしれない大きな困難をも克服することになる。転校を口にする前に、私の言うことをかみしめてほしい。」この言葉を聞いて、彼は数学に挑戦しました。どんな分野でも天才と呼ばれる人が生まれたときからそうだったわけではありません。自分のもっている能力や体力を十分出すために努力することの大切さをグラッドストンの逸話は教えています。
 二つ目は、企業が文系人材の採用で重視していることと、その理由です。重視するのは、「大学入試をきちんと突破した」ことなのです。言い換えると「受験勉強を最後までがんばれたか」なのです。三角関数や微分・積分は、一部の専門的職業を除き仕事で直接使うことや、日常生活で使うこともありませんが、それを理解できる能力や、理解はできないまでも公式を覚えて問題を解ける能力は、仕事でも有効で汎用性があります。勉強していることで、生活に直接役立たなくても、汎用的な能力育成に役立っていることがたくさんあるのです。私は、選択教科を極力少なくして昔のようにほぼ全てを必修にしたほうがよいと考えている人間です。地歴公民、物化生地、美術など、高校では全員が履修するべきです。文系理系分けもそうすれば、3年からで十分です。
 今、注目されているのは、数値で測ることが困難な非認知能力です。協調性、コミュニケーション力、主体性、自己管理能力、統率力、創造性、探究心などです。これらの能力は、学校での全ての教育活動を通して育まれていきます。文系理系は関係ありません。高校の時点で、全国一律に生徒を文系理系なんて画一的に分けるのは、世界でもおそらく日本だけのようです。(間違っていたら教えてください) 自分から興味をもって勉強することだけでなく、興味をもてなくても、やっているうちに面白さがわかるものもあります。若いうちは偏らずに幅広く勉強したほうがいいと思います。長いつぶやきになってしまいました。残りの定期考査、頑張ってください。

「あなたの長所は?」

 9月30日に、3年次生のLHRで、「心の教育」が行われました。 ストレスを感じた時に生じるストレス反応への対処法であるコーピングについてスクールカウンセラーの先生に講義・演習をしてもらいました。その中に「自分が短所だと思っているところが、見方を変えると長所になることを知る」という演習がありました。面接のマニュアル本は、たくさん出ていますが、短所を聞かれたときに馬鹿正直に答えるのではなく、長所にとれるように言い換えるというのは昔からありました。

 たとえば、「優柔不断」は「慎重すぎるところがある」、「あきっぽい」は「好奇心が旺盛なので、新しいものに気が移りやすい」などです。長所と短所は、背中合わせなので他人から見れば、その人に好意的かどうかで逆転すると思います。実は、多くの人は気付いていないかしれませんが、自分をよく知っているのは自分ではなく、周りの家族・友人・同僚です。人は、社会の中で生きているので、生きる行為が自己完結していない限り、自己評価でなく、他者評価によってその存在が認識されています。ですから、「自分は優しい」と自己評価していても、他者からそう評価されていなかったら、自分を客観的に見られていない、メタ認知ができていないということになります。イギリスの名門校の卒業までの目標に、「自己評価と教師の評価が一致すること」というのがあります。自分を客観的に見つめるということ、自己理解が、いかに難しいかがわかりますね。日本の小学校で、児童の長所について質問したとき、児童だけでなく保護者もあまり答えられなかったという笑えない話がありました。人は、お互いに評価しあって尊重しあって生きているので、必要以上に自分を低く評価することはありません。自分にも他者にも、マイナスをプラスに変えて評価できるようになるといいですね。

元気ですか!

 アントニオ猪木さんが、79歳で亡くなったというニュースが、連日報道されています。皆さんのような若い人でも「元気ですか~!」「元気があれば、何でもできる!」「1、2、3、ダ~ッ!」は、見たり聞いたりしたことがあると思います。ただプロレスラーとしての全盛期にタイムリーで見ていた人は、私と同年代以上でしょう。1970~80年代にプロレスブームがあり、個性的な外国人レスラーも多数参戦し、漫画の「タイガーマスク」が現実の選手として出てきたりしました。

 小学生の時に、プロレス技を休み時間に掛け合うことが流行りました。四の字固め、コブラツイスト、卍固めなどでしたが、足の骨を折る事故が起こり、禁止になりました。(笑) 仮面ライダーのライダーキックが禁止になったのと同じですね。プロレス漫画も多く、描かれました。「1・2の三四郎」「プロレススーパースター列伝」が、最も記憶に残っています。アニメは、「タイガーマスク」が正統的プロレスでは最初で最後かと思います。

 プロボクシングファンとプロレスファンは、真剣勝負か筋書きのあるショーかで喧嘩になることも多かったと聞いています。ただ、強靭な肉体がないとやっていけないのがプロレスラーであることは間違いありません。一般の人がやったら、すぐ病院送りになってしまうでしょう。

 ですから、アントニオ猪木さんが、55歳まで現役で活躍されたのは、すごいとしか言いようがありません。皆さんも、自分が元気であることは、もちろんですが、周りに元気を伝染させられる人になってほしいです。できる範囲で。

アントニオ猪木さんの御冥福をお祈りいたします。

うちの家族はみんなが悪い

 どこで読んだか忘れましたが、こんな話がありました。
 今日私が学校から帰ると、お母さんが「お兄ちゃんの机を拭いていて金魚鉢を落として割ってしまった」といいました。 するとお兄ちゃんは「僕が端っこに置いておいたから、僕が悪かった」といいました。でも私は思い出しました。昨日おにいちゃんが端っこに置いたとき私は「危ないな」と思ったのにそれを言わなかったから私が悪かったといいました。夜、帰ってきてそれを聴いたお父さんは「いや、お父さんが金魚鉢を買うとき、丸いほうでなく四角いほうにすればよかったなあ。お父さんが悪かった」といいました。そしてみんなが笑いました。うちはいつもこうなんです。うちの家はいつもみんなが悪いのです。

 この話を読んで、あなたはどう思いましたか。「気持ち悪い」「偽善的」と感じましたか。「みんな、人のせいにしなくてすごい」「お互いに思いやりがある」と思いましたか。よく日本人は「すみません」を連発する民族だと外国人には不思議がられるようですが、この話は日本人の国民性を大袈裟に表現しているのかもしれません。すべての家族がこんなだったら、「叱る」「怒る」状況は家庭にはなくなるのでしょうね、

 これと似た日本人の国民性を表す話として榎本博明(MP人間科学研究所代表)によるもので、『欧米などの「自己中心の文化」では、コミュニケーション能力は「相手を説得するための手段」であるのに対して「間柄の文化」の日本では、「よい関係を築くための手段」となっており、また、「対話」も欧米社会では「自分の意見を押し通すための手段」であるのに対して、日本社会では「相手と調和して落としどころを探るためのものである』というものがあります。日本は、聖徳太子の十七条の憲法の第1条にある「和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。」の文化が根付いている国なのでしょう。

クリーニングとアイロンがけ

 なるべく「今日は何の日」は使いたくないのですが、最近はつい頼りがちです。今日は「929」の語呂合わせで「クリーニングの日」だそうです。私は、大学から社会人にかけて1人暮らしをしていたので、アイロンがけも自分でやっていました。社会人になってからは、週に5枚はワイシャツのアイロンがけをするわけですが、ある日ふと思いました。ワイシャツ1枚のクリーニング代が120円なので5枚で600円です。5枚洗濯してアイロンがけする時間と手間を考えると、クリーニングに出したほうがきれいになるし、いいんじゃないかと。そして、クリーニングに出す味を覚えました。今は、アイロンがけは私の仕事なので、クリーニングに出さずにアイロンがけしています。ただ、スーツは流石にクリーニングに出していますが、ワイシャツと違ってクリーニング代が高いので「出さなくても別に大丈夫じゃないかな」と思ったりしますが、「1年に1回だから出すか」とあきらめて出しています。クリーニングのプロの人の技をテレビで見たことがありますが、お気に入りの服にシミがついたときに、とってもらえたら本当にうれしいと思います。どこの世界にもプロはいますが、日本人の職人魂と研究熱心さはすごいと思います。皆さんは、どんな道でプロを目指しますか。天職に巡り会えるように頑張ってください。

パソコンの思い出

 今日9月28日は、NECが1979年に初めてパソコンを発売したのでパソコン記念日だそうです。私もパソコンとは長いつきあいになりますが、初めて買ったパソコンは、NECのB5ノートブックでした。28歳の時で、当時30万円くらいしたのを覚えています。(なんと内蔵ハードディスクは540MBしかありませんでした。それでも当時は最も多いほうでした) 今はパソコンが高機能で安くなって、隔世の感があります。学校での生徒1人1台パソコンも実現し、1980年代のマンガに定期試験をパソコンで受けているシーンがありましたが、近い将来現実になりそうですね、私が自宅で使っているSONYのノートパソコンは、もう13年使っています。デザインが気に入っているのでWindows7のサポートも切られていますが、使い続けています。これまでに使っていたノートパソコンは全部で6台ですが、平均使用年数は3年くらいですので、今のパソコンの使用年数がいかに長いかがわかります。学校では、9月に校長室のパソコンがデスクトップからノートになり、ワープロソフトの一太郎が使えなくなって、仕事に大変支障をきたしています。ただ、これからウェアラブル端末が進化して、キーボードは消滅し、しゃべればすべて済む時代がくるのも遠くないかもしれません。私が退職する前には、無理でしょうが・・・。皆さんが、社会人になるころにはどんなパソコン環境になっているでしょうか。世界中の人と端末を介して普通に話せる日も、近いかもしれません。

「耳」+「目」「心」=「?」

 以前に「吐く」が「叶う」になることについて、こじつけだとわかっていてもわかりやすくて好きだと書きました。今日は、それと同じくらいわかりやすい漢字について書きます。皆さんは、音に関する「きく」という漢字をいくつ書けますか。「聞く」「聴く」「訊く」がありますが、普通に使うのは「聞く」ですね、人の話を真摯な姿勢で聞くことを「傾聴」といいます。カウンセラーの聞く姿勢が「傾聴」です。「聴」は、「耳」に「目」と「心」をプラスしてできています。「+」を「プラス」でなく「十分な」ととってもいいかもしれません。相手をよく見て、心を込めて聞くのが「聴く」です。教師に求められるのも、「聴く」です。生徒や保護者の話を、いかに相手が「よく聴いてもらえた」と思えるまで聞けるか。途中で口を挟まないで聞けるか。相手の話をよく聞いてこそ、それを材料として説得力のある話ができます。「話し上手は、聞き上手」という言葉がありますが、私が真っ先に思い浮かぶのは、明石家さんまさんです。彼は、しゃべりがすごい印象が強いですが、ゲストの話をよく聞き、それらを繋げられる頭の良さがあるから、たくさんの人の話をうまくまとめられるトークができるのだと思います。昨今の学校教育では、学び合う対話的活動が重視されていますが、話をよく聞いてくれる人には好感がもてますよね。皆さんも、自分の意見をよく聴いてもらえるように、相手の話をよく聴けるようになってください。

firework? flowerじゃなくて?

 雨が心配されていましたが、24日(土)の18時30分から大泉の花火大会が実施されました。刀水橋の東側が打ち上げ場所だったので、利根川を挟んで自宅からよく見えました。コロナで自粛になってから、今年は花火大会もやっと復活してきましたが、やっぱり実際の花火はいいですね。腹に響く「ドン!」という音が心地良いです。中心から円形に広がるのではないグラデーションの花火は初めて見ました。この2年で花火も進化していますね。全国で花火大会が中止になって花火師の方々もさぞかし残念だったと思います。花火師は一人前になるまで10年以上かかるそうで、以前にテレビで仕事の様子を紹介していたのを見ましたが、本当に職人芸で日本人の感性が生きる仕事だなと思いました。VRが進化していますが、まだまだ本物にはかないません。風、匂い、音、気温など花火の光だけでない要素まで再現できるまでは、まだまだ時間がかかるでしょう。

 花火大会が終わると、暗くなった夜空を見上げ「祭りの後の寂しさ」を感じます。お金と時間と労力をかけて作った作品が、一瞬で輝いて消え去っていく。演奏されて消え去っていく音楽に似ていると思います。花火は、作ってくれた花火師さんに感謝し、しみじみと余韻をかみしめて見たいものです。ちなみに花火は英語で「firework」(火の作品)だそうですが、火の職人さんが作った作品ということですね。花火大会で打ち上げられる花火もいいですが、コンビニ等で買えて、みんなで庭で楽しめる花火もいいものですね、みなさんは、今年は花火をしましたか。夏の終わりに線香花火もいいものですよ。

どこまで進む世界終末時計

 昨日は、国際平和デーについて書きました。今日は、世界終末時計について書きたいと思います。見たり、聞いたりしたことがある人もいると思います。核戦争などによる人類の滅亡(終末)を『午前0時』になぞらえ、その終末までの残り時間を「0時まであと何分(秒)」という形で象徴的に示している時計です。実際に動く時計ではなく、一般的に時計の45分から正時までの部分を切り出した絵で表されています。米国の雑誌『原子力科学者会報』(Bulletin of the Atomic Scientists) の表紙絵として使われており、「運命の日」の時計あるいは単に終末時計とも言われています。創設された1947年には7分前で、その後1991年にソ連が崩壊した時に17分前になったのが最長で、2020年から100秒前になっており過去最短です。世界史を勉強して、第二次大戦後の世界で、どんなことが起こってきたかを知り、現在の状況がどうなのかを考えてください。特に日本周辺について。

紛争をなくすには・・・

 今日9月21日は、国際平和デー,世界の停戦と非暴力の日(International Day of Peace)だそうです。ウクライナとロシアは、戦争を停止したのでしょうか。
コスタリカの発案により1981年の国連総会によって制定され、当初は国連総会の通常会期の開催日である9月第3火曜日でしたが、2002年からは9月21日に固定されたそうです。2002年から、この日は「世界の停戦と非暴力の日」として実施され、この日一日は敵対行為を停止するよう全ての国、全ての人々に呼び掛けているそうです。

 私の漫画蔵書の中に「THE STAR」というものがあります。これは、演劇の素人が、世界的な俳優に成長する物語です。この最終回で、主人公が演技で世界中の紛争を停める話があります。漫画ではありますが、地球上のすべての場所から人類史上、初めて争いが消えたのです。残念ながら「平和のためには、とりあえず戦争が必要だ」という言葉もあります。日本では、江戸時代が泰平の世が長く続いた時代として記憶されていますが、そのために多くの血が流されました。そして、幕末にも多くの血が流されました。歴史や公民の授業を通して、平和を維持するためには、何が必要なのかを考えてください。

台風と運

 台風14号が、日本列島に爪痕を残して行きました。各地の被害状況をTVで見ながら、台風の進路予想から群馬県は今回も影響はあまり受けないだろうなと思っていましたが、やはりそのとおりになりました。今朝も生徒の登校時間は雨が止んでいて、1時間目が始まるくらいにザーザーと降ってきました。全く運がいいです。         TVでは、新築したばかりの家が浸水してしまい、「泣きたい」と言っている人が映っていました。沖縄や九州の人は、台風シーズンは何度も被害を受けて、気が休まらないのではないかと思います。災害が少ないところに住んでいると、被害のニュースを見るたびに何か申し訳ない気持ちになります。以前に天気のことについて、農家の方は明るくあきらめているということを書きました。自然の猛威の前には、人間なんて本当にちっぽけな存在で、あきらめるしかないのかと思います。ただ、ちっぽけなんだけど人間は強いなと思います。時間がかかってもあきらめずに復興して、手強い自然となんとかやってきているわけですから。これから科学が進んで、気候をコントロールする方法が見つかればいいんですけどね。台風を爆弾で消すなんて物騒な方法はなしで。これから修学旅行シーズンになりますが、コロナ禍でも今年は実施に向けて動いているところがほとんどだと思いますので、台風に邪魔されないように祈っています。

See you again next year!

 本日、無事オープンスクールが終わりました。先生方、生徒のみなさん、ありがとうございました。心配していた午後の天気も崩れることなく、部活動見学をしてもらえました。受付の40分前に正門を入ったところに女子生徒がいて、そこにいたら暑いよと思って見ていたら、日陰に歩いて行ったので安心しました。校内にあふれている中学3年生が、とても初々しく感じました。中学校の先輩と目があったのか、お互いに笑顔になっている様子も見られました。校内を巡回している中で、「こんにちは」と挨拶してくれる生徒も多くいました。授業中なので、控えめに答えました。教室の廊下側に張り出されていた大学ランキングを熱心に見ている生徒も見られました。もう志望大学が決まっているなら、本校の求める生徒像に合致しますね。高い目標に向かって努力が継続できる生徒を求めています。部活動も熱心に見ていましたが、どのような感想をもったでしょうか。学校説明会の動画や実演も好評でしたが、やはり実際に見てもらうと、熱気と迫力が伝わるのではないかと思います。ぜひ、合格して入学した暁には、部活で頑張って太東を盛り上げるために貢献してもらいたいと思います。今日、オープンスクールに参加してくれた皆さんが一人でも多く本校を志願してくれることを願っています。本日、本校に入学したいという思いを強くしてくれたなら、これからの受験勉強を諦めずに頑張ってください。応援しています。

ウェルカム トゥー 太東!

 さて、明日はオープンスクールです。各中学校から皆さんの後輩である中学3年生が、午前と午後に分散して来校します。皆さんの授業を受けている姿と、部活動の様子を見学します。太東を来年ぜひ受験したいと思わせられるようなかっこよく凜々しい姿を見せてください。校舎内の清掃も、今日は少し気合いを入れてやってもらえたと思います。ただ、残念ながら、明日の部活動の時間の天気が微妙です。なんとか6時まで雨が降らないように祈っています。皆さんの活気ある部活動の様子を、見て帰ってもらいたいですね。それでは、明日は太東のいいところをたくさん見て帰ってもらいましょう。今後の太東が、ますます元気になるように協力をよろしくお願いします。

球技大会無事終了に感謝!

 球技大会2日目が、終了しました。円滑な進行に協力してくれた関係部活の生徒のみなさん、企画運営に頑張ってくれた生徒会のみなさん、そして御指導いただいた先生方、ありがとうございました。登校時のマナーアップ運動中にも小雨がやまない状況には「あれっ?」と、心配になりましたが、昨日よりも大分気温が下がって、熱中症の危険度が下がってよかったです。昨日並に暑かったら、綱引きも大変だったでしょう。体育的行事の時は、いつも怪我人が出ないことを祈っていますが、700人以上の生徒がいて、熱くなって試合をしていますので、今までに勤務した学校で「怪我人ゼロ」は記憶にありません。つい、アドレナリンが出過ぎて、プレーも頑張りすぎることもあるでしょう。昔は、体育祭でも過激な競技が多かったため、怪我人も多かったと記憶しています。危ないということで、小中学校でも人間ピラミッドやタワーといったものは消えつつありますが、安全に十分配慮した上で、あえて困難なものに挑戦させるということも時には必要かなと個人的には思います。ただ、明らかに10段ピラミッドは、危険だと思いますが・・・。話がそれました。

 学校行事や学年次行事、クラス行事などは、勉強以外で、様々な力を伸ばす大事な教育活動です。学校は教科の勉強だけをする場ではなく、コミュニケーション能力や協働というものを学ぶ場でもあります。もちろん、対話的な活動が普通になって、教科学習でもそれらを同様に学ぶようになってきました。学校行事での感動が大きいほど、受験への切り替えもうまくいくということを、以前にブログで書きました。3年生のみなさん、思い出に残る球技大会になりましたか?受験勉強にも同じようにエネルギーを注いで頑張ってください。

球技大会1日目お疲れ様!

 球技大会1日目が、熱中症やけが人もなく、無事終了しました。生徒会のみなさん、各競技の進行担当の先生方や救護担当の先生方、大変お疲れ様でした。ありがとうございました。朝は、曇っていていい感じの天気でしたが、晴れて暑くなり、体育館の競技は暑くて大変そうでした。特にバドミントンをやっていた第二体育館は、サウナみたいな暑さで、昔、バドミントン部の試合の応援に行った時の暑さを思い出しました。バドミントンや卓球は、風の影響を受けないように締め切ってやるので、大変です。第一体育館も応援の生徒は中に入れないので、外に鈴なりになっていて、少し心配になりました。「きゃーっ」と歓声が聞こえると、ちゃんとマスクしてるよなと気になってしまいます。校庭でやっていた玉入れも、多くの生徒が参加していて、よかったです。いろいろと制限付きでの開催になってしまった今回の球技大会でしたが、思っていたよりも生徒のみなさんが楽しんでいる様子が見られてよかったです。あと1日ありますが、明日の朝は、発熱等の連絡がなく、全員無事で笑顔で閉会式ができるように祈っています。最後まで頑張って盛り上がりましょう。

球技大会の光と影

 明日は、いよいよ球技大会ですね。体育祭の時と違って天気の心配をしないで済んだのは良かったですが、代わりにコロナ感染が心配です。1、2学年が学年閉鎖しているところや、球技大会の後に感染者が増えたところもあります。原因は昼食時の会話だそうです。二日間、大いに楽しみ、クラスの親睦を深めてもらいたいですが、感染対策は十二分に注意して行ってください。特に3年次生は、大事な時期ですので、注意しすぎてしすぎることはありません。推薦入試の日に行けなくなるなんてことがないように、自己管理してください。新人戦もこれからです。怪我とコロナに気をつけましょう。
 さて、今日は私の球技大会の思い出について、少し語りましょう。中学・高校の球技大会は、バレーボールとバスケットボールに出ていましたが、楽しかったですね。教員になってからは、職員チームで、バレーボール、バスケットボール、テニスに出て、大人げなく優勝したこともありました。体力や筋力が衰えた分、テクニックでカバーしていた感じです。若い頃と同じ気持ちでやってしまうと、必ずケガしたり、どこか痛めたりします。今や、アキレス腱断裂、肉離れ二回、テニス肘治療中と満身創痍で、あちこちの身体の痛みと闘っています。若返りの薬を求めた権力者の気持ちが、今ならよくわかります(笑´∀`)。まぁ、つまらない年寄りの思い出話は、このくらいにしておきましょう。
 今回の球技大会は、思い切り応援することができずに非常に残念です。無観客試合の味気無さは、コロナ下で、実感しました。応援が選手に与える力は、非常に大きいものがあります。特にそれが異性なら、なおさらですね。それでは、二日間球技大会ができることに感謝して、ルールを守って楽しんでください。

9×9=81

 今日9月9日は、「重陽の節句」でしたが、たぶんみなさんにはあまりなじみがないでしょうね。平安時代の初めに中国より伝わったそうですが、古来中国では、奇数は縁起が良い「陽数」、偶数は縁起の悪い「陰数」と考えられ、陽数の最大値である「9」が重なる9月9日を「重陽」と呼び、節句の1つとしました。奇数の重なる日として「五節句」がありますが、1月7日(七草の節句)は、七草粥を食し、その年の健康を願います。3月3日(桃の節句)は、雛人形を飾り、ちらし寿しやはまぐりのお吸い物を食ベて、女の子の健やかな成長を願います。5月5日(端午の節句)は、五月人形やこいのぼりを飾り、男の子の健やかな成長と立身出世を願います。7月7日(七夕の節句)は、短冊に願いを書き笹に吊るし夢成就を願います。9月9日(重陽の節句)は、菊の薬効により健康を願います。旧暦の9月9日は、現在の10月中旬ごろにあたり、まさに菊が美しく咲く時期です。菊は「仙境に咲く霊薬」として、邪気を払い長寿の効能があると信じられていました。菊を行事に用いたため、重陽の節句は別名「菊の節句」とも呼ばれています。重陽の節句では、菊の香りを移した「菊酒」を飲んで邪気を払い無病息災や長寿を願います。
天皇家の菊の御紋は、鎌倉時代に後鳥羽上皇が用いたのが始めとされているようですが、「重陽の節句」と関係があるかどうかは不明です。単に好きなだけのようです。
 数字っておもしろいと私は思いますが、みなさんは1~0のどの数字が好きですか。私は昔から「3」と「9」ですが、日本人は「4」を「死」、「9」を「苦」として嫌う傾向があります。「13日の金曜日」という映画がヒットしてから、「13」を嫌がる人も増えたようですが、日本人にはあまり関係がないと思います。キリストの最後の晩餐に13人の人がいたことと、キリストが金曜日に磔刑に処せられたとされていることから、13日の金曜日が不吉であるとされるようになったからです。また、映画「オーメン」で有名になった「666」は、ヨハネ黙示録13章18節で、獣の数字とされており、転じて、俗に悪魔や、悪魔主義的なものを指す数字とされています。ラッキー7でおなじみの「7」も日本人には好かれる数字で、ウルトラセブンというヒーローもいます。「8」は「八」に直せば「末広がり」で縁起が良い数字になります。漫画「エイトマン」の主人公は、東八郎です。
私は、車を運転していて、つい前の車のナンバープレートを見て、歴史上の出来事を思い浮かべてみたり、数字を操作して計算してみたりしてしまいますが、変ですかね。タイトルの意味ですが、「ハチワンダイバー」という将棋マンガがあります。将棋盤のマス目は?

 

親や先生に雷を落とされないように!

 先日、夜中に雷が鳴り響きました。家がビリビリ震えるほどで、久しぶりに大きな雷でした。今は、雷が起こる原理、正体を知っているので、神様が怒っているとは考えませんが、昔の人にとっては、恐怖だったのでしょうね。学問の神様として、みなさんがこれから入試前に御世話になる菅原道真は、藤原氏の陰謀により太宰府に左遷され、失意のうちに亡くなりました。その後、疫病や日照り、天皇の皇子の相次ぐ病死、さらには清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出たことから、道真の祟りとして、怨霊を鎮めるために天神様として祀られました。その後、道真が優れた学者であったことから、学問の神として祀られるようになりました。
 日本での年間の落雷被害者数は平均約20人で、そのうち死亡者数が約13人。 死亡率は約70%です。 落雷に当たる確率は100万分の1とされ、世界での年間被害者数は1000人ほどですが、死亡率は約30%で、日本の落雷死亡率は世界的に見てもかなり高いといえます。雷で部活動中に亡くなる事故も起きていることから、雷が鳴ると部活をやめるようにしていますよね。確率が低いとは言え、間違ってもやっていいとは言えません。
 他にも不幸な死因としては、お風呂場での事故があります。厚生労働省の人口動態統計によると、2018年の家庭の浴槽での溺死者数は5398人で、前年比138人減、16年比で260人増でした。15年前の2004年の死者は2870人。この数字と比べると2倍近くに増えており、ここ数年は5000人前後で高止まりの傾向になっています。消費者庁が同統計などを分析した調査では、入浴中に何らかのアクシデントが起きて命を落とす人の数は年間約1万9000人と推計されるそうです。
 お風呂場での死亡は高齢者が圧倒的に多いですが、もっと意外な死因があります。平成16年の統計では、転倒や転落が8030人、同一平面ではない階段などからの転落は別で、695人、はしごからの転落は200人、樹木からの転落というものも28人います。昔、階段から落ちて亡くなる人が年間600人以上いるというのを雑学の本で読んで驚いたのを覚えていますが、道で転んで打ち所が悪くて亡くなる人が多いのにも驚きです。私も大学生の時、家の階段の踊り場からダダダダーンと落ちてお尻を激しく打ち、痛くて半日うつ伏せでベッドに寝ていたことがあります。そのくらいで済んでよかったです。運が悪ければ死んでいたかもしれません。
 みなさんも、お風呂場で寝たり、階段から落ちたりしないように気をつけましょう。

♪Yo!A~C~

 内外教育という小冊子の中で大阪大学名誉教授の小野田正利先生が「普通の教師が生きる学校 モンスター・ペアレント論を超えて」という連載をしています。その中でACジャパンの寛容ラップを紹介していました。有名なラッパーである呂布カルマさんを起用し、コンビニのレジでお金を出すのにもたつくおばあさんの後ろに立たせ、イライラしているふりから足でリズムを取り始めて、ラップを掛け合いを始めます。見たことがない人は、ぜひ、YouTubeで「ACジャパン寛容ラップ」で検索して視聴してみてください。それでは以下にそのやりとりを書きます。
男性客:「♪Yo!もしかして焦ってんのか おばーさん」「♪誰も怒ってなんかない」
    「♪アンタのペースでいいんだ 何も気にすんな」「♪自分らしく 堂々と生きるんだ」
おばあさん:「♪迷惑かけてしまってるなって」「♪焦ったらまさかの優しい発言」 
      「♪アタシも反省 見た目で判断」「♪もういらないわ 色眼鏡なんか」
男性客:「♪みんな違うの 当たり前」
おばあさん:「♪アタシはアタシで、アナタはアナタ」
男性客:「♪だれもができる」
おばあさん:「♪みんな持ってる」
(二人):「♪ひとり一人に リスペクト」
レジの女性:「♪たたくより たたえ合おう」「♪それが 優しい世界~」

私もずいぶんたくさんのACJAPAN(公共広告機構)のCMを見てきました。昭和天皇が崩御された時の前後は、テレビが番組自粛でACJAPANのCMがたくさん流れていたのを覚えています。大事なんだけれど、けっこう深刻な問題提起の内容のCMも多く、このラッパーのCMは、今まで見た中で一番明るく心に残るCMでした。このCMと同じ状況は、店での支払いだけでなく、銀行のキャッシュディスペンサーでもあります。別にお年寄りだけでなく、動作が遅いためにイライラされる人は、他にもいます。心に余裕があれば、待てるし、助けてあげられると思います。(お金を扱う場面では、誤解されるかもしれないので危険ですが) 色々な場所でクレーマーが増えて、昔より不寛容な人が増えたと言われますが、待つのが苦手な人や、我慢しなくなっている人が増えている気はします。

生きるということは誰かの世話を受けることを意味します。言葉は悪いですが、世話を受けることを「迷惑をかける」と言ったりします。「人様に迷惑をかけるんじゃない」は日本人がよく言うセリフですね。ただ、それはすべての人が、生まれてから死ぬまでお互い様のことです。「腹が立ったら10秒数えろ、それでもだめなら場所を変えて1分数えろ」という言葉があります。アンガーマネジメントという怒りをコントロールする方法を、小学校で学んでいるところもあります。「短気は損気」と言いますが、自分にとって損だということだけでなく、人に対して損害を与えるということを考えてほしいですね。寛容とは、心が広くて色々なことを受け入れられることを意味しますが、ギスギスした世の中にならないように、みんなが心に余裕をもって生きていけるようにしたいものです。みなさんは、心に余裕がありますか?

シャウト効果

 校長室にいると、校庭から野球部やサッカー部、日によってはチアリーディング部の元気のいい声が聞こえてきます。また、吹奏楽部の音やバスケ部のバッシュのスキール音が聞こえてきます。非常に活気にあふれている様子が伝わってきて、高校の放課後の音という感じで好きなのですが、十分離れずに大きい声を出していると、コロナが飛沫感染しそうで心配になります。大声を出すのは、ストレス発散になるし、練習を活気づけます。私はカラオケが好きですが、コロナ騒ぎが始まって2年以上、行けていません。仕方ないので通勤の車の中で歌っています。般若心経や光明真言を唱えたりもします。不気味ですかね。校歌を歌ったりもします。みんなスマホに入っているので、Bluetoothでカーステレオに繋いで流しています。
 皆さんは、「シャウト効果」って知っていますか?簡単に言うと大きな声を出すことで筋出力が高まる現象のことで、色々なスポーツで見られます。陸上ならハンマー投げややり投げ、砲丸投げなどの投擲競技で声を出す人が多いですね。テニスでも、ボールを打つ瞬間に絶えず声を出す選手がいます。もう引退してしまいましたが、女子のマリア=シャラポワ選手のかけ声は個性的でした。卓球の張本選手の「チョレイ!」は、決まった後なので、シャウト効果ではありません。勉強でも、シャウト効果で問題が解ければいいのですけどね。早く、気兼ねなくスポーツで大声が出せたり、マスクなしで歌が歌えるようになってほしいものです。そして、全校生徒が校歌を歌う姿を見たいです。

幸せの黄色い・・・

 先日の日曜日、久しぶりに天気がよかったので庭の芝刈りと除草をしました。3センチくらいの赤ちゃんだったカマキリが、10センチを超えるくらい大きくなって、会いに来てくれました。涼しくなったので、そのうちトカゲも塀の上に出てきてくれるでしょう。9月になって咲いたひまわりは、少し花びらが落ちてしまったものの、まだ咲いています。春から夏を過ぎて咲いてくれているのが黄色のバラです。赤のバラは5月で終わってしまいましたが、黄色のバラは、まだつぼみをつけて咲き続けています。朝に余裕があれば、庭に出て花に水をやり、玄関の花にも水をやれますが、余裕がないと庭はいいとしても玄関の花はすぐにしおれてしまいます。夏場は特にすぐです。帰ってきて、しおれているのを見て、すぐ水をやりますが、手遅れの場合もあります。忙しくても花に水をやり、咲き具合を見るくらいの余裕はもちたいものです。みなさんは、通学途中で咲いている花を見る余裕はありますか。私は、昔担任をしていた時に、一輪挿しを黒板の横に付けて、花を飾っていた時がありました。高校の教室は、小学校に比べると寂しいので掲示物等にも工夫していました。花の話題で思い出した話を紹介します。
 ある中学校の校長先生が初任者への課題として「小さな花瓶(一輪挿し)に花を生けて、常にそれを絶やさないこと」を課しました。条件は、生ける花は学校の敷地内から探すこと。意図は、①校地内の花を探すことで、生徒の色々な姿が見えてくること。たばこの吸い殻を発見するかもしれないし、校舎の裏で集まって秘密の話をしているかもしれない。教室と職員室の往復だけで終わらずに、動くことで発見する大切さを学んで欲しかったのです。②生けられた花が教員の気持ちを映す鏡となること。枯れたままいつまでも花瓶に残っている花は、何らかの援助を求めているサインと受け止めて助言を心掛けました。③花瓶から教師の在り方を学ぶこと。花瓶は花が生けられてはじめてその役目を果たします。花を引き立てることに花瓶の使命があり、花を忘れて自らを主張することは花瓶の本領ではありません。当然ながら花は生徒です。

あなたのくじ引きの思い出は?

 今日9月2日は、「く(9)じ(2)」の語呂合せから宝くじの日です。第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)宝くじ部が1967年に制定しました。宝くじの起源は、江戸時代の初期にあるそうですが、当時は富くじと呼ばれていました。神社や寺の修復費用を集めるなどの目的で発行されていたそうです。現在の宝くじの正式名称は「当せん金付証票」で賭博一般を指す普通名詞は正式には「宝くじ」ではなく「富くじ」だそうです。「当せん金」「抽せん会」などの「せん」の字は、漢字では「籤」(せん、くじ)と書き、「籤」が当用漢字に入れられなかったため、法令では「当せん」と書かれているそうです。よく見る「当選」という表記は日本新聞協会が定めた「同音の漢字による書きかえ」によるものだそうです。テレビで宝くじのCM(例の兄弟設定の俳優たちが騒がしい)をよく見ますし、宝くじ売り場に並んでいる人もよく見ます。そんな光景を見るたびに「みんな夢があるんだなぁ」と思います。実は、私は宝くじを買ったことがありません。確率的に悪いと思っているからです。夢がありませんね。宝くじを買うなら、競馬とかのほうがいいかなと思っています。(宝くじファンの方、ごめんなさい) ちょっと話題が教育的でない気がしますので、くじ本来の話に戻します。先日、席替えのことを書きましたが、学校の中でくじ引きすることは少なくないような気がします。何かを決める時に、話し合いで決まらない場合はくじ引きで決めていましたね。係や委員会、体育祭や球技大会の選手決め、教室やバスの座席決めなどで、人気があるものか逆になりたくないものかでくじ引きやジャンケンがされていましたね。ただ、それくらいはかわいいもので、日本史上、最も重大なくじ引きと言えば、室町幕府第6代将軍を決めたくじ引きです。今で言えば総理大臣をくじ引きで決めるようなものです。今、総理大臣になると大変だから、なり手がいない。仕方ない、くじで決めよう、ということです。詳しくは日本史の授業で教わるか、興味をもったら自分で調べましょう。

 「外れくじを引いた」という表現がありますが、それについてこんな言葉があります。『人事異動でも何でも世間の誰もが「外れくじ」と思う出来事ってありますね。でも、世間や周囲の人がどうあれ、自分だけは「このくじは当たりだ」と思うことが大事なんです。そのように考えたら、何事があろうと「人生すべて当たりくじ」じゃないですか。』塙昭彦(セブン&アイフードシステムズ社長)
 くじ引きは、最初に引こうが最後に引こうが確率的には一緒です。完全に運任せです。それでも、みなさんは積極的に一番に引くタイプですか、それとも「残り物には福がある」と、最後に引くタイプですか?みなさんの人生で一番重大なくじを引く時は、いつくるでしょうか?

  

 

地震、水害、火事、かかぁ?

 本日9月1日は、防災の日です。1923年9月1日11時58分に関東大震災が起こってから99年が過ぎました。10万5000人超の死者・行方不明者を出した未曾有の災害でした。それにちなみ1960年に「防災の日」が制定されるまでは、9月1日に行われる行事は、関東大震災犠牲者の慰霊祭が中心でしたが、「防災の日」が制定されてからは、全国各地で防災訓練が行われるようになりました。
 日本が地震大国であることは、みなさんご存じと思います。先日紹介したALTのエリシオ先生の出身地であるカリフォルニア州ロサンゼルスも地震が多いところです。日本に来た外国の人は地震に驚きますが、エリシオ先生はそうでもないかもしれませんね。単純な地震の発生数から見た順位では2015年、日本は2位のようです。一定の強度以上の年平均地震回数は、右の表のように5位です。地図は、マグニチュード5以上の地震発生地点をプロットで示したものですが、地理で教わったでしょうか。日本は塗りつぶされてしまっていますね。学校は、普通の住宅に比べて丈夫ですが、場所によっては倒壊や落下物等の危険がありますので、地震が起こった時は、落ち着いて行動してください。
 近年は、いわゆる線状降水帯やゲリラ豪雨による冠水や河川の氾濫などの水害が多くなっていますが、これからの季節は台風や秋雨前線による水害に特に注意が必要です。東毛地区は、大変災害が少ない地域で、テレビで災害のニュースを見るたびに自然災害で被害を被っている方々を気の毒に思う反面、災害の少ない地域に住めていることに感謝してしまいます。子どもの頃は台風がくると、不謹慎ですがわくわくしてしまいました。今は交通、観光業、農業など多くの人に被害を与えることがわかっていますし、学校の教育活動に影響があるので、台風がくると「来るな、進路がそれろ」と願っています。球技大会や修学旅行などの行事や部活の新人戦など、天候に左右される行事がこれからあります。みんなでよい天気になることを祈りましょう。

 ところで、タイトルは正しくは何だかわかりますよね。

宿題の日って・・・プラスにとらえよう!

 8月も今日で終わりですが、8月31日は「宿題の日」だそうです。昔は夏休みの最終日は8月31日が多かったのでそうなったようです。ただ、日本列島は南北に長いため、北海道など北の方や本州でも寒冷地では夏休みが短かいようですね。昔は、教室などに冷房設備がない場合が多く、暑さで授業が困難なので、その間を休業としたようですが、今はほとんどの学校で冷房が入っているので夏休みの意義は薄れていますね。もっとも現在の夏の暑さは昔と比べものにならないので、登下校だけで嫌になってしまうかもしれません。私は、39℃の教室で授業をしたことがあります。ぼーっとして頭が働かない状態で生徒も大変だったろうなと思います。

 マンガで、よく夏休み最後の日に宿題が終わらなくて親や友達に泣きついているシーンがありますが、みなさんは、どうでしたか?早めに終わらすタイプでしたか、最後まで先延ばしするタイプでしたか?絵日記や自由研究、夏休みの友(ドリル)、読書感想文、創意工夫作品、各種ポスターなどがありましたが、何に一番苦労しましたか。私は親に手伝ってもらった記憶はありませんが、自分の子供の宿題は手伝ってしまいました。なにしろ、今はお金を出せば宿題を代行してくれる時代ですから、親が手伝うのはかわいいものかもしれません。ただ、手伝うにも限度がありますけどね。
 「宿題の日」には、「勉強できる喜び」「教育の機会を提供する大切さ」を再認識してほしいという意味が込められているそうです。そのため「学べる喜びに気付く日」とも名付けられています。ユニセフ(国連児童基金)が発表した報告書によると、世界には学校で勉強したくてもできない5歳から17歳の子どもが3億300万人いるそうです。コロナで学校が休校になって、学校に行って勉強できることが当たり前ではないことに気付かされましたね。「学べる喜び」に早く気付けることを願っています。えっ?もう気付いてる?これは失礼しました。さすが、太東生です。

Welcome to Japan!

 とうとう夏休みが終わり、2学期が始まりました。みなさん、いいスタートがきれましたか。本日は、長いこと不在だったALTの先生を迎えることができました。

エリシオ=エンゾ先生です。アメリカのロサンゼルス出身で、大学では心理学を専攻し、趣味はスノーボードです。22歳のフレンドリーなナイスガイです。エリシオ先生の名前は、ギリシャ神話のエリシオンが語源かと最初思っていましたが、スペルが違うようでした。エリシオンなら日本語で「楽園、天国」という意味です。

 エリシオ先生は、一人で慣れない異国に来ています。もしかしたらホームシックになるやもしれません。みなさん、支えてあげてくださいね。私は、現場で何人かALTの先生を見てきましたが、日本人の奥さんがいて日本語ペラペラの人から、ほとんど日本語がしゃべれず、1年で帰ってしまった人まで色々でした。ぜひエリシオ先生には、日本が好きになってほしいと願っています。日本食を始めとする日本文化について、よいところを教えてあげてください。群馬は、うどん、焼きそば、スパゲティ、ラーメン、もんじゃ焼き、たこ焼きなど小麦粉の食文化の県です。上野・下野は、毛野国と呼ばれ、毛は麦を表しています。また、群馬はスキー場と温泉の県でもあります。ぜひ、エリシオ先生には、冬になったら温泉とスノーボードを楽しんでもらいたいと思います。

 それでは、エリシオ先生によく教わって、英語の力を伸ばしつつ日米交流を深めてください。先生が驚くくらい元気な声で、あいさつしてくださいね。

 

学園天国

 明日から2学期が始まります。8月2日を最後に、このブログも長いこと休んでいました。今日はウォーミングアップとして、内外教育という資料の巻頭コラムで上越教育大学名誉教授の新井郁男先生が席替えの思い出について書いていたので席替えについてつぶやいて(語って)みたいと思います。新井教授のコラムの概要は以下のとおりです。
 『私が、長野県須坂市立中学校2年の夏休みにクラスで市営施設に宿泊していた夜のこと、男子が寝ている大広間に担任がやってきて、全員に「好きな子がいたら名前をいいなさい」と言ったので、私は伝えました。すると2学期最初の席替えで、好きだと伝えた子の隣になりました。今まで座席は自由であり男子は男子同士で座っていたのを担任の先生が変えようとしたのです。それをきっかけにその子と仲良くなれました。教育に関する研究に携わるようになり、学校における席の配置について気になっています。机の並べ方は、ペアやグループなど学び合いが普通に行われるようになって色々な型が考えられてきましたが、児童生徒をどう配置するかについては、統一した考えがあるようには思えません。教師の考え方や子供たちの気持ちを聞いてみたいです。』
 この話を読んで、みなさんはどう思いましたか。「なんて、いい先生だ。うらやましい」と素直に思った人、「この先生は、女子の気持ちも聞いてマッチングした二人だけ隣にしたのか?」と疑問をもち、鋭く突っ込んだ人。「よく、先生に好きな子の名前を教えるなぁ、俺には無理だわ」と冷めている人。いろいろな感想・意見をもったと思いますが、共学校で席替えってけっこう重要じゃないですか?私は男子校だったので、どうでもよかったですが(笑) 。昔、フィンガー5という五人組の兄弟アイドルがいて、そのヒット曲に「学園天国」というのがありました。1974年の3月にリリースされ、ヒットした時私は小学5年生でした。「学園天国」は、好きな女の子の隣の席争奪戦ともいうべき内容です。「勉強する気もしない気も、この席替えにかかっている」ことを歌っています。小泉今日子さんもカバーしていました。私が担任をもっていたころ、席替えは1ヶ月に1回していました。一番の目的は、クラス全員と話せるようにすることです、最初は計算して席替えしていますが、後半はLHRでイベント化して、盛り上げることもしました。視聴覚室で座席をパソコン画面で映して、くじ引きで順番に座りたい席を選んでもらい、埋まった席は色をつけていきます。名前の入力は別シートなので、誰がどこを選んだかは最後までわかりません。そして全員の名前が入ったら、後ろの席や窓際から順番に開けていきます。開ける度に歓喜と悲嘆の声があがります。昔は、LHRで各クラス自由裁量の時間が少なからずあったので、調理実習や球技大会、その他レクリエーションなどがやれました。みんなクラスの友達と知り合い、仲良くなるための手段でしたので、やりたいことがあれば生徒からも企画を出してもらいました。たかが席替え、されど席替えです。みなさんは、席替えにどんな思い出がありますか。

 

伝統を高めて伝える者に

 今日は、猛暑の中、太田市民会館で学校説明会を午前午後の2回に分けて実施しました。午前の部が終わり、12時すぎに昼食を食べに行くため車に乗り込むと、車外気温が43℃と表示されました。「暑いぞ!熊谷」在住の私も流石にげんなりとしました。さらに自宅に帰ったのは6時少し前でしたが、車外気温はまだ39℃で「この時間で、まだ39℃?」と叫んでいました。熊谷に住み、教員生活の中で館林・伊勢崎勤務が22年と3分の2以上を占め、暑いところに縁がある私にとっても、今日の暑さは格別でした。

 話が横道にそれましたが、そんな猛暑の中、学校説明会に1400人以上の方々に御来場いただき、大変有り難く思いました。生徒会の生徒を中心に多くの生徒の皆さんに企画・運営を手伝ってもらい、成功裏に終えることができました。ありがとうございました。また、多くの先生方にお骨折りいただき、無事に終えることができました。ありがどうございました。生徒の皆さんは、学校説明会に参加した中学3年生を見て、「ついこの前、客席側にいた自分が、今は学校の説明をしているなんて、なんか変な感じだなぁ」と感慨深く思ったでしょうか。太東を、ますます盛り上げて、素敵な高校にするために、太東の素晴らしさを中学生に伝えて、入学志願者を増やすことが、自分たちのためにもなります。太東をおもしろくするための同士を勧誘することが、今の私たちに与えられた使命です(大袈裟ですね)。

 40年かけて生成・継承されてきた太東の校風は、男女共学の良さを体現しています。私が平成16年3月の太東の離任式で、生徒の皆さんに言った言葉は、「みなさんが先輩から受け継いだものを、より高めて後輩に伝えてください」でした。果たして気付いた人がいたかどうかわかりませんが、マンガの『エースをねらえ!』でお蝶夫人が岡ひろみに言った言葉をもじったものです。よき伝統は、連綿と先輩から後輩へと受け継がれ、さらによいものへと進化していきます。よい連鎖を生み出し、よくなっていく母校を見続けたいとは思いませんか。

「IJIME」

 今日は、本校を主会場として太田地区の「いじめ防止フォーラム」が開催されました。太田市内の6校の高校を拠点校として、近隣の小中高校・特別支援学校から学校代表の児童・生徒が集まり、オンラインでいじめ防止の話し合いをしました。本校の生徒会長が総合司会をし、他の生徒会役員にも色々と手伝ってもらいました。ありがとうございました。拠点校の先生方や、引率の先生方、保護者の皆さん、猛暑の中大変お世話になりました。

 開会の挨拶では言えなかったこともありました。いじめで自殺に追い込まれるほど被害を受けている子どもがいて救済もできていない一方で、本来ならいじめだとは言えないことが重大事案になってしまうことや、「いじめ利得」などという問題も生じているようです。(ここでは詳細は書きません。自分で調べてみてください。) 深刻ないじめに遭っている子どもからすれば、いじめっ子が良い子になっていじめをやめてくれるなんて、悠長に待ってはいられません。心の教育は時間がかかるし、万全ではありません。もし、万全ならそれは完璧な洗脳になります。いじめられている子をすぐに救うためのシステム(ちゃんと機能する)を作ることが求められます。『逃げるは恥ではないし、役に立つ』ことを、最悪でも教える必要があります。

 私は、いじめを防止するためには、幼稚園や小学校から徹底的に「いじめは絶対許さない」という断固たる姿勢をまず先生が貫くことが必要だと思います。そこには、いじめに対する高感度のアンテナ(察する力)が必要です。どこかの中学校みたいに先生が先生をいじめていて事件になるなんて言語道断です。現在は、ジャイアンとのび太のようにいじめる側といじめられる側が固定されているのではなく、その立場が逆転することも多々あります。アンケートでいじめたこともいじめられたこともあると答える生徒が多いように、次は自分がいじめのターゲットになるのではないかと怯えて傍観者を装ってしまう。そうさせないためには、先生が、学校がみんなを守るという確固たる姿勢が求められます。

『いじめ防止は、「いじめたい心」の理解から始まる。』あるいじめ関係の本の中の一節です。『いじめは絶対悪』からスタートすると、思考停止して根本的な解決策、つまり「いじめたい心」を消すことはできないのではないかと考えます。学校はすべてのカリキュラムを通して、良好な人間関係を形成する力をつけるために、ソーシャルエクササイズをするところです。どんなときにどんな気持ちになるのかを、小さい時から失敗しながら学び合うことが大事です。

「いじめ」は、心と体への傷害罪であり、重大な人権侵害です。泥棒を「万引き」と置き換えて、罪の意識を軽くし、親に「返せばいいんだろう」と言わしめる問題。それと同様に、いじめをふざけだとか軽くとらえてしまう意識の低さの問題。いじめは学校だけの問題でなく、人間社会全体の問題です。ですから、いじめ防止フォーラムも児童・生徒だけでなく、地域の大人も巻き込んだものになってほしいです。小学生から「おじさんの会社では、いじめはないのですか」「いじめは止められないのですか」と質問された時、どう答えるでしょうか。

自由研究ってワクワク?

 令和4年度第1学期も今日で終わりです。このブログも宣言どおり何とか続けてこられました。夏季休業中は、原則休むことになりますが、何か書きたいことがあればつぶやくことにします。ところで、みなさん「夏休み」が楽しかったのって小学生までですか?
 「自由って辛い」「自由って楽しい」みなさんは、どっちですか?実は、人は「自由」を欲しているにも関わらず、「本当の自由」を与えられると困るようです。頭の中の考えるという行為以外は、全ての行動に責任がついてまわるからです。夏季休業中に、課題も課外授業もなく、部活動もなく、全部自分1人で考えてやらなければならないとしたらどうですか?「誰からも指示されない、束縛されない、自分で全て決められるなんて、サイコー!」って思える人は最高です。確固たる意志と計画力、実行力がある人ですね。ただ、本来は太東の生徒全員にそうなってほしいのです。「主体性」を身に付け、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」を自分で伸ばせるようになってほしいのです。「自己教育力」を身に付けてほしいのです。大学に入ると高校よりも自由度が高まります。ただ、最近は新入生にやめられると経営上困るので、色々と世話してくれる大学が増えています。自ら考えて動くというより、高校の時のように手取り足取り支援してもらえるほうがありがたい、してくれないと困ると思う人が増えているのでしょうか。
「私たちは自由、個性や主体性といった聞こえのいい言葉に踊らされがちである。学校は一定の強制力をもって身に付けるべき知識を身に付けさせることに基本的な存在意義があるともいえる。各人の個性に任せて自由で主体的な学習に期待したとしても学習が広く深くなる保証は全くない。むしろ現実はその逆であることを示している。」 この言葉に反発して、太東で主体性を身に付けてください。それでは、よい「夏季休業」を!

スマイル¥0は今

 昨日は、日本マクドナルドが1996年に制定したハンバーガーの日でもありました。日本人で高齢者を除いて、マックのハンバーガーを食べたことがない人は、どれくらいいるんでしょうね。1971年7月20日、東京・銀座の三越内に日本マクドナルドの1号店が開店しました。この日は1万人以上の客がつめかけ、1日で100万円以上の売り上げを記録したそうです。マックの商売上手というか戦略上手なところは、ハッピーセットですね。子どもの時にマックの味を覚えさせて、大人になっても、子どもができてもリピーターとして来てもらえるようにする。まさに「損して得取れ」ですね。そしておまけが大事です。おまけ欲しさに商品を買わせるというのは、昔からの企業戦略です。古くは仮面ライダースナックが有名ですが、小学生が箱買いして、カードだけ取り、スナックは捨てるという行為が社会問題になりました。お店のドブに食べられていないスナックが捨てられている光景がよく見られました。それにしても、日本の菓子のおまけは、高品質ですよね。私は、昔、お菓子のおまけの色々なハンコを集めていて、提出されたプリントやノートの確認印に使っていました。話がそれてしまいましたが、私が高校生の時にモスバーガーが出店し、初めて食べた時は、そのおいしさに感動しました。それ以来、多少高くとも個人的にはモスが好きです。顧客を獲得し売り上げを伸ばすために、商品そのものに工夫を凝らすのはもちろんですが、「料理は値段に見合ったものしかできない。しかし、サービスは青天井で、いくらでもよくすることができる。」と某日本料理店の創業者が言っているように、マックの「スマイル¥0」も、重要な戦略ですね。日本の接客サービスの良さには外国人が驚いて感激しています。あるコンビニで挨拶を徹底したら、クレームが激減したそうですが、接客サービスの基本はやはり「笑顔と挨拶」なんですね。みなさんもお金をかけずに将来仕事で役に立つ「笑顔と挨拶」を太東で鍛錬してください。

国民の祝日考

 先日の18日は「海の日」でお休みでしたが、もともとは今日20日が「海の日」でした。戦後、1948(昭和23)年7月20日に祝日法が公布・即日施行され、9つの国民の祝日が制定されました。最初は、元日・成人の日・春分の日・(昭和)天皇誕生日・憲法記念日・こどもの日・秋分の日・文化の日・勤労感謝の日、の9つでした。この日以後、各祝日の日付けや名称などは適時修正・追加・廃止されてきました。「海の日」は、1996年から国民の祝日として施行され、2003年から7月の第3月曜日に変更されました。いわゆる「ハッピーマンデー制度」によって関係法が改正され、「成人の日」「体育の日」が2000年に、「海の日」「敬老の日」が2003年に、それぞれ〇月第〇週の月曜日に移動しました。生徒の皆さんは当時まだ生まれていないので、元々の日は知らないわけです。天皇誕生日は、天皇の代替わりによって4月29日→12月23日→2月23日に変わり、4月29日は当初「みどりの日」でしたが、2006年から「昭和の日」となり、「みどりの日」は5月4日に移動しました。また、2020年に「体育の日」は「スポーツの日」になりました。1954年にできた「敬老の日」が元々は「としよりの日」で、もっといい呼び方にしようということで1966年に改称されたことは、今回調べていて初めて知りました。「山の日」は2016年に新設されましたが、明確な根拠はなく「どうして海の日はあるのに山の日はないのか」という疑問が出発点で、1995年に「海の日」が制定されると、山梨県などの一部地域が独自に山の日を制定し始め、2010年には山岳に関する5つの団体により、山の日制定の運動が全国的に展開され祝日法の改正につながったようです。

 休みが増えるならなんでもいいやと、考えるかもしれませんが、日本は海洋国家であり、陸地の国土の面積は約38万平方kmで、世界第60位の大きさですが、領海と排他的経済水域を足した面積は約447万平方kmあり、なんと世界第6位です。その広さは日本の国土の約12倍なのです。また、一方で国土の7割弱が森林であることから、山を身近に感じられる国です。「海の日」「山の日」は日本にふさわしい祝日なのかもしれません。

 国民の祝日について、頭の中が少し整理されましたか。16日全部言えますか?ちなみに祝日が1日もない月は、6月と12月ですが、特に6月は5月とのギャップから休みが少ないというイメージが強いですね。世の中には、休みなんかほとんどないよという人もいるかもしれませんが、休まないと仕事も勉強も効率が上がりませんので、適度な休養は必要です。「寝るのはバカだ。みんな寝過ぎだ。私は死んだ後、たっぷり寝る。」と言ったのはエジソンですが、凄すぎて笑えます。受験勉強も、昔は「4当5落」(4時間睡眠の人は合格、5時間以上寝る人は不合格)なんて言葉もありましたが、今はできる人はしっかり睡眠をとっているというデータがありますので、生徒の皆さんも良質な休みをとって身体と脳のコンディションを整えて「受験の天王山」の夏を乗り切ってください。

※「ハッピーマンデー制度」・・・祝日と週休2日制をつなげ、3連休以上の期間を増やすため、国民の祝日の一部を従来の日付から特定の月曜日に移動させる制度。 連休の日数を増やすことで観光業や運輸業などを活性化する目的で設けられた。

本当に恐いのは・・・

 先日、本屋で久しぶりに妖怪・怨霊特集の本を見つけ、つい買ってしまいました。同じような本をたくさん持っていますが、何か違ったまとめ方がされていたり、見たことがない図版が載っていたりすると買ってしまいます。小学生の頃から妖怪の本が好きで、「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる先生のファンでした。恐怖マンガも同様に好きで楳図かずお先生のファンでした。妖怪マンガの第一人者が水木先生、恐怖マンガの第一人者が楳図先生ということに疑問をもつ人はいないと思います。そのくらい両先生はすごいです。水木先生は、残念ながら2015年に亡くなってしまいましたが、楳図先生は、86歳で健在です。楳図先生の代表作は、「漂流教室」「おろち」「恐怖」「猫目小僧」「わたしは真悟」「14歳」「神の左手悪魔の右手」などがあり、「まことちゃん」や「アゲイン」などギャグ漫画も描いています。マンガは、「おろち」のパロディです。
 妖怪や怨霊、幽霊、地獄などは絵巻や浮世絵などに描かれ、現代に伝わっています。日本の幽霊に足がないのは、円山応挙が描いた頼りなげな幽霊の絵があまりにも有名になったからと言われています。妖怪の起源は、奈良時代に書かれた「古事記」や「日本書紀」に出てくるヤマタノオロチや鬼のようです。平安時代には「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」など怪異にまつわる説話集が編まれました。水木先生もマンガとして描いています。江戸時代には、妖怪ブームも起こっています。怨霊として日本史上有名なのは、菅原道真や崇徳上皇、平将門、後鳥羽上皇でしょう。私は、20年前の8月27日に太東のオープンスクールの体験授業を視聴覚室で行いました。「歴史の光と闇…怨霊と妖怪」というテーマに興味をもってもらえたのか中学生と保護者で満員御礼でした。ビデオ映像を活用した25分間の授業の冒頭で、次のような話をしました。
「歴史は人間が残した営み、つまり活動記録ですが、その量は膨大です。その中から歴史家や政権担当者が重要だと考えたものが、歴史書としてまとめられ、特に教科書等に簡潔にまとめられているわけです。今、私には光があたっています。そのせいで陰もできています。その明るさ暗さは一様ではありません。最も明るい部分が教科書に相当すると考えてください。では最も暗い部分は何に相当するのでしょうか。完全に歴史上の勝者によってその存在を消されてしまった人々にあたるわけです。光の当たり具合は中心部と周辺部で違います。それは京都とそれ以外、関東・東北や九州を意味し、天皇と征服された人々を意味します。もし、みなさんが東北地方の人で、教科書に「東北の蝦夷(野蛮人という意味です)に朝廷が征討軍を送り服属させた」という記述を見た時、どう思いますか。立場を変えて記述するとどうなるでしょう。これはすべての歴史的事実の記述に言えることです。例えば原爆投下に関するアメリカと日本の立場のように。ですから、光をあてられた歴史だけを与えられたとき、陰の部分に想像力が働かないということにもなりかねません。教科書は悪く言えば、国民に共通の価値観をもたせる巨大な洗脳の道具にもなります。歴史を勉強する上で、そんなことを頭の隅においてもらえればと思います。」
 昔から現在まで殺し合いがなくならない人間に比べれば、妖怪やお化けなんて可愛いものと言えるかもしれません。

にこん♡

 今、授業では「主体的・対話的で深い学び」を目指しています。対話的な学びには、友人や先生、みらい学での講師の方々などとの対話によって学び会うだけでなく、本やその他の媒体を通して、過去現在の優れた人々と対話をすることも含まれています。そうして、たくさんの多様な考えを知ることによって「生きる力」をつけることができます。よくいうところの「座右の銘」とは、生きていく上で心の支え、指針となる言葉のことです。私は、覚えておきたい言葉を書き留める(実際にはエクセルに入力する)ようになってから20年が経ちました。一般的な言葉と教育関係の言葉に分けてありますが、現在3700くらいになっています。ブログの中でも内容に合わせて紹介していますが、今日は二つ紹介します。

「而今」にこんと読みます。語感が可愛いので気に入っていますが、「今」を大切に生きることです。戻ってこない「過去」や、まだ起きていない「未来」にとらわれ、後悔したり、不安を抱くのは、「今」をきちんと生きているとはいえません。人は、心配しても仕方がないことや後悔しても意味がないことを考えてしまいがちです。今に力を集中することで未来は開けます。

「一日一生」仏教の教えです。朝、起きると自分が生きて呼吸していることに感謝する。昼は、自分が平和な世界にいることに感謝する。そして、夜は1日が無事に終わったことに感謝する。それさえできれば、1日は一生と同じくらい貴重なものになるという意味です。その前に「人間として生まれたことに感謝する」「地球に生まれたことに感謝する」「日本に生まれたことに感謝する」ということがあるかもしれません。

 太東での学びが「主体的・対話的で深い学び」となるように、1日を大事にしていきましょう。

レボリューションって、カッコいい?

 今日7月14日は、フランスの建国記念日であり、ペリーが日本に上陸し日本の開国が促された日でもあります。1789年のこの日、パリ市民がバスティーユ監獄を襲撃・占領し、これがフランス革命の始まりとなりました。そして、1853年のこの日(旧暦嘉永6年6月9日)には、アメリカの4隻の黒船艦隊が江戸湾の浦賀沖に現れ、ペリー提督が久里浜に上陸して将軍への親書を渡し、翌年「日米和親条約」が結ばれ、日本は開国することになりました。両方とも日本史と世界史で勉強する重要な史実ですが、非常に対照的な史実が同じ日だったことが面白かったので、少しつぶやく?ことにしました。 

 革命とは、①天命が革(あらた)まること。前の王朝が倒れて別の王朝がかわって統治者となること。易姓革命。②被支配階級が、支配階級を倒して政治権力を握り、国家や社会の組織を根本的に変えること。と定義されていますが、日本ではクーデター(政変)はあっても革命(レボリューション)はなかったとされています。それは、クーデターが、同一支配層内部での権力移動であり、革命は体制そのものを変革するものだからです。日本では一揆が革命に発展することはありませんでした。

 日本は外圧でしか変われないということが以前から揶揄されていますが、革命を起こした他国が優れているということではなく、国民性や地域性など条件が違えば歴史が変わってくるのは当然ですので、日本では革命が起こる必然性がなかったとも言えます。世界史総合や世界史探究で扱うような大きなテーマです。日本では天皇制とも大きく関係していることですが、125代、2700年にわたって万世一系の天皇が存在しているなどという国は、他にありません。ただ、初代の神武天皇から25代目の武烈天皇までは、実在したかどうかは不明確です。

 昨日は、日本史・世界史・生物の授業を参観し、生物が顕微鏡を使った観察実験だったので生物について書こうかなと思いつつ、前日の野球以外のスポーツ漫画についてもありかなと迷っていたところ、上記の意外な事実に気付いたので地歴公民の教師としては、こちらを選んでしまいました。余談の余談ですが「レボリューション」が曲名に入ったものの中で、好きなのは、渡辺美里の『My Revolution』とSuperfly の『タマシイレボリューション』ですね。「天才バカボン」のレレレのおじさんと「ベルサイユのばら」のオスカルを共演させた漫画は、30年くらい前に現代社会のレジュメに載せたものです。(我ながら、くだらないものを描いたなと思います)

『この映画恐いね』と君が言ったから7月13日はオカルト記念日

 今日、7月13日はオカルト記念日です。1974年のこの日、映画『エクソシスト』が日本で初公開され、オカルトブームの火附け役となったからだそうです。実は、私の記念すべき初映画鑑賞が、この「エクソシスト」でした。小学校5年生の時で、友達5、6人と観に行きましたが、恐くて1週間くらい、夜にトイレに行けませんでした。友達の1人は、「恐いシーンが終わったら、教えてくれ」と恐いシーンでずっと目をつぶっていましたが、何のために来たんだよと思っていました。ちなみに「エクソシスト」とは、悪魔払いの祈祷師のことで、少女に憑依した悪魔を払う神父の戦いを描いています。悪魔に取り憑かれた少女の変化がすさまじく、まだCGがない時代ですから、少女の演技が素晴らしかったということになります。日本のオカルト映画で恐いものというと「リング」や「呪怨」が有名ですが、私は「エクソシスト」のほうが恐かったです。観たのが子どもの時か大人の時かで随分違うかもしれませんが。
 「オカルト」は科学では説明がつかない神秘的な出来事や超自然的なものを指す言葉ですが、似ている言葉に「カルト」があります。英語圏では正統的キリスト教を「教会」、その分派を「セクト」とよぶのに対し、異端的または異教的小集団を「カルト」と呼び、オウム真理教の地下鉄サリン事件以降、.過激で異端的な新興宗教集団をさす言葉として定着しました。今回の安倍元総理の殺害事件で、昔、霊感商法などで問題となった、ある宗教団体がクローズアップされました。皆さんは、大学入学後に多くのサークルから勧誘されることと思いますが、その中には怪しげな団体もあります。もちろん、表向きは健全なサークルを装っていますので、地方から出てきた新入生が騙されやすいのです。もう一つ、近年定着した「スピリチュアル」という言葉があります。占いや霊的なもの、オカルトなどを指して使われますが、こちらのほうが柔らかい感じがするため、誤ってハマると人生が台無しになることもあります。理系の高学歴者がオウム真理教の幹部に多くいて話題になりましたが、宗教教育の大切さと危うさとは、宗教絡みの事件が起こる度に実感します。人の弱くなっている心につけ込んで、お金を巻き上げようとする輩に騙されないように、非科学的なことを安易に信じたりしないで、「なんか、おかしいぞ」という感覚をもったら、立ち止まって考え、信頼できる人に相談するようにしてください。タイトルの意味がわからない人は、サラダ記念日で検索してください。

熱闘!高校野球

 昨日は、野球部の第104回全国高等学校野球選手権大会の県予選第一回戦の応援に敷島球場に行ってきました。ジリジリきて痛い暑さの中、吹奏楽部とチアリーディングの生徒の皆さん、応援ありがとうございました。保護者の皆様、引率の先生方、お疲れ様でした。3時間半を超える熱戦を戦い抜き、大差をつけられても諦めることなくプレーし、中盤に一度は逆転したものの最後はあと一歩及ばず15対14で惜しくも敗れました。野球部の皆さん、監督・顧問の先生方、マネージャーの皆さん、お疲れ様でした。この悔しさをバネに秋に向けて頑張ってください。応援にも力が入る、これぞ高校野球といういい試合でした。「俺はキャプテン」という漫画の中で主人公が「日本の夏は甲子園があるから美しいんだ」というセリフがあったと記憶していますが、もはや高校野球は日本の文化、日本の夏の風物詩となっていると思います。
 私は小学生の頃から野球は好きで(毎日、夕食時に父親がナイターを観ていたせいか)、野球漫画も400冊くらい持っています。単行本を持っていなくても読んだことがある野球漫画は40以上です。ただ、調べたら今までに出版された野球漫画は440以上あるらしく予想以上でした。水島新司さん、ちばあきおさん、あだち充さんの三人で、私が持っている野球漫画の半分を占めます。野球漫画の第一人者と言えば、水島新司さんであることは疑いようがないですが、「男どアホウ甲子園」「ドカベン」「あぶさん」「一球さん」「野球狂の詩」「光の小次郎」「球道くん」「おはようKジロー」など高校野球とプロ野球がメインです。「キャプテン」「プレイボール」のちばあきおさんは、中学・高校野球です。あだち充さんは、「ナイン」「ああ!青春の甲子園」「タッチ」「MIX」「H2」「クロスゲーム」など、ほぼ高校野球専門ですね。リトルリーグからメジャーまで、また女子野球やソフトボールもありで、本当に日本人は野球が好きなんだなと思います。ただ、最近は少子化とサッカーやバスケ、バレー、テニスなど他のスポーツに競技人口が流れていて、各スポーツで子どもの取り合いみたいになっています。オリンピックの影響で、スケボやスノボをやる子どもも増えていますね。どのスポーツも将来のプレイヤーと観客増のため真剣です。
 『週刊少年ジャンプ』(集英社)の三大原則として語られていた「友情、努力、勝利」は、日本の典型的な少年漫画を表す標語です。ここに「豊かな人間性」「コミュニケーション能力」「協働」「自己肯定感」などの教育的要素が詰まっていますね。(漫画から学べることも多いんですよ。)

政治教育と宗教教育の大切さと危うさ

 参議院議員選挙が終わりました。選挙権をもった3年次生のみなさんは、投票に行きましたか?相変わらず全体の投票率は低かったようですが…。8日に安倍元総理が、応援演説中に銃撃されて亡くなったというニュースは世界を駆け巡りました。日本国内よりも世界で評価されていたことが、明らかになりました。総理を退いたとはいえ、まだ日本のためにやらなければならないと思っていることが多かったのではと思います。森友学園をめぐる公文書改ざんや加計学園問題、「桜を見る会」問題など負の側面もありましたが、安倍元総理の政治家としての実績は後世の人によって評価されることでしょう。
ロッキード事件で失脚した田中角栄元総理は、「マスコミ人も日本国民の一人だ。おれの悪口を書いて食していけるなら、それもまぁ結構なことではないか。政治家の評価は後世の人がするんだ。今悪口を言われても結構。悪口を言われている間は仕事をしてることなんだ。」と言っていましたが、政治家としての信念をもって命がけでやっているかどうかが問われるのだと思います。(別に悪いことを擁護しているわけではありません)
 日本の内閣総理大臣でテロにより死亡したのは、伊藤博文(初代)、原敬(19代)、高橋是清(20代)、濱口雄幸(27代)、犬養毅(29代)、齊藤実(30代)、安倍晋三(第90、96~98代)であり、戦後では安倍元総理が初めてです。濱口雄幸は正確には、亡くなったのは9ヶ月後で、テロで受けた傷が原因であることから入っています。テロリズムは、要人暗殺の意味で使われることが多いですが、警察庁組織令第39条では、「広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動」と規定されているので、今回はテロと呼べるのか疑問です。

 暗殺された歴史上の人物として有名だと思われるのは、マハトマ・ガンディー、ケネディ大統領、キング牧師、井伊直弼、坂本龍馬などです。彼らが暗殺された理由を調べてみてください。こうした事件が起こると、「許されない卑劣な行為」だと一様に非難の声があがりますが、虚しさが残ります。最後にフランスの哲学者ヴォルテールの言葉を紹介します。「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」 リーダーや政治家としての器の大きさを表現する言葉に「清濁併せ呑む」があります。大きな目標を達成するためには、自分の価値観や考え方にこだわらず、自分とは異なる意見も積極的に取り入れ、より良い答えを導き出そうとする姿勢が大切です。今回の選挙の結果、どうなるかを注視したいと思います。

なお、今回のテーマの意味については、読んだあなた自身で考えてみてください。

言霊か言魂か

 昨日は、芸術鑑賞教室として劇団四季のミュージカル『アラジン』を観に3年次生が東京に行ってきました。私は、引率で平成15年に『マンマ・ミーア』を観に行ったことを記憶しています。舞台装置のすごさや劇団員の方々の演技と歌の素晴らしさにひきこまれ、楽しい時間を過ごさせてもらいました。今回も引率された先生方から、生徒が楽しんでいた話を聞きました。私はミュージカルや演劇は数えるくらいしか観ていませんが、本当にたくさんの人が関わって一つの舞台ができあがっているということを感じます。それは、映画のロールエンドで、俳優や監督などの他に非常に多くの団体や個人が協力していることがわかることと同義です。たくさんの人に楽しんでもらうために多くの人が誇りをもって協力し、一つの作品を作り上げているのだと思います。生徒の皆さんも、ぜひ誇りをもって取り組める仕事を見つけられるように、太東と進学先での勉強を頑張ってください。
 世界に知られる映画の黒澤明監督は役者の演技をチェックする時に3つのセリフに注目したそうです。「ありがとうございます」「いらっしゃいませ」「かしこまりました」この3つは心がこもっていないと、とても不自然に聞こえる言葉だとのことでした。『戦後最高のウェイターと呼ばれた男の話』という本に載っていました。別に、これらの言葉に限らず、言葉の意味よりも、そこに込められた気持ちのほうが大事で、言葉の質感というか、言霊みたいなものが出るかでないかが、言葉が人に届くためには必要なのかなと思います。顔や身体の表情と声の表情がそろって、言葉が人に伝わる力が決まるのだと思います。今はマスクのせいで、目力だけで勝負しなければならなくなっていますが、早くマスクを取りたいものです。ちなみに言霊は言魂とも書くようです。みなさんは、どちらがしっくりきますか?

学問に王道なし

 私は、ことわざや四字熟語が好きで、中学生の頃からその類の本を読んでいました。英語を勉強するようになって、英語のことわざとそれに該当する日本や中国のことわざの比較がおもしろいと思うようになりました。いくつか、好きなことわざを紹介します。

「It is no use crying over spilt milk」は、直訳すれば「こぼれたミルクを嘆いても無駄だ」で、日本では「覆水盆に返らず」の意味で使われますが、微妙にニュアンスが異なります。このことわざには「ミルクはまた注げばいいので嘆かなくてもいい」といった前向きな意味合いも含まれているのです。一方、「覆水盆に返らず」は、四字熟語では「覆水不返」と書き、類語には「後悔先に立たず」「時すでに遅し」「後の祭り」などがあります。「It is no use crying over spilt milk」と違い、深刻で取り戻せない事態を嘆く言葉です。誤解されやすいですが、中国語の「盆」は日本語の「お盆」ではなく、鉢・ボウル状の容器のことです。

「The early bird catches the worm.」は直訳すれば、「早起きの鳥は虫を捕まえる」で、日本では「早起きは三文の徳」に相当し、早起きするといいことがあるという意味で使われますね。英語圏では、Early birdは早起きな人という意味でよく使われるそうです。このことわざは中国に由来しますが、日本では2つの説が言い伝えられています。高知説によれば、「堤防の土を朝早く踏み固めることで、三文のお金をもらえる」というお触れが由来。また、奈良説によれば、「鹿が家の前で死んでいると、三文の罰金になる」という江戸時代の「生類憐みの令」が由来。中国の意味では「三文の徳」、日本の意味では「三文の得」と表現され、どちらも間違いではないそうです。ただ、よく目にするのは「徳」のほうですね。また、「三文」は、江戸時代の通貨価値の平均から現在の 「三百円」くらいで、江戸時代のそば一杯分くらいみたいです。このように「三文」には「取るに足らない価値」という意味合いも含まれているため、ことわざの意味と矛盾する感じもしますが、「朝起き千両夜起き百両」ということわざもあります。これは「夜に仕事をするより、朝早起きして仕事をした方が効率的である」という意味です。お金の桁が違いますね。武将の真田幸村で有名になった真田家の家紋の六文銭の由来は、仏教での「六道銭」という三途の川の渡し賃だそうで、決死の覚悟で戦うという意気込みからという説があります。実は、この六文もそば一杯分の価値(300円)と考えられているんです。

ちなみに私の起床時間は、ここ20数年1~3時くらいですが、1日300円で換算すると250万円くらい得したことになりますね。多いか少ないか微妙?

最後に「There is no royal road to learning.」は直訳すれば「学問に王道なし」で、ことわざどおりです。 古代ギリシアの数学・天文学者で「幾何学の父」と呼ばれたユークリッド がエジプト王に言ったといわれる言葉が由来だそうです。 学問を修めるのに簡単な方法はなく、誰であろうと努力して苦労して習得していくほかはないという意味です。テストに出るところだけ勉強するのでは、学問は修められないよということですね。

地球は青かった

 今日は、有名な言葉で、後に続く言葉が以外と知られていないものを紹介します。
①北海道開拓の父であるクラーク博士の名言として知られる「Boys, be ambitious」(少年よ大志を抱け)は「Boys, be ambitious like this old man.」(少年よ、この老人のごとく大志を抱け)なのだそう。北海道に旅行すると、クラーク像の前で同じポーズで写真を撮るのが鉄板になっています。「like this old man.」に込められたクラークの気持ちを想像してみましょう。
②「地球は青かった」は、世界初の有人宇宙飛行を成功させたガガーリンの有名な言葉ですが、この後に「しかし、どこを見回しても神はいなかった」と続きます。正確な記録は無いようですが、海外ではこちらの方がよく知られているのだとか。宇宙から肉眼で地球を見たとき、どんな感覚に襲われるのでしょうか。
③「柔よく剛を制す」は、格闘技などで使われることが多く、柔らかさのあるものが固く強靭なものをいなす場合もあるという意味です。しかし、実は「剛よく柔を断つ」という「固いものが柔らかいものに打ち勝つ」という意味の続きもあるのです。「逆もまた真なり」ということですかね。私は、漫画の「ドラゴンボール」の中で、主人公の孫悟空がゴムのような柔らかい敵に苦戦して、凍らせてやっつけるシーンを思い出しました。今の生徒には、「ワンピース」のルフィの例の方がわかりやすいですかね。
④「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」は、「井戸の中にいる蛙はずっと井戸の中の狭い世界しか見たことがなく大きな海を見たことがないので、視野が狭くありきたりの知識しかない」という意味で、ネガティブな意味で使われます。この後、「されど空の深さ(青さ)を知る」と続きます。中国から日本に伝わって、付け加えられたようです。「狭い世界で自分の道を突き詰めたからこそ、その道で深いところまで究めることができた」とポジティブに解釈できるでしょうか。新学習指導要領のいう「深い学び」に通じるところがあるのでしょうか。

ぼやき>つぶやき

 期末考査中は、ブログ通信の発行を控えていたら、また2号同時に出すことになってしまいました。前よりも1話が長くなりがちで、1号に5話入れるつもりが、イラストも入れるようになったら3話の号が出てきてしまいました。内容を削って短くする努力はしているんですが、なかなか短くなりません。文字だけで長いと読む気がなくなるだろうなぁと思って、イラストを入れるようにしたら余計時間がかかるようになって、どうしようかと今悩んでいるところです。毎日、何かしらその日に関連ある話題で書いて教育的にまとめることが、きつくなってきたので、とにかく無理しないように書けることを書こうと思い始めました。
 それはそうと、イラストを私が描いていることを生徒が信じないということをS先生から聞きました。私は、高校生の頃からイラストや似顔絵、色紙やTシャツのデザインやポスターなどを多く手がけてきました。太東では女子テニス部の生徒の卒業記念に似顔絵やイラスト入りの色紙や写真と組み合わせたイラストを作りました。アンパンマンのキャラクターをテニス仕様にしました。(生徒の顔は肖像権があるので隠してあります。)
シティハンターのパロディマンガは選挙も近いし、おまけで載せました。大昔に日本史のレジュメに載せたものです。

雨雨ふれふれ♪

 早いもので、令和4年も半分が過ぎ、7月となりました。皆さんは、睦月から師走まで旧暦の月の呼び方を古典で学習していると思いますが、わかりやすいものもあれば、現在の感覚では昔と季節のずれを考慮しても理解し難いものもありますね。よく耳にするものは、弥生・皐月・師走でしょうか。
 旧暦の7月は、文月(ふづき、ふみづき)と呼ばれますが、書道の上達を祈って、短冊に歌や願い事などを書く、七夕の行事にちなんだ呼び方だという説があります。ほかには、収穫が近づくにつれて稲穂が膨らむことから「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくむづき)」が転じて「文月(ふづき)」になったという説、稲穂の膨らみが見られる月であることから「穂見月(ほみづき)」が転じたという説もあります。今年は、梅雨期間が短かったことから西日本では、ダムの貯水率が非常に低く、水不足で稲の発育に悪影響が出そうだと心配されています。以前の「雨にぬれても」のブログで「農業者にすれば、想定外も実は想定内。雨が降り続いても彼らは案外明るい。明るくあきらめている。」と書きましたが、今回は、その逆となります。体育祭の時とは逆に、てるてる坊主を逆さにつるそうかと思います。
 私は日本史が専門でしたので、旧暦の月の中では「神無月」が好みです。10月に出雲に全国から神様が集まります。ですから出雲では「神在月」といい、その他のところでは「神無月」となるそうです。ただ、全部の神様が集結すると困るからなのか、留守番の神様もいるようで、恵比須様や、金比羅様、道祖神、かまどの神様などは出かけないみたいですね。それで、集まった神様は何をするかというと、出雲大社で「神議り(かみはかり)」という議論をし、我が国や私たちの繁栄や安寧、それに縁結びや五穀豊穣など、とてもありがたいことを決められるそうです。これは絶対神がすべての権限を有している一神教では考えられないことですね。縁結びも神議りで決められるみたいなので、9月の終わりに、よくお願いしておいたほうがいいかもしれませんよ。

知識・技能+勇気

 昨日は、先生方が救急救命講習で、AEDの使い方を研修しました。セミナーハウスの2階の和室2部屋に分かれて行いました。もう何回も受けている講習ですが、1年に1回なので忘れていることや新たな気付きがあります。私が感心したのは、先生方から講師の方にたくさん質問が出たことです。アクティブラーニングを先生方自身が体現できているなと思いました。ただ、アクティブラーニングは、特別なことではありません。教科書を読むという行為でも、漫然と読むのではなく、わからないところや疑問に思ったところをチェックしながら読むだけでアクティブラーニングになります。それは先生の説明を聞くときも一緒です。ただ、受動的にやらさられているだけの学習活動を、意識を変えるだけで思考力が高められる活動になります。
 AEDの研修をしていて、いつも思うことは、学んだ知識・技能を生かすためには勇気が必要だということです。心肺停止の人を目の前にしたときに、「自分がやって、大丈夫だろうか」と不安に思って躊躇してしまうのが普通ではないでしょうか。ただ、学校内では、先生方が協力して生徒を助けるために動いてくれるので、心配はいらないと思います。問題は、学校外で起こった時です。周りに協力してくれる人を見つけて、一人で重荷を背負わないようにすることも大切です。人の命がかかった場面に遭遇することは、なかなかありません。その少ない場面のために、知識・技能を身に付け、心構えをしておくことが大事だと思いました。改めて、救急救命医療に携わっているお医者さんたちは、すごいなと思います。

もう、しょーがない!

 連日、猛暑日が続いていますが、3階のエアコンの調子が悪いようで1年次生には、申し訳ないと思います。私が教壇に立っていた頃は、まだ教室にはエアコンはなく、39度の教室で意識朦朧として授業をしたこともありました。私は汗っかきだったので、太東でも夏場は1日3回着替えていました。そんな思い出を書きつつ、一番勉強がはかどる室温は何度だろうという疑問がわいたので、絶対そういう研究があるだろうと思って調べました。
 室温は22~25℃が作業や勉強には最適だそうです。これは夏場ですかね。電気代の節約を目的とした省エネ推奨温度は28度とされていますが、室温と作業効率を調べる研究では、気温が25度以上になると、1度上がるごとにパフォーマンスが2%下がるという報告もあります。WHO(世界保健機関)は2018年11月に「冬場の室温は、18度以上にするべき」と強く勧告したそうですが、寒さは脳神経の質そのものを低下させ、自律神経の異常や集中力の低下を招くことが近年の研究で明らかになっているみたいです。18℃前後の室温で、脳にある温度調整機能が活発に働き、感覚や思考が鋭敏になるそうです。
 脳はコンピュータと一緒で活発に働けば発熱します。暑くなると、体温調節のために自律神経が酷使されるため、脳の温度が上がりやすくなります。さらに、コロナ禍の今は、マスクの中で温まった湿気の多い空気を吸ってしまうので、脳に熱がこもったまま冷えにくくなります。以前より脳がオーバーヒートを起こしやすい環境にあります。また、悩みや不安による精神的なストレスや、過労や肉体疲労による身体的なストレスが増すと、自律神経中枢の負荷が大きくなることから、脳が発熱しやすくなるそうです。脳が体をコントロールしているので、脳がオーバーヒートすれば、頭痛や発熱、だるさ、めまいなど、体に不調が表れ、集中力及びパフォーマンスが低下します。
 「頭寒足熱」という言葉があるとおり、受験勉強では室温・湿度を適切に保ち、換気をして酸素を取り入れることが脳にとって大事です。3年次生の皆さん、環境をしっかり整えて、夏冬を乗り切ってください。

ここは今から倫理です。

 昨日、公民部会で「トロッコ問題」が話題に出ました。トロッコ問題とは、人の命の数や重みをどう判断するか、という倫理的なジレンマを扱う思考実験です。具体的には、暴走したトロッコの先に5人いて、ポイントを切り替えるとポイント先の1人が犠牲になり、5人は助かります。あなたならどうしますか?という問題です。選択する人と人数には、様々なパターンがあり、命の質と量に対する考えが問われます。この解答に全員を助ける方法が出てきて、ツィッターで話題となりユーチューブでも動画が公開されています。これは本来の問題の趣旨からそれるという批判もありますが、二者択一でなく第三の解決方法を考えられるなら、そのほうがよいのではと思います。社会に出れば、学校のテストのような正解はなく、その時得られる最良の納得解を探さなければなりません。「倫理」という科目は昔は必修でしたが、今は選択で、しかも履修できる学校は限られています。「倫理」は高校生に学習してほしい科目です。キャリア教育が進路指導とは違うものとして導入されたのは、「生き方、在り方」について考えることがまず大事だからです。「私は何者なのか」「この世界は何なのか」などの答えの出ない問いについて考えることは、決して無駄なことではありません。尾崎豊は「自分の存在が何なのかさえ解らず震えている15の夜」と歌いましたが、多感な中高生の頃は、一度は考えることではないでしょうか。多くの先人の様々な考えに触れ、悩み、深く考えを巡らせることは、心の栄養となります。
『ここは今から倫理です。』というマンガも出ています。倫理に興味をもったら読んでみてください。

氷は水より出でて水よりも寒し

 昨日は、梅雨明けの発表があり、思わず「え~っ!」と声をあげてしまいました。7月に「戻り梅雨」もあるかもしれませんが、過去最短の梅雨期間でした。これから猛暑が続くことが予想されますが、みなさんも体調管理をしっかりしましょう。
 日本は、「湯水のごとく使う」という表現があるとおり、水資源が豊かで諸外国に比べて大変恵まれていると言えます。四季がはっきりしていて感性豊かで表現の多彩な日本ならではの特徴として、雨の呼び方は、400種類以上もあると言われています。普段よく耳にするものだけでも、春雨、菜種梅雨、五月雨、秋雨、時雨、氷雨などがあります。時期ではなく雨の降り方によっても呼び名がたくさんありますね。驟雨(にわか雨)、雷雨、霧雨、白雨(夕立)、土砂降り、天気雨、通り雨、大雨、小雨、豪雨、御湿りなどは、よく使われるものではないでしょうか。個人的には、天泣(雲がないのに降る雨)が好きです。そんな風情のある雨も、降り方によって洪水などの災害を起こし、作物の生育に大きな影響を与えます。今年は雨不足で作物に与える影響が心配されますね。
 さて、日本では豊かな水ですが、地球上に存在する水のうち、97.5%は「海水」であり、人間が利用できる「淡水」は地球上の水の総量のたった2.5%ほどで、簡単に利用できない南極や北極地域の氷雪や深い地下水を除くと、人間が実際に取水して利用できる淡水は、地球全体の水の0.02%程度しかありません。そうした水も汚染されていることがあるため、実際に使える水の量は、地球全体の0.01%だそうです。これは、もし地球のすべての水の量がふろおけ1杯分(200リットル)だとすると、20mlしかないということになります。ちょっと多めの目薬くらいです。
 日本が水を大量に輸入していると言ったら、みなさんは驚きますか。仮想水(バーチャルウォーター)という考え方では、食料などを輸入する際に、その生産に必要な水も輸入したことになると考えます。日本の主要穀物(大麦、小麦、大豆、トウモロコシ、コメ)と畜産物(牛肉、豚肉、鶏肉)についての仮想水総輸入量は年間約60兆リットル以上にのぼり、国内での灌漑に使う水の量を上回ります。日本人1人あたりで計算するとおよそ50万リットルで、仮想水輸入量は世界一と考えられるといいます。研究では、1キログラムを生産するのに必要な水は、小麦では2000リットル、コメでは3600リットル。一方、鶏肉では4500リットル、牛肉では2万700リットルにもなると推計されています。私たちが食べているものには、とんでもない量の水が必要なんだということがわかります。
 水資源というと、飲料水や炊事や洗濯に使う生活用水が思い浮かぶ人が多いと思いますが、実は世界の水資源取水量の約7割は農業用水として利用されており、工業用水は2割、生活用水は1割程度にしか過ぎません。昔、NHKスペシャルの水問題に関する番組で、上記のことをわかりやすく解説してくれていました。私が地理の授業で使用したので、20年以上前の話です。現在も水問題は人類の大きな課題ですが、解決に向けてどう進歩しているのでしょうか。
 日本は海水淡水化や排水・下水再利用など水インフラで優れた技術を持ち、世界の水不足問題の解決に大きく貢献できると期待されています。頑張ってもらいたいです。皆さん、今年の夏は、水不足が心配されます。水を大事にしましょう。※ちなみにタイトルの意味は「青は藍より出でて藍より青し」と同じです。

ウルトラキャリア

 先日、「シン・ウルトラマン」を観てきました。ウルトラマンに代表される特撮巨大ヒーロー物と仮面ライダーに代表される等身大ヒーロー物全盛期に子ども時代を過ごした者としては、どのようにリニューアルされているか興味がありました。邪道かもしれませんが、私は映画を観る前に口コミをチェックし、どのように感じている人がいるのか、評価しているのかを頭に入れます。そして、映画を観ながら、それらの意見や感想を照合して、自分の心の中で、同意したり反論したりします。映画は、自分が面白ければ、それでいいのですが、多様な考え方や感じ方を知ることで勉強になります。「対話的で深い学び」になっているかもしれません。(大袈裟)
 単純な勧善懲悪ものではなく、現在の世界情勢とも絡めて考えさせられるものになっていましたが、やはり本来の作品を知っているかどうかで楽しみ方も変わってしまう可能性は否定できませんでした。(知っているから面白いと感じるわけではありません。がっかりすることもあります) 私は、ウルトラマンに日本と契約して自衛隊所属になってもらって他国からの侵略から守ってもらうストーリーだとどうなるかなと思います。(同人誌で発表レベルですかね)
 ウルトラマンは「光のエネルギー」、仮面ライダーは「風力エネルギー」、アトムは「原子力エネルギー」のヒーローです。50~60年前に、日本は環境問題をテーマにしたヒーローを生み出していたんです。なんて先進的なのでしょう。世界に誇るべきです。
 子どもの頃には、大抵ヒーローごっこ遊びというのをやりますが、仮面ライダーの「ライダーキック」の真似をして高いところから飛び降りて怪我をする子どもが増え社会問題になりました。番組サイドは、どうしたと思いますか?異例なことにライダーが番組最後に注意喚起をしました。「ライダーキックは仮面ライダーだからできるんだ。よい子のみんなは危険だから真似してはいけないよ」と。
 子どもですから、「ウルトラマンになりたい」と思う子も多かったです。今もウルトラマンや仮面ライダーシリーズは続いていますから、少なからずいることでしょう。どこで読んだか忘れましたが、キャリア教育の精神に通じる一節を思い出しました。
「ウルトラマンになりたい」という子どもを笑ってはいけない。そんなことは無理だと考えるのではなく、どうしたらできるかということを考えよう。大切なのは、なぜそうなりたいと思ったのかである。(この子どもは警察官になった) ウルトラマンには、手から水を放出して火を消すシーンがありますが、消防士になった子もいるかもしれません。キャリア教育は、自らの生き方を考えられるようにする教育です。最終的にどんなことで人の役に立ちたいのかが、進路決定の大事な要素です。そのきっかけとなることは、みなさんの場合、何でしょうか。

スッキリ!

 掃除の話が2日続きましたが、今日は書き残した「整理整頓」の話をしようと思います。教室を見て回った時、生徒の皆さんのロッカーの中が整頓されているかどうかも見ました。皆さんの自宅の部屋は、「整理整頓」されていますか。「整理整頓」すると、どんないいことがあるのでしょう。
「整理」とは「いるものといらないものを分け、いらないものを捨てる」ことです。
「整頓」とは、「必要なものをいつでも誰でも取り出せるよう、秩序だてて配置すること」です。工場などで「整理整頓」という標語が掲示されているところもありますが、私の実家は鉄工場で、父は「どこに何があるかわかっているから、目をつぶっても必要なものは取って来られる」と言っていました。
 今から10年以上前に『断捨離』ブームがありました。「捨てるものと残すものは、心がときめくかどうかで決める」という言葉が印象に残っています。ただ、日本には世界でも称賛された「もったいない」思想がありますので、なかなか捨てられない人も多いようです。断捨離とは、下記のように不要な物を断ち切り、物への執着心をなくすことで、身軽で快適な生活や人生を手に入れようとする考え方のことです。断捨離はヨーガの思想だそうで、商標登録もされています。
断行(だんぎょう):入ってくる不要な物を断つ
捨行(しゃぎょう):家にずっとある不要な物を捨てる
離行(りぎょう):物への執着心をなくす
 皆さんは、何か購入する時、「本当にこれは使う(着る)だろうか」と心の中で自問していますか。私は、本当に欲しいと思えば買うし、迷ったら何日か待って、欲しい気持ちが残っていれば買います。それでも、何回か着ただけのシャツやネクタイがあります。今は、本当に服の質がよくなって安くなったため、気軽に買えてしまうので、タンスの肥やしも増える一方なのではないでしょうか。私は、1年着なかったものは捨てるようにしています。本は、メモしながら読んでいるので、手元に残しておきたいと思った本以外は、売るか学校の図書館に寄付しています。仕事でファイルしてある書類も私の感覚では7~8割捨てても大丈夫です。実際、捨ててきましたが、その時の判断基準は、今後必要となると予測される情報が記載されているかどうかです。
 「足るを知る(者は富む)」という言葉があります。古代中国の思想家、老子の言葉ですが、「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」という意味です。物質欲には限りがなく、執着心を捨てることで楽になります。この言葉には、後に続く言葉がありますので、興味をもったら調べてみてください。
 『断捨離』は一つの価値観なので、これが正しいというわけではありません。ただ「整理整頓」は、勉強でも仕事でも何かしようとする時に大事なことだと考えます。身の回りを整理整頓し、予習で仕分けを、復習で整頓することで理解が進みます。
 皆さんは、なぜ、「わかる」を「分かる」と書くのかわかりますか?情報は、事前に整理されていれば、その構造(意味)を判定することが容易になります。そして、この整理とは、たいてい、「分ける」ことから始まります。つまり、「分ける」は「分かりやすい」の原点なのです。認知心理学では「分かる」とは、一次記憶域の情報が「解釈」「一般化」「抽象化」という過程を経て、二次記憶域に移動することとしています。

 身の回りと頭の中の「整理整頓」をして、効率的な勉強をし、志望校合格を勝ち取ってください。

トイレの神様

 昨日に引き続き、掃除の話になります。昨日はA棟とC棟のトイレを中心に見て回りました。トイレも40周年なので、なかなか年季が入っていて掃除も大変だとは思いますが、思っていたよりずっと綺麗でした。先生方の御指導と生徒の皆さんのお陰ですね、ありがとうございます。ただ、細かく見ると「ここを、もうちょっと…」というところもありますので、綺麗にする方法を調べて1日少しずつ綺麗にしていってもらえればと思います。

 「トイレには それはそれはキレイな女神様がいるんやで だから毎日キレイにしたら 女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで」これは、2010年(平成22年)にヒットした植村花菜さんの「トイレの神様」の歌詞の一部で、植村さんのおばあさんのセリフです。べっぴんは「別嬪」と書き、京ことばで「別の品物」「特別によい品物」を意味する「別品」に由来するとされ、品物だけを指す言葉でした。その後、優れた人物にも使われるようになり、女性に限らず、男性にも用いられたそうです。現在は、女性の容姿のみを指す言葉で通用しています。

 日本は「八百万(やおよろず)の神」様がいる国で、いたるところに神様がおり、普通は忌み嫌うような「貧乏」「疫病」「死」ですらも神様としています。(「貧乏神」「疫病神」「死神」は、なぜ、いるのでしょうか。考えてみてください。)ですから、トイレに神様がいても不思議でも何でもありません。烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)が、その神と言われ、烈火で不浄を浄化し清浄と化す力をもつとされ、心の浄化のみならず、日常のあらゆる不浄を焼き払い清める功徳があるとされています。そのため、運気や金運上昇の御利益があるとされています。ですから、トイレをきれいに掃除すると、神様がたくさんの功徳を授けてくださると考えられるようになりました。 また、トイレ掃除は心の掃除にもつながっています。人が嫌がるトイレ掃除を進んですると、心も浄化され清らかな気が流れるので、トイレをきれいにするほど運気が上がり、金運も上昇するというわけです。最初から御利益を求めてトイレ掃除をするのは、不純だと思う人もいるかもしれませんが、動機はどうあれ、まず、やることが大切だと思います。トイレだけでなく、全ての場所に神様がいるはずなので、同じ気持ちで掃除してください。

夜の校舎 窓ガラス拭いてまわった♪

 昨日は、5時から1時間ほどかけてB棟の教室とトイレの清掃の様子を教頭先生と一緒に見て回りました。すべての教室が、机とイスがきれいに並び、黒板もきれいで感動しました。先生方の指導と生徒の皆さんの取組に感謝します。また、公仕の方および太東の美化に日頃から個人的に尽力していただいている先生方に感謝します。教育書に「子どもの心は見ているものに染まる(落ち着いた教室をつくりたいなら、まずは掃除を徹底的にする) 」ということが書いてあります。これは、誰でもそうだと思いますが、汚いトイレときれいなトイレのどちらを使用したいかと問われれば、「きれいなトイレ」と答えることでしょう。きれいな教室と汚い教室のどちらで勉強したいかと問われれば、同じ答えが返ってくることでしょう。教室の中も、ロッカーの中も、そして頭の中も整理整頓して勉強の効果を高めてください。
 生徒指導で『割れ窓理論』というものがあります。「ブロークンウィンドウ理論」とも呼ばれている環境犯罪学の理論です。割られた窓がそのままに放置されていると、誰も気にしていないから良いだろうと、窓を割ることへの心理的な抵抗感や罪悪感が薄れ、他の窓も割られるようになり、環境が悪化し、やがては地域で犯罪が多発するようになるというものです。これは、教室の中にゴミが散乱していれば、ゴミを捨てることへの抵抗や罪悪感がなくなってくることと同じです。道路の植え込みに捨てられているゴミが多いのは、「みんなが捨てているから、いいだろ」という意識になっているからでしょう。メジャーリーグで活躍している大谷翔平選手は「ゴミを拾うことは運を拾うこと」と言っています。みなさんも運を拾ってください。
 最後に、教室の窓を一枚ずつピカピカにしてみてください。新しい景色が見えてくると思います。みんなの力でみんなのために太東をきれいにしましょう。

混ぜるな危険!

 昨日は、化学の実験の授業を見て、生徒が楽しそうに集中してやっていたのが印象的でした。ただ、実験は準備と後片付けが大変なので、小・中・高校で昔より減っているのではないかと思います。逆に塾でやっているところもあるようですね。マンガやドラマの中では化学実験中に爆発するなんていうことがありますが、現実にはほとんどありえないですよね。
 そんな化学ですが、身近なところで役に立っていることはすぐにわかります。洗剤や漂白剤や農薬などはその典型例ですね。今、「混ぜるな危険」と書いてあるお風呂用洗剤やカビ取り洗剤などがあるのは、昔、塩素タイプと酸性タイプの洗剤を混ぜてしまい有毒な塩素ガスが発生するという事故があったためです。化学の知識があれば、下手に混ぜたりしないですよね。市販されているものとは別にヘロインや覚醒剤など、人間の体に影響を及ぼす化学物質はたくさんあります。「毒にも薬にもならない」という言葉がありますが、正しい容量なら薬になるが、多量に摂取すれば死に至るものもあります。
 水素と酸素の化学反応で発電し、モーターを回すことで走る仕組みの自動車は「燃料電池自動車(FCV)」と呼ばれていて、二酸化炭素を出しません。水素と酸素の反応を利用して走る水素自動車もそうです。本来なら冷蔵庫の2倍以上の電気を消費する電気自動車より、こちらを国は補助して国策として進めてほしいところろですが、特定のメーカーを利することになるからダメなんでしょうか。
 爆薬のダイナマイトは、ノーベル賞を創設したアルフレッド=ノーベルによって発明されましたが、正しく使えば土木工事に役立ち、間違って使われれば大量殺戮兵器になります。原子爆弾にせよ、生物化学兵器にせよ、化学の進歩は戦争の進歩?も意味しています。
化学だけでなく、科学全般の進歩は、常に軍事と医学の進歩と結びついています。その結果、人間の精神に作用する薬や生物兵器、人類を何回も絶滅させられるだけの核兵器が存在する世界となりました。文理を問わず、考えてほしい問題です。

カッコいい?

 若かりし頃に観た映画『トップガン』と、30年以上経って先日観た『トップガン マーヴェリック』。トム=クルーズは年取っても相変わらずカッコいいなぁと思いました。戦闘機のアクションもすごかったです。ただ、フィクションとして観ている分には娯楽作品ですが、現実だと思えばそうも言っていられません。
 子どもの頃、戦車や戦闘機、戦艦などのプラモデルをよく作りましたが、そうした兵器を「カッコいい!」と思ってしまう自分と、「しょせん人殺しの機械」と思う自分がいます。また、カズレーザーの自衛隊愛がわかる自衛隊のいいPRになっている番組を観て、同じく「カッコいい!」「自衛隊の皆さん、感謝します」と思ってしまいます。

 今回の映画では、敵国のウラン濃縮施設を攻撃するアメリカに正義があるわけですが、『勝てば官軍』という言葉があるとおり、歴史を勉強すると何が正しいのかわからなくなってしまうことがあります。日本が負けた太平洋戦争もその中の一つです。 何で読んだか忘れましたが、外務省では「外国と交渉するときは相手を宇宙人だと思ってやれ」と助言するそうです。 5.15事件で暗殺された犬養首相が海軍青年将校に「話せばわかる」と言い、「問答無用」と撃たれたという有名な話がありますが、 「話せばわかる」のは価値観の同じ人間同士のことだと考えます。例えば「人を殺してもよい」と考えている人間と、「人を殺してはいけない」と考えている人間がわかり合えるのでしょうか。歩み寄れることはあっても、本当にわかり合えるとは思えません。現在のウクライナ紛争で瓦礫と化した町と兵器を毎日ニユースで見ていて、そう思います。
 現在、今のままでは日本を守れないと考え、防衛費を大幅に増額する方向に動いていますが、 憲法9条の解釈から導かれる「自衛のための必要最小限度の戦力」とは、極端なことを言えば、世界一の戦力になります。2位だと1位の国にやられてしまうのですから。お互いを信用できれば、軍縮ができるはずですが、様々な障害があり、その難しさは歴史が証明しています。先日、3年生は笑下村塾の人による主権者教育を受けましたが、投票の前に政治家の政策の是非を判断するためには、歴史を勉強する必要があります。文型理型にかかわらず、歴史をしっかり勉強してもらいたいと思います。

よい授業って?

 1学期中に全ての先生の授業を見せていただく予定ですが、昨日は3人の先生方の授業を見ました。そのうち2人は教育実習生でした。2人とも準備をしっかりして説明と生徒の学習活動を交え、明るく堂々と授業をしていました。生徒のみなさんの授業態度もとてもよかったです。太東の卒業生としてよい先生になってもらえればうれしいですね。
 こんな話を思い出しました。ある学校での2人の教育実習生の話です。1人の実習生は、準備万端で研究授業に臨みましたが、あがってしまって笑顔もなく自信なさげに授業をしてしまいました。もう1人は、準備が十分にできなかったため、開き直って態度だけでも明るく堂々と授業をしようと心がけてやりました。結果、授業後のアンケートで生徒の評価が高かったのは、後者の先生だったのです。いかに態度が、相手の信頼感に影響を与えるかがわかります。
〇「スピーチは三日もたてば、話の90%は忘れてしまう。聞き手が覚えているのはスピーチしている人の態度や迫力、雰囲気などだ。」
〇「僕、バンドをやってるんで、月に一度はライブで歌ってます。ステージにいるとよくわかるんですよ。上手な演奏をしたからといって盛り上がるわけではないことが。お客さんと一緒にライブを作っていく感じにしないと絶対に盛り上がりません。店をやっていても同じです。お客さんを見て、みんなで一体感を出すにはどうすればいいか。そこが大事です。」猪俣剛聡(もつ焼き屋うっちゃん店長)
 授業は、生徒と一緒に作るライブであり、生徒が参加して盛り上がるようにしないとおもしろい授業にはなりません。この場合の盛り上がるとは、お笑いライブのようなことを言っているのではなく、授業内容に興味をもって、学習活動をおもしろく感じて主体的に参加しているかです。
 生徒のみなさんは、よい授業とはどんな授業だと思いますか?「受験に役立つ」という回答以外で。

雨にぬれても

 昨日は、あいにく「雨のマナーアップ運動となりました」。おかげで雨の日の皆さんの登校の様子を知ることができました。PTA会長に「あいさつが、よくできますね」とお褒めの言葉をいただき、うれしく思いました。登校時の西側道路の交通量が思っていたより多く、車での送迎が大変多いことを知りました。また、昨日に限りませんが、雨の中を傘もささずレインコートも着ないで登校する生徒がいることが理解不能です。新国劇「月形半平太 」の中で、主人公が傘を差し掛ける舞妓に言う有名なせりふに「春雨じゃ濡れて行こう」があります。小雨の中を傘なしで歩く時の気どった言葉として使われますが、生徒が傘をささないのは、そんな理由じゃないんでしょうね。
 タイトルの「雨にぬれても」は、映画『明日に向かって撃て』の挿入歌です。作曲者のB. J. トーマスは「雨にぬれても(Raindrops keep fallin’ on my head)」について、こう語っています――「これは実際のところ自由についての歌なんだ。雨の歌ではない。雨は誰にでも降って来る。でもあなたが自由である限り、すべてはOKなんだ」。
 日本は、雨が多く自然災害も多いですが、世界には全く雨が降らないところもあります。日本人は「水と安全」は無料(ただ)と思っていると外国人から言われてきましたが、日本が世界に誇れるところですね。「恵みの雨」「凶作の雨」と人間のとらえ方によって同じ自然現象が180度変わります。
以下に雨について、集めた言葉をいくつか紹介します。みなさんは、どう考えますか?
〇農業者にすれば、想定外も実は想定内。雨が降り続いても彼らは案外明るい。明るくあきらめている。
〇一年を通して晴れの日と雨の日を数えてみれば、晴れの日のほうが多いことに気づくはずだ。オウィディウス(古代ローマの詩人)
〇「雨と晴れは必ずやってくる。大切な事はその両方を幸運だと捉える心構えだ」孫正義
〇雨の運動会で思ったことは、マイナスの出来事によって、みんなが大きな感動をもらえたということ。マイナスだと思っていることは、実は豊かなプラスをもっているんだ。この気持ちをセリフにしてみようとある芝居の中でおばあさんに「悪いことにはきっと、いいことがくっついてくるんだよ」と書きました。山田太一(脚本家) 
〇「雨が降ってうっとうしい。これは何のチャンスでしょう?」困ったことを楽しく盛り上がりながら解決していくのが人生なんです。
〇「雨が降らなければ、虹は出ない」(ノーレイン・ノーレインボー)ハワイの人がよく使う言葉。

ドラマ「水戸黄門」の主題歌にも似たような歌詞がありましたね。「涙の後には虹もで~る」♪

音楽マンガの表現力

 一昨日の音楽の話題を受けて、今日は音楽をテーマとしたマンガについて書きます。大きな字では書けませんが、私はマンガ喫茶並のコミックを所蔵しています。以前はデータベースを作っていましたが、途中でやめてしまったので今は何冊あるか自分でも把握できていません。こんなことを書くと、校長はマンガばっかり読んでるのかと軽蔑されそうなので弁解しておきますが、マンガより普通の本をたくさん読んでいますので誤解なさらぬように。
 私が初めて音楽をテーマにしたマンガを読んだのは高校生の時で、今から40年以上前になります。森脇真末味著『緑茶夢』『おんなのこ物語』はロックバンドの人間模様を描いた作品です。音楽をどのようにマンガで表現するのか、どれだけ聞こえないはずの音楽が、画面から聞こえてくるのか。音楽マンガの醍醐味はここにあると思います。ロックバンドを描いた傑作には、他にハロルド作石著『BECK』がありますね。ピアノをテーマにした作品は多く、新川直司著『四月は君の嘘』や一色まこと著『ピアノの森』さそうあきら著『神童』などがあります。『四月は君の嘘』は泣けます。オーケストラとピアノの合体版が、大ヒットした二ノ宮知子著『のだめカンタービレ』、オーケストラがテーマで高校の部活動を描いたのが阿久井真著『青のオーケストラ』、プロオケの指揮者を描いたのがさそうあきら著『マエストロ』です。読んでいるだけでクラシックの曲や楽器に詳しくなりますよ。
高校の部活動を描いたものに武田綾乃著『響け!ユーフォニアム』(吹奏楽)、アミュー著『この音とまれ』(箏曲部)があります。このほか、ジャズのサックス奏者を描いた細野不二彦著『BLOW UP』、津軽三味線をテーマにした羅川真里茂著『ましろの音』など多彩なマンガがあります。
 日本のマンガは、間違いなく世界一だと思いますが、それは絵のきれいさやキャラクターやストーリーが個性的なことだけでなく、日本独自の表現、つまり心理や感情や音を絵や記号で表しているところです。その進化には目を見張るものがあります。私が紹介したもの以外にも音楽関係のマンガはたくさんあります。ぜひ、興味をもったものを試しに読んで、マンガ表現について考えてみてください。

とこしえに 栄光あれ 一太郎

 みなさんは、ワープロソフトは何を使っていますか?ワード?若い人は、ワードなんでしょうね。先日、ついに日本語ワープロソフトとしてマイクロソフト(以降MS)に対抗してきた一太郎が、教育現場から駆逐されてしまうことになったことを知らされました。(T_T)
 今から30年ほど前、ウィンドウズがOSとして席巻し始めたころ、ワープロと表計算ソフトは、パソコンを購入する時にセットになっていて選択できるようになっているものが多かったのです。一つはワードとエクセル、もう一つは一太郎とロータス123(ワンツースリー)です。ウィンドウズ95が世界標準となり、MSの圧倒的優位さ(抱き合わせ販売問題)から、一太郎とロータス123は駆逐されていきました。私も仕方なくロータス123 からエクセルに乗り換えました。しかし、一太郎からワードに乗り換えようとした時、その使い勝手の悪さに閉口し(あくまで個人的感想です)、一太郎を使い続けてきました。幸いにも教育界は、一太郎を排除しなかったので多数派としてやってこれました。ワード文書が増えてきても一太郎で読み込み、自分の土俵で戦ってきましたが、ワードで一太郎文書は読み込めないので、ついに刀折れ矢尽きました。しかし、個人的にレジスタンスは続けます。官公庁ではワードへの移行が進んでいますが、未だに法曹三者(弁護士、検察官、裁判官)の間では、特に愛用者が多いというウワサです。
 みなさんは、日本にはTRONという先進的なOSがあり、教育現場への普及を図った時にアメリカにつぶされたことを知っていますか。「コンピュータ ソフトなければ ただの箱」という川柳があります。ハードウェアが優れていることも大事ですが、ソフトウェアがそれ以上に重要になってきています。小学校にプログラミング教育が導入された背景には、今後のIT人材の不足があります。昨今話題の「GIGAスクール構想」の「GIGA」は「Global and Innovation Gateway for All(全ての児童・生徒のための世界につながる革新的な扉)」という意味ですが、ぜひ、みなさんも頑張ってソフト面で世界と戦えるようになってください。
※今回は、音楽マンガについて書こうと思っていましたが、急遽、一太郎への鎮魂歌として書きました。

「音楽」が「音学」でない理由

 昨日は、太田高校の吹奏楽委員会の第9回定期演奏会に出かけました。本校の吹奏楽部の定期演奏会に賛助出演していただいたことと、今回、本校の吹奏楽部も賛助出演している関係で聴きに行かせてもらいました。本校の定期演奏会で感じたように、やはりライブはいいと改めて実感しました。本校の生徒が合唱に参加しましたが、男性の歌声に女性が加わると世界が広がって気持ちがいいです。歌手の由紀さおりさんは、「合唱は、自分1人で歌っている時とは違い、数百倍もの音に包まれるわけですから、本当に気持ちいいですよ。皆で一緒に歌うというのは、『人を感じること』だと思うんです。」と話されていますが、聴いているほうも同じ気持ちです。
 美術における作品と違って、音楽は演奏された瞬間から消えていく儚さがあります。もちろん、昔と違って現在は録音技術の発達で再現度は高くなっていますが、ライブで聴いた音楽を完璧に再現することは不可能です。そこには、演奏家と聴衆の一体となった空気があるからです。
 私は、音楽の才能はなかったものの、ジャンルを問わず聴くのは好きだし歌うことも好きです。高校生の時、ギターも独学しましたが、楽譜が読めないため苦労しました。だから、楽譜を見て、音楽が頭の中に響く人がうらやましいです。私の高校時代は、美術と音楽は必修でした。私は芸術だけでなく、高校までは幅広く色々な分野のことを勉強したほうがよいと考えています。
 世界大学ランキングで10年連続ナンバーワンになったマサチューセッツ工科大学は、日本で言えば理系の大学ですが、創造的な問題解決法を生み出すために人文科学や芸術、特に音楽を重視しています。同2位、3位のスタンフォード大学やハーバード大学なども似た努力をしています。理系と文系とを分けて専門分野だけを学んでいても、この世界を知ることはできないのです。
 古代ギリシャの哲学者プラトンの言葉に、「音楽は、世界に魂を与え、精神に翼をあたえる。そして想像力に高揚を授け、あらゆるものに生命を授ける。」というものがあります。「mathematics」の語源は、ギリシャ語で「まなぶべきもの」を意味する「マテーマタ」であり、古代ギリシャにおけるマテーマタは、算術(静なる数)、音楽(動なる数)、幾何学(静なる量)、天文学(動なる量)の4つの科目から成っていました。これらは、プラトンがアカデミアにおけるカリキュラムを定める際に哲学的問答を学ぶための準備として、16~17歳までに特に訓練する必要があると考えたものだそうです。
予定より随分長くなってしまいましたが、最後に二つ言葉を紹介します。
〇人間にはもう一種類の食べ物がある。それは魂(精神)の食べ物である。魂の食べ物は、芸術(音楽・美術。書道) のことである。若いうちに一流の人や本物に触れさせることが後の人間形成に大きな影響を与える。
〇漫画から漫画の勉強をするのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ。~手塚治虫

えっ?タイトルの答えは?自分で考えてから、調べてみましょう。

笑顔の力

 昨日の体育祭では、若さというものを、これでもかというくらい見せてもらいました。生徒のみなさんの笑顔と元気と一生懸命さに、私が感動して元気をもらいました。太東の各団120人で行う応援合戦を知っている者として、少人数でやる今回はどうなるかなと思っていたら、この短期間でよくあれだけまとめられたなと感心するくらい頑張って楽しませてくれました。審査員をやらせてもらって、ダンスそのものと同じくらい重視したのが、笑顔です。笑顔が多く、見る人に楽しんでもらいたいという気持ちが、より多く心に響いた団に高得点をつけました。笑顔の力を再認識した今回は、笑顔に関する話をいくつか紹介しましょう。

〇「笑」という漢字は、万葉集や古事記の時代には「花が咲く」という意味で使用されていた。だから、笑顔は、その人の心の花が顔に咲いたということ。    

〇怒り顔の人と笑顔の人の写真を用意して、その顔を覚えてもらい、後日同じ人たちの無表情の写真で「この顔を覚えているか」と確認する実験がありました。その結果、実際に覚えているのは、圧倒的に笑顔だった人の顔でした(「笑顔優位性効果」)笑顔でいる人のほうが記憶に残りやすいのです。

〇楽しい感情には、問題解決を容易にしたり、記憶力を高めたり、集中力を高めたりする効果があることが報告されています。笑顔をつくると楽しくなるという逆効果が、私たちの脳にはあります。

〇表情は感情の出力だが、実は入力にもなる。人はうれしいから笑顔になるわけだけど、つられて笑顔になった時には「うれしい時の神経信号」が誘発され、笑顔の時と同じ気持ちになれる。つまり、周囲を笑顔にする人は、自分の表情を周囲に伝染させ、結果、周囲の脳に「やる気と好奇心」を喚起しているのである。当然、その人のチームはいい結果を出す。

〇小出義雄監督は、Qちゃんにこう指導していました。「お前さんの仕事は、世界中の人に、マラソンは楽しいって教えることだよ。だから苦しくてもイヤな顔しちゃだめだよ。ゴールしたあと、下を向いちゃいけないよ」「その笑顔を、世界中の子どもたちが見るんだぞ。その爽やかさがマラソンの人口を増やすんだぞ」シドニーオリンピックで高橋尚子選手が金メダルを獲得したときのコメント「楽しい42キロでした」が、マラソンに対する日本人の意識を変えたのです。

感動が大きいほど…

 いよいよ、体育祭当日となりました。天気予報だと、昼間はなんとか雨は降らなそうです。みなさん、準備は万端ですか?昨日遅くまで応援合戦の練習をしている人もいましたね。コロナのせいで2年間、すべての面で学校での活動が制限されてきましたが、ようやく元の生活に戻る兆しも見えてきました。平和な戦いができることに感謝しつつ、みんなで盛り上がりましょう。
 体育祭や球技大会、文化祭や修学旅行といった学校行事での感動が大きいほど、受験への切り替えもうまく行きます。みんなで頑張る、楽しむといった体験は、受験の団体戦で必ずや力になります。思考力・判断力・表現力や学びに向かう力は、特定の教科・科目だけで育まれるものではありません。学校行事や部活動なども含めた様々な教育活動で分担して、資質・能力を育みます。そんな力を伸ばしていると思いつつ、コロナと怪我にだけは気をつけて(私が一番危ない?)目一杯楽しみましょう!

昨日の自分プラスαの意識

 昨日は、学校評議員会があり、5人の評議員の方々に本校の教育活動についての意見や感想をいただきました。挨拶が話題になったとき、地域の方から「絶対評価で言えば、太東の生徒はよく挨拶ができているのではないか」と評価していただき、大変うれしく思いました。ただ、「人というのは、自分のことは自分ではなかなかわかりません。 本来、自分らしさとは他者と比較して初めてわかることです。」という言葉があるとおり、社会で生きる限り、人は相対評価から逃れられません。SMAPの「世界に一つだけの花」が大ヒットしたのも、オンリーワンで絶対評価を肯定し、人が社会で常に他人と比較され続けることに対する否定を歌ったことが心地よかったからでしょう。
「努力すれば必ず勝てるのは、昨日の自分である」という言葉がありますが、昨日の自分よりよい挨拶ができるように努力してほしいと思います。挨拶で大事なのは、表情です。これについてジャネット・レーンという方の言葉を紹介します。「あなたが身に付けているもののうちであなたの表情ほど重要なものはない。次の機会に飾り窓やカウンターの向こうの鏡に映る自分を見たら、帽子の曲がり具合を気にする代わりに、その下にある表情をよく見てごらんなさい。そしてその陰鬱な表情をもっと魅力的にするために時間を割くのは、意義のあることだと決心しなさい。」

表情とは、心の中の感情が顔など外部、つまり表にその人の情報として現れたものです。これは声と顔と体の3つに現れます。
これから、ほんの少し、声と顔と体の表情を意識してみましょう。(昔、自分の欠点を指摘されて自覚して以来、私が自分に言い聞かせていることです)

 

私の辞書には生憎という言葉はない?

 昨日の日本対ブラジルのサッカーの試合は、PKの失点のみの0-1という結果で、非常に惜しかったですね。雨の中プレーする選手を見ていて、初任校でサッカー部の新人戦で雪の中、副審をしていて非常に寒くて辛かったことを思い出しました。雨でも中止にならないサッカーやラグビー、ゴルフなどのスポーツは厳しいですね。(雨天中止と決行のスポーツの違いに疑問をもった人は予想を立てて、調べてみましょう)

 さて、関東は昨日梅雨入りしましたね。週間天気予報に注目しています。とにかく体育祭が無事できるかどうかが心配です。(御利益がある、てるてる坊主がどこかで売ってないですかね。それはそうと、てるてる坊主の歌にも出てきますが、てるてる坊主の由来って怖いみたいですよ) テレビ番組のプレバトで有名になった夏井いつきさんは、こんなことを言っています。「俳人の世界では、生憎という言葉はなく、花見で雨が降れば、雨の桜の句が詠める。中秋の名月が見えなければ、無月を楽しめる。これは日本人ならではの精神であり、この精神で俳句を続けていくと、個人的な不幸や病気、苦しみ、憎しみなどマイナス要素のものが、すべて句材と思えるようになります。」『生憎』の意味がわからない人は、すぐ調べましょう。物事を自分でマイナス方向に価値付けないことは大事です。

 ただ、そうは言ってもやはり体育祭の日は、雨が降らないでほしい。(笑) 体育祭で雨が降れば、雨の体育祭ができるわけではないので。

体育祭成功祈願

 昨日、久しぶりに写経をしました。写経をするようになって20年近くたちますが、昔は1週間に1度の頻度でしていたこともありました。ここ2年くらいは1年に数回で、太東に来てからは初めてです。写経とは、般若心経を書き写すことですが、300文字ほどを1時間くらいかけて集中して書きます。般若心経は『般若波羅蜜多心経』の略称で、大乗仏教の思想の核心を簡潔に説いている、全経典の中でも最も短いもののひとつです。私は、現代社会や倫理、世界史・日本史の授業等で宗教を教えてきましたが、みなさんは宗教って何だと思いますか?
 「相対性理論」で有名なアインシュタイン博士は、「仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教です。現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教です。」と言っています。
 仏教的に見れば「失敗したくない」と思うのは、あまりにもバカバカしい考えだそうで「とにかく成功したい」と思うのも、同じようにバカバカしいということです。仏教的に正しい態度は、「精一杯やったら、失敗しても成功しても、どっちでも構わない」という態度です。それをしっかり覚えておけば、健康な心を維持することは難しくありません。とは、書きつつも写経の願いに「太田東高校体育祭成功」と書いてしまいました。(笑)どうか、雨よ降らないで!

※校長室の隣の応接室の壁に画家の岡本太郎さんの書が飾ってありますが、そこにも「失敗したら失敗したでいい 成功したら成功したでいい」という言葉があります。何が書いてあるんだろうと、読んだ人はどれくらいいるでしょうか。

ガンバレ!生徒会

 昨日、生徒会本部役員の立候補者の演説と投票が行われました。みなさん、堂々と抱負を述べていて立派でした。体育館で全校生徒を前にしての演説でなく、パソコン室からのオンライン配信になってしまって残念でしたが、画面を通して候補者の熱意は伝わったと思います。

「地方自治は民主主義の学校である」という言葉を政治経済で学習するはずですが、なぜ、こんなふうに言われるかと言えば、地方自治が国政より住民の意見を反映させやすく、民主主義の理想政治体制にとても近いからです。さらに、その前段階にあるのが、児童会や生徒会活動です。「学校は、おもしろいところではなく、おもしろくするところです」ぜひ、生徒会を中心に自分たちで太東での学校生活をおもしろく思い出深いものになるように力を合わせてください。
※右のマンガは、予算をテーマに考え30年前に政治経済のプリントに載せたものです。アザラシのゴマちゃんが出てくる「少年アシベ」で有名な森下裕美さんの「ここだけのふたり!」のキャラを拝借しました。生徒会をテーマにしたマンガはたくさんありますが、みなさんは何か好きなものはありますか?

※右のマンガの先生と生徒を太東の実在の生徒会係の先生と生徒会本部役員に似せて差し替えることも可能です。本人のリクエストがあればやりますので、申し出てください。

御武運を!GOOD LUCK!

 昨日は関東大会の壮行会がありました。選手たちに「リラックスして楽しんできてください。リラックスできれば実力を発揮できます」と伝えました。そして、最後は運を呼び込めるかどうかです。あだち充の漫画に「ナイン」という野球漫画がありますが、その中で監督とマネージャーの娘の次のような会話があります。
娘「甲子園行きなんて、大部分はツキでしょ」
監督「バカ者!その最後のツキを呼ぶのが、日頃の地道な努力の積み重ねなんじゃ」
娘「うわっ!重いセリフ」
私たちは、失敗したとき「運が悪かった」「ついてない」で片づけがちですが、「運」を味方につけるためには普段から努力を続けることが大切なんですね。
「成功している人の共通点は、全員が『自分には運があると思っている』ところです。運があると感じている人間は、根拠のない自信をもっているんです。根拠があれば自信なんて誰でももてますから。」と西田文郎(サンリオ会長)さんは言っています。
みなさんは、普段から運を味方につける努力をしていますか?『根拠のない自信』を持つとは、何があっても最後まで自分を信じるということですね。受験にも言えます。頑張ってください。

アイデアが閃くには

 昨日6月1日は、サンスター文具株式会社により「アイデアに挑戦する日」として一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されたそうです。アイデアと言えば、私は4コマ漫画の作者はすごいと思います。よくあれだけアイデアがひねり出せるなと感心します。

 私は昔、授業のプリントに時々自分で考えた漫画を載せていました。右の漫画は30年くらい前に日本史のプリントに載せたものです。(オヤジギャグでお恥ずかしい) 別に仕事ではないのでパッと思い浮かんだものを適当に描いていたので苦労はありませんでしたが、仕事として毎日何本も考えなければならないと思うと大変なことだと思います。

 アイデアについて斎藤孝さんの言葉を紹介します。「みんなは、記憶するということと創造する、つまり何かを創りだすということは、別なことのように思っているかもしれないけれど、黒沢明はたくさんの本を読み、たくさんの映画も観て、たくさんのことが頭の中に入っていることによって、自分のアイディアが生まれたのです。「記憶は創造の母」という言葉もありますが、たくさん本を読んで、いろいろな知識を得て覚えたことが、新しいものをつくるときの土台となるのです。」

 わからなければググればいいというものではありません。自分の頭の中にたくさんの知識があれば、それらがリンクして新しいアイデアが閃きますよ。 
注※ 有名な源頼朝像は、足利直義説が出ており、現在「伝源頼朝像」と表記され、頼朝と断定されていない。

授業命の覚悟

    今日は、地震を想定した避難訓練がありますね。どこにいても落ち着いて行動できるように自分事として訓練に臨んでください。早いもので、あの東日本大震災も11年前のこととなりました。「天災は忘れたころにやってくる」という有名な言葉がありますが、いざという時の心構えと避難物資の準備を怠らないようにしましょう。私は、被災地の高校教師の言葉で忘れられないものがあります。それは、「『しっかり家で予習復習をしてきなさい』とは言えません。もはや『授業中心』ではありません。『授業命』の覚悟で私たちは教壇に立ちます。」というものです。コロナで当たり前のことが当たり前でなくなる経験をして、今まで当たり前と思っていたことに感謝する気持ちがもてたことと思いますが、天災でもそういう経験をします。自然災害の少ない群馬県に住んでいることに感謝し、充実した高校生活をおくってください。

将来使いません

   小学校教師を目指して教育実習中の娘の役に立つかもと思って、先日、『子供の「困った発言」に5秒で返す 教師の「切り返し」』という本を買いました。その中に「〇〇を勉強したってどうせ将来使いません」という発言がありました。みなさんなら、どう返しますか?
 「勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強しておかなければならん。日常の生活に直接役立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記していることではなくて、心を広くもつということなんだ。つまり、愛するということを知ることだ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、必ずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底にひとつかみの砂金が残っているものだ。これだ、これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」          以上は、太宰治の言葉ですが、私は内容よりも、太宰治がこんなことを言ったんだということに驚きました。
勉強の意味や意義について述べた言葉は、他にもたくさんありますが、私にとって一番印象に残っていたものなので、少し長いですが紹介しました。

ガンバレ!実習生

    今日から教育実習が始まります。みなさんの先輩ですので、基本的に温かく、時には少し厳しく接してあげてください。よい先生になれるように。
 さて、私が教育実習をしたのは、今から37年も前ですが、2週間で指導案を10時間分書き、19時間授業をしました。指導案は、当時はB4一枚で手書きでした。「あなたの答案が真っ赤になって返ってくる〇〇ゼミ」のように添削していただきました。「よし、最終日の研究授業は、頑張ろう」と考え、毎日2~3時くらいまで教材研究をしました。そして、板書も説明もすべて覚えて研究授業に臨み、チャイムスタート・チャイムエンドで終え、心の中でガッツポーズをしました。ところが、当時としては珍しいビデオに撮ってもらっていた授業映像を見てみると…。「えっ何だこりゃ、しゃべり方が変、間が変、思っているより下を向いてる時間が長い」など、自負心が木っ端微塵となりました。この時のショックが、自分を第三者の目で観て改善する姿勢をもたせました。

 「実るほど 頭(こうべ)を垂れる 稲穂かな」という句があるように、できる人ほど謙虚であり「自分などまだまだ」という意識が強いものです。だから、停滞せず伸びるのです。自信は大事ですが、過剰にならないように、自分に不満をもって、いろいろなことに取り組んでください。不満があるから改善しようとします。実習生も生徒のみなさんも、伸び続けるために頑張ってください。

ごますり和尚

   先日、「ほめる」という話題が出てきて、ふと思い出したのが、アンパンマンに出てくるスリコギ坊主とごますり和尚です。スリコギ坊主が「そーれっ!それそれっ!ゴマすれゴマすれ」というかけ声とともにごますり和尚の頭の鉢でごまをすると、お世辞が次々とでてきて、みんながよろこびます。「ほめる、叱る」は教育の一大テーマで、書き出すとつぶやきでは終わらないので、「ほめる」話をいくつか紹介します。
①父親から「パパをほめて」と言われた6歳の女の子の答え…「やる気がないのにがんばっているところ」この深い洞察力恐るべし。
②女子から「かっこいいですね」とほめられた時の返事として、最も適切なものを答えなさい。模範解答「えーっ!全然そんなことないけど〇〇ちゃん(相手の名前)に言われたら超うれしい」
③1999年、60の企業が共同で出した連合広告…「ニッポンをほめよう」
④そごう 父の日キャンペーンのキャッチコピー…「父さんだって、ほめれば育つ」
⑤私はこれまで世界中のさまざまな大人物と会ってきたが、人にほめられて働くより叱られて働くほうがよい仕事ができるという人間には、まだ会ったことがない。
そう言えば、人をおだてて持ち上げたり、しきりに誉めるなどして良い気分にさせることで「よいしょする」という言葉がありましたが、死語になってしまったんですかね。

ウルトラスーパー便利?

 我が家では、かねてからA3対応プリンタが欲しいというリクエストがあり、今のプリンタも9年も使っているので昨日買い換えました。リビングのデスクトップの下にプリンタは設置しているので、今まではUSBケーブルでつないでいましたが、今度はWi-Fiでつなごうと作業を始めると…。プリンタにWi-Fiは繋がっているのにパソコンが認識してくれず、色々と試しましたが諦めてUSBケーブルにすることにしました。思えば、すぐ下にプリンタがあるのに、わざわざ不安定なWi-Fiにする必要もなかったと時間を無駄にしてアホでした。USBが登場したとき、「何の略?」「ウルトラスーパー便利だよ」という冗談がありましたが、それくらい当時は画期的でした。USBの登場前は、数多くの接続規格が乱立していて、キーボード用、プリンタ用、ハードディスク用などそれぞれ違う端子をパソコンに搭載する必要がありました。 (私は20数年前に、外付けCDドライブの接続を朝まで悪戦苦闘してだめで、購入した量販店へ持って行ったら不良品でした。「時間を返せ!」と叫びました。)1996年にUSB1.0の規格が成立し、その後Windows98以降のOSでは追加ソフトなしでUSBポートが使えるようになり、外部機器の接続がすごく楽になりました。デジタルデバイド(情報格差)という言葉がありますが、コンピュータやインターネットを使いこなせずに不利益を被る人(情報弱者)も少なくありません。特に高齢者は。コロナワクチンの予約申し込みを私は両親に代わって3回行いましたが、「電話だとつながらないので、息子さんがいるならネットでやってもらってください」と言われたそうです。私はMS-DOSの時代からパソコンと付き合っていますので、それなりの知識はあるつもりですが、早く「パソコンとプリンタを繋いで」と言えば、済む時代になってほしいです。

夏の夜の悲鳴

我が家に出没するトカゲ夫婦? 「ギャ~~ッ!」という悲鳴が、ほとんどは夏の夜ですが、家の中で響きわたることがあります。そう、出るんです。虫が。ゴキブリから何てことはない羽虫まで、ヤモリも出ました。私も驚いたのはコウモリがいたことです。開けっ放しの玄関から入ってきたのか、玄関を上がって1mくらいの床の上にいました。我が家は、女3人に私ですので、始末するのは私の仕事です。コウモリは捕まえて近くで見ると、写真で見たことがある愛敬のある顔で小さい牙がたくさんあっておもしろかったです。

 夏になると草が速く伸びるようになるので、庭の除草と柴刈りが大変ですが、庭でもたくさんの動物と遭遇します。トカゲ、バッタ、コオロギ、クモ、ダンゴ虫、カエル、ミミズ、カタツムリ、アリ、ナメクジ、蝶、ハチ、テントウムシ、カマキリなどなど。カミキリムシやカナブンが来たこともありました。私はみんな触れますがハチは小学生の時触って刺されました)、家族はほとんど無理です。虫どころか、泥だんごもビニール手袋をして作るという教育学部の学生の話を、先日読みましたが、みなさんはどうでしょうか。虫ってほんとにすごくておもしろいんですけどね。

習慣は第二の天性

 今年度1回目の定期考査が始まりました。1年生にとっては、高校で初めての定期考査ですね。十分準備をして臨めたでしょうか。私の高校時代を振り返ると、満足のいく結果を得られるには英語や地歴、古典など覚えることが多い科目では、10~20時間くらいはテスト前勉強が必要でした。逆に理数科目は、普段からちゃんとやっていれば、テスト前にそれほど勉強しなければならないことはありませんでした。英語や地歴だって普段からしっかり取り組んでいれば、テスト前に慌てることはなかったはずです。私の好きな言葉に「習慣は第二の天性」というものがありますが、「一日英単語を20個覚える」「数学の問題を2題解く」など、できることから習慣化していくことが、天才に匹敵するほど能力を伸ばし大きく成長するための一歩です。エジソンの言葉に「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」とあるとおりです。「継続は力なり」も「習慣は第二の天性」とセットにしてください。まず、帰宅したら30分机に座る習慣からつけましょう。少しずつ良い習慣を増やしていって、やらないと気持ち悪くなるくらいになってください。なりたい自分になるために、まだまだ遅くはありませんので、勉強でも部活でも、よい習慣をつける努力をしてください。

拍手の色

 今朝のテレビ番組の中で、あるミュージシャンが「コロナで声援ができない状況ですが、その分拍手で応援してもらって、拍手に色がついていると感じます」という旨のコメントがありました。私は「拍手に色がついている」という表現はいいなと思いました。今まで拍手をする機会は数え切れないくらいありましたが、手のひらがジンジンするくらい拍手したこともあれば、おざなりの拍手をしたこともあります。自分が拍手をやめた後も拍手が続いている時、その拍手には暖かい色がついているのだなと思います。先日の総体の壮行会の拍手は何色だったでしょうか。

なぜ、小学5年生?

 日本人はクイズ番組が好きなようで、いろいろ趣向をこらした番組がたくさんあります。その中で「クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?」は、「東大王」と真逆のコンセプトで人気があります。以前に「素朴な疑問」について書きましたが、みなさんは、「なぜ小学6年ではなく5年生?」と思ったことはありませんか?私は職業柄全国学力テストが小学5年生までの内容を問うから、それに合わせたのかと思っていましたが、『Are You Smarter than a 5th Grader?』の日本版だそうで、アメリカでは5年生が最高学年だからでした。(なら、日本では6年にしろよといいたいところですが、何かあるのでしょう)クイズは、難しすぎても簡単すぎてもつまらなくなりますが、私にもわかると思えるところがいいんでしょうね。クイズ番組は、勉強している気分になれるので罪悪感が少なくなるところもいいのかもしれません。

閉鎖解除(*⌒▽⌒*)

 3年次の閉鎖が今日から解除され、登校できることになりました。3年次の生徒がいない学校は、卒業式後の学校のように寂しく感じていましたので、うれしいです。2年前コロナ感染が始まったころ、3ヶ月登校できませんでした。今まで当たり前と思っていたことが当たり前ではなかったことに気付いた期間でした。外国では、この2年間学校が機能していないところもあり、その学習の遅れは今後深刻な状況を招くと予想されています。当たり前に感謝しつつ、コロナが撲滅される日がくることを願って、これからも感染症対策をしっかりやっていきましょう。

ダンスデイを観て思ったこと

 昨夜、ダンスの日本一を決める番組がありました。夕食時に観ていたのですが、本当にダンスの進化には驚きます。ただ、日本一を決めるのに審査基準が明確でなく、審査員の主観で決まっているようで不満が残りました。どんな観点をどんな割合で点数をつけているのか知りたいですね。技術や斬新さだけでなく、観ている人を楽しませるという観点を大事にするなら、審査員と観客の持ち点を半々にするとか、視聴者も採点に参加できるとかしてくれたら、もっと盛り上がったのにと思いました。いずれにせよ、評価は難しいもので、客観的で公正に評価しようと思えば、評価基準をしっかり定めなくてはいけません。定めても人が判断するので、芸術点とかつく競技は曖昧さが残ります。最後に、全国の先生方も成績評価には日々悩んでいることをわかってもらえればと思います。

スマホ依存

 総体の期間中にスマホの通話が全くできなくなってしまったため、仕方なくスマホの機種変更を先日しました。気に入った機種が出ないので買い換えせずに4年11か月使っていた愛着あるスマホでした。しかし、通話ができないのが、こんなに不便だとは思いませんでした。緊急でなければラインやメールで十分なのですが、すぐに連絡したいときは、やはり電話です。統計によれば、高校生で多い人は一日8時間スマホをいじっているそうですが、「ついスマホをいじってしまう」「スマホが側にないと落ち着かない」となれば、立派な?スマホ依存だと思います。いつのまにか「あれば便利」というより「ないと不便」なものになってしまっています。『スマホ脳』という本が、2021年にベストセラーになりましたが、脳科学の見地からスマホが脳に与える悪影響について述べています。似たような本はたくさん出ていますが、ぜひ一度読んでみてください。

 

ポジティブ思考でいこう

 新型コロナウイルス感染者が複数出たことから、3年次は学年閉鎖という残念なことになりました。ただ、高校総体は本日の陸上競技で無事終了し、自宅待機となっている生徒もなんとかインターハイ予選までには間に合うのではないかということで不幸中の幸いでした。今回のことで気の緩みから感染症対策が疎かになっていたことを自覚し、密を避けること、飲食時は距離をとって黙食することが徹底されるようになるなら、よい教訓になったと言えるでしょう。7日から10日間、出席停止になることが受験生にとって厳しいことを重く受け止めて、今後の生活に生かしてくれれば幸いです。「禍転じて福となす」「転んでもただでは起きない」の精神でいきましょう。

ANIME × FAMILY

   昔は、居間で家族と一緒にテレビやビデオを観ることが多かったですが、(アンパンマンやポケモンは何回繰り返し観たことか)、子どもが大きくなるとそれぞれの趣味が違ってくるので一緒に観る番組も少なくなります。夕食時が一緒にテレビを観る時間ですが、アニメが多いですね。今は「SPY×FAMILY」、この前までは「王様ランキング」、「鬼滅の刃」です。「BANANA  FISH」や「NARUTO」、「MAJOR」「Baby Steps」「鋼の錬金術師」とかも観てました。他にはクイズ番組を観ることが多いですが、家族で話をするよい機会になっています。さて、今日は、高校総体の開会式があります。その後、テニスとバドミントンの応援に行く予定です。これから試合があるみなさん、ぜひ練習の成果を十分発揮してがんばってください。

最初が肝心

 昨日、録画しておいた「鎌倉殿の13人」を観ました。NHKの大河ドラマを観る基準は、キャストです。今回は大泉洋でした。私が今までに最後まで観たものは「軍師官兵衛」「江(ごう)~姫たちの戦国~」「太平記」などです。主人公に興味があれば、第1回を観て続きを観るかどうかを決めます。「映画は、最初の10分を観て面白くなければ、映画館を出たほうがよい」とまで言った人もいましたが、つまらないものを我慢して観る必要はありません。本も一緒で最初の10ページを読んで面白くなければ、やめます。もしくは、目次を読んで、面白そうなところだけ読みます。「少年老いやすく、学成り難し」です。1日の時間はみんなに平等にありますが、人生の時間は平等ではないので、何事も自分の時間を使う価値があるかどうかを考えたほうがいいでしょう。(くだらないことに多くの時間を使ってしまっている自分は棚に上げています)

 

回転から新幹線、F1へ

 昨日、久しぶりに回転寿司に行きました。みなさんは、回転寿司に行ったことありますよね?もともと寿司は、そばと並んで江戸時代のファーストフードでした。いつのまにか高級になってしまった寿司を大衆のものに戻したのが回転寿司でした。牛丼のキャッチフレーズは「速い・安い・うまい」ですが、それに「おもしろい」を加えたのが回転寿司と言われています(私の記憶によれば)。今や、タッチパネルで注文し、新幹線やF1が運んでくれるように進化しました。つまらないと思ったら遊び心を取り入れてみる。勉強も仕事も一緒です。部活もね。つぶやきが長くなりがちだったので、短くまとめましたが、まだ長いかな。

そのウソ、ホント?②

 ①の続きです。最新の「世界価値観調査」によれば、他の先進国が「新聞・雑誌・テレビを信頼できる」とした率は5割以下だったが、日本だけ7割近くと非常に高かったそうです。なぜ、日本人はマスコミをそんなに信頼するのかは、置いておいて、考えて欲しいのは、「その情報は、誰の得になるのか?」ということと「他国では報道されていることが日本で報道されていないのはなぜか?」です。太平洋戦争では「大本営発表」はウソの代名詞でしたが、お上(国家権力)に逆らえない、自社の利益を第一に考えるマスコミの黒歴史です。マスコミに対する一般的批判としては、「マスコミ同士の競争で視聴率や販売部数を伸ばすための報道になってしまっている」があります。特にここ2年間はコロナ報道に見られるように国民の不安感を必要以上に煽ったり、過度に政権を批判して世論を誤誘導したりしていると言われます。昨今のウクライナや中国に関する報道は適正でしょうか?そんなわけで、ネットの中の情報との乖離が進み、テレビや新聞が報道してほしいことを報道していないという不満が若年層を中心に高まっています。一方で高齢者は情報を得る手段が、まだまだテレビと新聞に偏っているため、誤誘導されやすいと言えます。報道すべきことを報道しない理由を端的に言えば、スポンサーやマスコミ各社にとって都合が悪いからです。ただ、それではネット情報なら利害関係が大手マスコミほどではないからいいかと言えば、内容は玉石混淆であり、信じていいわけではありません。要は、新聞・雑誌・テレビ・ネットの違いにかかわらず、報道を鵜呑みにして無批判的に受け入れずに、多くの情報を比較して自分の頭で考え判断することが大切だということです。2020年の某雑誌の「新聞やテレビを信じすぎる日本人の低い読解力」という記事では、OECDの学力テスト(PISA調査)が、新たにネット記事などに対して合理的な疑いを抱く能力を読解力の一部と評価することになった影響もあり、日本人生徒の成績低下にむすびついたという点を指摘しています。高校で今年度から「情報」が必修になり、情報活用能力の育成が急務になっていますが、ちまたにあふれているウソに騙されないためにも、情報を収集・選択・整理できるように思考・判断力を磨きましょう。ところで、ここに書いたことはホントでしょうか?

読んでから観るか…観てから読むか

 母の日に、夕飯前に家族で映画を観に行きましたが、なんと家族四人で貸し切りでした。観たのは「×××HOLiC」ですが、原作のコミックの世界がどう表現されているか、ストーリーの映画用変更やキャストがイメージに合っているかなどに注目しながら観ました。売れているコミックがアニメや実写映画化されることは、よくありますが、がっかりさせられることも少なくありません。アニメより実写のほうが危険度が高いのは間違いないでしょう。ただ、逆に実写が原作よりパワーをもって別の命を吹き込まれる場合もあります。少し古くなりますが「のだめカンタービレ」などは、その例でしょう。私は、コミックを読み、アニメ・実写ドラマ・実写映画と観ましたが、実写ドラマが一番面白かったです。一枚の絵から物語を考えたり、文章を元に絵を描いたり、またマンガの吹き出しの中を空欄にしてセリフを考えたりする授業があります。これは視覚情報→文字情報、文字情報→視覚情報へ変換する訓練であり、思考力・判断力・表現力を養います。読書は、光景を思い浮かべながらするので想像力を養います。字幕付きの映画なら、セリフがどう意訳されているかに注意して観るのも面白いです。このように楽しんでやることも見方を変えると勉強になることがわかるでしょう。3年生が行った修学旅行の富士急ハイランドも物理や心理学の勉強になりますよ。「おもしろき こともなき世を おもしろく (すみなすものは 心なりけり)」は、幕末の志士である高杉晋作の句ですが、始業式とオリエンテーションで話した「学校はおもしろいところではありません。おもしろくするところです」に通じます。何事も工夫しておもしろくしていきましょう。※5月3日のつぶやきに記憶違いがありましたので訂正しました。

プリキュアが日本の食文化を守る?

 「なぜ『プリキュア』を農水省が推すのか? 背景には「米の消費量」低下への危機感があった」というタイトルにひかれ、ヤフーニュースを読んでしまいました。
2022年2月から放送中の『デリシャスパーティ♡プリキュア』では主人公の女の子たちが、それぞれお米の妖精・パンの妖精・麺の妖精に力をわけてもらい変身するそうです。初代プリキュアを娘と見ていた私は、設定に驚きましたが、それを農水省が推しているということにも驚きました。マンガ・アニメの力はすごいと改めて感じました。「食が細い娘が今回のプリキュアを見て、私もおにぎり食べる!とモリモリ食べだした時はびっくりしました。ご飯をテーマにしたプリキュア、本当にありがたいです」といったコメントも寄せられているそうです。食文化の多様化と、一食当たりのおかずの量が増えたことで、お米の消費量が減っていることに危機感を抱いた農水省で、日本の食文化を守りたいと考え、プリキュアを見ながら日曜の朝においしくご飯を食べてほしいと広報室長から提案されたそうです。諦めない心の大切さなど、普遍的に描かれているメッセージもあり、「自分も頑張ろう」と励ましてもらえるデパプリはとにかくごはんが美味しそうで、食欲がわく作品だそうです。みなさんは、お米をどれくらい食べてますか?

胸に刺さる言葉

 休みの日は、つぶやくのは休もうと思っていましたが、少しつぶやくことにしました。今日、義父母の墓参りに行ってきました。そこのお寺では、屋根付きの掲示板が入り口と本堂の前に一つずつあって、模造紙一枚分くらいの大きさの紙に言葉が書いてあります。墓参りに行くのは年に6~7回ですが、いつも違う言葉なので、少なくとも1か月に1回は変えているのでしょう。今日は「すぐやる 必ずやる できるまでやる」「なりたい自分になるのに 遅すぎるということはない」でした。太東のEASTプロジェクトは、ある意味「なりたい自分を見つける」プロジェクトです。「時間がないとかお金がないからとか理由をつけて、自分のやりたいことを先延ばしにする人は、それを本当にやりたいとは思っていないのだ」と、言った人がいました。みなさんは、どうでしょうか?「思い立ったら吉日」という言葉があるとおり、何かしようと決意したら、そう思った日を吉日としてすぐ取りかかりましょう。なりたい自分を見つけられるように。

そのウソ、ホント?①

 GWも前半が終わり、あっという間に4月も終わってしまいましたね。1年生は、太東の生活に慣れたでしょうか。高校生のみなさんは、部活動の練習や総体の予選などで忙しくてなかなか遊びに行けない人も多いことでしょうが、今しかできないことも多いのでメリハリをつけて楽しんでください。また、GWでも働いている方はたくさんいますので、そうした方々に感謝して過ごしましょう。さて、コロナで生活が一変してから2年が過ぎました。外出を自粛するようになって、自宅でできることの需要が増えました。私はYouTubeは音楽関係のみの利用でしたが、この2年で政治系ユーチューバーのものをいくつか毎日見るようになってしまいました。若い人がテレビを見なくなり、ネットから情報を得ることが多くなっていて、ネットの影響力が以前と比較にならないほど大きくなっているようです。これから、ウソに騙されないための考え方について何回か分けて、つぶやいて?みたいと思います。「大衆は小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。」と、ヒトラーは言ったようですが、マスコミやネット情報を信じやすい人は、特に気をつけましょう。

大声ダイヤモンド?

 先日、先生方が放課後集まって授業の研修をしました。生徒が意見を入力し、お互いにコメントし合えるソフトウェアについてです。匿名で入力できる機能もあります。先生は、生徒の考えや理解度等を確認し、学び合いを促しながら授業の目的を達成できるよう生徒の学習活動を支援していきます。みなさんは、しゃべるのは得意ですか?人前で自分の意見を話すのは苦になりませんか?「沈黙は金」という言葉がありますね。原文は「Speech is silver, silence is golden」です。日本では同調圧力が高く、昔から沈黙を美徳としてきた民族性があるので、沈黙が雄弁より上みたいに捉えられがちですが、あくまでも本質は「沈黙することは『時に』雄弁に優る」です。以心伝心みたいにお互いの気持ちを察知し合う高度なコミュニケーションは日本人同士ならいいですが、普通は口に出さないと伝わりません。「大きな声で話してこそ、沈黙は金となる」という言葉もあるとおり、話すことが前提にあります。また、「話し上手は、聞き上手」であり、成績のいい営業マンは、「話すのが2割、聞くのが8割」と言います。これから、授業を通して自分の意見をうまく伝えられるようになるとともに、人の意見を上手に聞けるようになってください。バランスが大事です。最後に、欅坂46の「サイレントマジョリティー」の歌詞に「どこかの国の大統領が言っていた 声を上げない者たちは賛成していると」いうものがありますが、自分なりの意見をもち、表明できるようになってください。さらに「大声ダイヤモンド」ならぬ「行動ダイヤモンド」という後付けもあります。フットワーク軽く行動できるようになってください。

夢をかなえるには

 私は睡眠時間が短く、眠りも浅いせいか夢をよく見ます。夢の話をしていて笑われたのは「空を飛んでいて、失速して着陸し、そのままスタスタと歩いて行く夢」でした。夢は心の奥深くにある不安や願望があらわれると言われますが、テストで白紙のまま、終了のチャイムが鳴ってしまうなどは不安のあらわれでしょう。夢を見て、起きた時に「あ~、夢か」となるか「夢でよかった」となるか、見るならいい夢のほうがいいですよね。夢をかなえるの「かなえる」は「叶える」ですが、これは「吐く」から「ー」をとったものです。つまり、口から出す言葉から、マイナスの言葉をとってプラスの言葉だけ出すようにすると夢が叶う、ということですね。夢を実現するためには「本気」と「根気」が必要という話をしましたが、夢に対する心の持ちようも大切です。弱気になってしまうこともあるとは思いますが、ぜひ夢を叶えるために前向きな気持ちを持ち続けてください。

素朴な疑問

 本校の正門前の道路沿い南方向に「自転車は 一列走行 げんそくだ」という看板があります。私は、これを初めて見た時、「なぜ、げんそくは、漢字でなく平仮名なんだろう?」と思いました。そして、もしかしたら「原則」と「減速」をひっかけているでは?と思いましたが、本当のところはわかりません。ニュートンが庭の木からリンゴが落ちるのを見て「万有引力」を発見したというエピソードは有名ですが、彼の真に偉大な部分は「リンゴは落ちるのに、なぜ月は落ちてこないのか」という疑問を抱いた点です。身の回りに「なぜ?」はあふれているのに、いつの間にか「なぜ」を思わなくなってしまいがちです。「総合的な学習の時間」が「総合的な探究の時間」となりました。本校では「みらい学」と呼んでいます。ぜひ、答えのない、出そうもない疑問について考えることを面倒くさがらずに、面白がれるようになってください。社会に出れば、受験で取り組むような正解がある問題などないのですから。昨日、仕事上の素朴な疑問を何人かの他校の校長先生に聞いたところ、「わからない」という解答を得ましたので、つぶやいて?みました。

公共の場でのふるまいに注意

 高校総体の予選がすでに始まっていて、生徒のみなさんの活躍を顧問の先生方の復命書で見ています。高校生が部活帰りや、試合後、学校行事等の打ち上げをファミレスやカラオケなどでやるのは昔からありました。ただ、コロナでそれができない状況が長く続いて、最近すこし感染状況が改善されたことで、飲食について制限が緩くなってきたせいか、気の緩みも見られるようです。先日、某進学校の女子生徒10人が食べながら大声で騒いでいる光景を目にしました。もちろん対面でマスクなしです。これでは、学校で昼食を前を向いて黙食していても意味がありません。騒いでいるのは、そのグループだけだったので非常に目立ちました。制服で一目でどこの生徒かわかってしまうため、学校の評判を落とすことでしょう。昔から「誰も見ていなくても、お天道様(太陽)が見ている」と言われましたが、衆人環視の中でさえ節度ある行動ができないのでは、いくら勉強ができても意味がありません。自分の行動を客観的に見て、恥ずかしいことをしていないか注意したいものです。なお、彼女たちに注意したかどうか、知りたい方は、私に直接聞いてください。